うるさい(4)
部屋の中央には、猫背の女が立っている。女は長い髪を振り乱しながら、もう長いこと暴れ続けていた。
激しく床を踏みならすと、胸の前で左右の指を組む。その状態のまま両腕を振り上げ、素早く振り下ろした。二度三度と、女は同じ動作を続けた。その後は頭を掻きむしり、息の続く限り絶叫を響かせた。
奇声から両腕の動き、絶叫までをワンセットとして、女は今晩だけですでに十回以上も繰り返している。
俺はスマホのカメラを起動させ、一連の女の動作を撮影した。
再生マークをタップすると、航汰に向かってスマホを滑らせた。
「ほらよ」
「拝見いたします」
眼鏡の位置を直して、航汰は撮影されたばかりの動画を見はじめる。
少し待ってみたが、航汰からはなんの反応も返ってこない。
真剣な顔で画面を見続けている。
果たしてそこに、女の姿はあるのか、ないのか。
しびれをきらし、俺は尋ねた。
「どうよ? なんか映ってた?」
航汰が疑問で返す。
「小野塚くん、これは本当にたった今、あなたが撮影したものなのですね?」
「は? 当たり前だろ」
「事前に撮影しておいたものを、あたかも今撮ったかのようにして私に見せているのではなく?」
「疑ってるのかよ」
「いえいえ、気分を害するようなことを言って申し訳ない。ただあまりにもその、姿が鮮明すぎるといいますか……」
納得がいかないといった調子で、航汰は首をひねった。
航汰の前からスマホを引き寄せ、自分でも確認してみる。
一時停止された画面には、確かにうるさい女の姿が映っている。いつも俺が見ているとおりの画だ。
念願叶って霊の姿を目にしたのだ、航汰はもっと感動してもいいんじゃないか。
俺ははじめ、航汰の見せた反応が理解できなかった。
何か頭に引っかかるものがあるらしい。唸り声をもらし、航汰は言う。
「私はどちらかというとヌードよりも、服の隙間からちらりと覗く素肌にぐらりとくるタイプといいますか……」
「え、突然何言っての」
「要するに情緒がないのですよ」
「情緒?」
「この動画は何もかもあけっぴろげすぎるんです。心霊動画として面白みに欠けるんですよ。趣がないのです。錯乱した女性を映した、ただの動画になってしまっているんですよ!」
航汰の訴えを聞き、俺はようやく気づいた。
俺の目は、生きている人間と霊とを判別できない。いつだって霊は強い輪郭を持ち、生々しい姿で俺の前に現れる。
撮影した動画には、俺が普段見ている景色がそのまま記録されていた。
心霊動画と聞いて多くの人が想像する、暗く不鮮明で、霊の一部分だけがかろうじて映りこんでいるような代物ではない。
例えばこれを動画投稿サイトにあげたとして、再生数は二桁いくかどうか。
奇声を発して暴れる女の姿は恐ろしいが、動画そのものにホラー要素はない。
でも、だから何?
「別に問題ないじゃねえか。あんた、霊の姿を見たかったんだろ。ここに写っている女がそうだ。良かったな、長年の夢が叶って」
おめでとうと、拍手までしてやる俺はやさしい。
「で、うるさいだろう? こんなのが毎晩部屋で騒いでるんだ、俺が寝不足になるのもわかるだろ」
俺たちが話している間も、女の霊は絶えず叫び、暴れている。
航汰はまだ納得がいかないという顔をしていたが、
「確かにそうですね。早急にこの問題を解決しなければ、小野塚くんの健康が損なわれます」
と頷いた。
「いっそのこと別の部屋に引っ越されてはどうですか?」
「無理。俺んち金ないし。俺をここに住まわせるのに、親は結構無理して費用出してくれたんだ」
「お金の問題がなくなれば、小野塚くんは引っ越しできますか?」
「いや、金の問題はなくならないから。ある日突然親の収入が増えるなんてことないし、俺が自分でバイトして金貯めるにしても、何ヶ月かかるか」
「ですが、すぐに問題を解決する方法が一つあります」
「何だよ。言っとくけど、宝くじを当てるとか、運任せな方法はなしだからな」
「私が小野塚くんの引っ越し費用を出せばいいんです」
「へえ、いいじゃん。いくらくらい出してくれんの?」
「いくらでも」
「じゃあとりあえず100万くらい」
「はい、わかりました。では明日持ってきますね」
「ちょっ、待て待て」
俺は身を乗り出し、航汰の額をぺしりと叩いた。
「何を本気にしてるんだって」
航汰は叩かれたところを不思議そうな顔で擦った。
「え? 冗談だったんですか? 引っ越ししたくないんですか?」
「いや、できるならこんな部屋出たいよ。そうじゃなくて、100万出してくれっていうのは冗談に決まってるじゃん。普通わかるだろ」
「普通、ですか」
「そうそう。ていうかあんたも引っ越し費用出すとか、冗談で言ったんだろう?」
「いえ、本気ですが?」
「はい? 何、あんた金持ちなの?」
「わかりません。ですが100万くらいならすぐ用意できますが」
そういえば航汰は普段、何をやっている奴なのだろう。
俺は今になって疑問に思った。
学生だろうか。働いているとしても、高校を卒業して間もない今は、給料もそんなに貰えていないんじゃないか。
「あんた仕事は?」
「無職です」
「え、じゃあ100万なんて人に貸してる余裕ないんじゃねえの」
「心配には及びませんよ。両親が毎月私の口座に振りこんでくれる額から、少し出す程度ですので。それに貸すのではなく、私ははじめから差し上げるつもりで言っています」
航汰は自らの境遇を説明した。
高校卒業後は、「好きにしてろ」という親の言葉に従い、日がな一日、家で怪奇小説を読むか、ホラー映画を観るかして過ごしてきたらしい。航汰の親は息子にたっぷり小遣いを与えるだけで、将来について尋ねたりもしない。航汰は親の庇護の下、ぬくぬくと自由な毎日を送っているとのことだった。
「それってニートじゃん」
「世間一般的にはそう呼ばれていますね」
航汰は平然と言った。だが少しだけ表情に焦りが見え隠れする。
毎日遊んで暮らせて、最高! とまでは己の現状を楽観視していないのだろう。
「金は本当にいらないよ」
俺はきっぱりと断った。
「あと、今みたいな話、簡単に人に言わないほうがいいんじゃね? 金払ってやるとか言ったり、自由になる金がたくさんあるとかさ」
航汰は俺の言葉がわからないみたいで、黙っている。
「もし相手が俺みたいな善人じゃなかったから、あんた絶対たかられてたと思うし。いいように利用されるの、目に見えてる」
「そうですか。今の私では、小野塚くんの力になれないということですね」
俺の話を、航汰は半分くらいしか理解していないだろう。
でもまあ、いいか。とりあえず忠告はした。後々、こいつがどこで誰に騙され、痛い目を見ようが俺には関係ない。
「引っ越しはできない。だから解決方法としては、このうるさい女の霊をどうにかするしかない」
俺は再び、航汰にスマホを向けてみせた。動画の続きを再生させる。
「何か他にいい案を出してくれよ。そうすりゃあんたは、役目を果たしたことになるだろう?」
航汰は今夜、田中先生に依頼されて、うちに来た。
俺が困っているらしいから、力になってやってくれないか、とでも言われたのだろう。
問題解決に一役買ったという手ごたえがなければ、こいつはきっと引き下がらない。
それに俺も、航汰に自信をつけさせてあげてくれと、先生からお願いされている。
ものすごく癪だが、これから航汰の出した案に感心したふりをして、礼の一つでも言ってやろう。それで俺も田中先生との約束を果たしたことになるはずだ。
航汰は唸りながら、スマホを注視する。
画面には大きく頭を振って、耳障りな声を発する女の横顔が映っている。カメラが動き、女の正面に回る。
女の顔がアップになる。
「ああ!」
航汰が声を上げた。
何か思いついたのか。俺は視線で、航汰を促した。
航汰が口を開く。
「私、この女性を知っていますよ」
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