うるさい(3)
「何をおっしゃっているのです? 小野塚くん」
航汰が目をしばたたかせる。
「だから」
俺は乱暴にこめかみを掻いた。
「今あんたの目の前で叫んでる女だよ。どうせ見えてはいないんだろうけど」
ゆっくりと航汰は首を傾げた。
「冗談を言っているのですか? それとも、ここには透明人間がいると?」
「違う。幽霊だよ」
「幽霊」
航汰は驚愕の表情を浮かべ、復唱した。
断じて嘘ではない。俺は幽霊を視ることができる。
子どもの頃は相手が幽霊と気づかずに話しかけて、よく周囲の人間から奇異の目を向けられた。そんな俺を、祖父母は気の毒な子だと言って泣いた。だから今でも俺は、祖父母が嫌いだ。
次第に俺は、声を発しない人間がいたら、そいつは幽霊と疑ったほうがいいと学んだ。たまに今回のような例外はあるものの、幽霊は得てして無口だ。その姿は、生きている人間と変わらない。
生者と死者。俺にも目にはどちらも差がないように見えている。
「まあ、別に信じなくてもいいけどさ」
信じてもらえるとは、はじめから思っていない。
航汰には、俺がやばい奴だと認識させておけばいい。気味悪がらせ、ここから退却したくなるよう仕向けるのだ。
「そこにいる女の霊は、こっちが何言っても聞いちゃくれない。だからあんたにはそうだな、除霊の手伝いってことで、塩でもまいてもらおうかな。ま、どうせ効果ないだろうけど。田中先生には俺のほうから、あんたが来てくれてとても助かったと伝えておくよ。それでいいだろう?」
こうまで言えば、航汰も引き下がるだろう。むしろ本人は願ったり叶ったりのはずだ。
「いいえ、それはいけませんよ」
俺の予想に反し、航汰は首を横に振った。その目はなぜか血走り、口元は弛んでいる。
「相手が幽霊であっても、騒音で迷惑しているとはっきり伝えるべきです」
「それが無理なんだって。幽霊っつーのは、自己中なわけ。中にはこっちの話を理解してるっぽいのもいるけど、だいたいの奴が一方的なんだよ」
「そうですか。対話は難しいと」
「ああ。ていうかあんた、俺の話本気で信じてるの? 幽霊が視えるって」
「え、嘘なのですか?」
傷ついたような顔で、航汰は問い返した。
「嘘じゃねえよ。でもこんな話信じた奴、今までいなかったから。あんた、俺が冗談言ってると思って、乗っかってるんじゃねえか」
「どうしてそう考えるのです? その信じなかった人たちと私は、まったく別の人間ですよ。人間はそれぞれ違うものです。一緒くたにしてはいけません。その人たちが信じなかったからといって、私まで信じないという根拠はどこにもありませんよ」
「ああもう、ごちゃごちゃうるせえな」
「今この場でうるさいのは、幽霊のほうなのでは?」
航汰は姿勢を正すと、目をぱちくりさせた。
「ところで小野塚くん、さきほどから気になっているのですが」
「なんだよ」
「幽霊は具体的に、どううるさいのでしょうか」
「ああ、大声で叫んでるんだよ。あとなんか、暴れたりしてる」
「叫ぶ……助けを呼んでいるのでしょうか? なんと叫んでいるのでしょうか?」
「ずっと奇声を発してるんだ」
俺は一呼吸置くと、隣の部屋に配慮した声で、幽霊の叫びを真似してみせた。
「なるほど。ああああ、ぎゃあああ、うおおおお、ですね」
航汰は神妙な顔で頷いた。
「いちいち声に出して確認するなよ」
それから少しの間、航汰は俺がさっき示した辺りに目を凝らしたり、腕を伸ばしたりしていたが、やがてため息をついて、
「やっぱり私には幽霊の姿が見えないようです」
と肩を落とした。
「非常に残念ですよ。一度でいいから、本物の幽霊を目にしたかった」
その横顔はまるで、広い草原で、仲間とはぐれてしまった山羊のようだった。
情けなくて見ていられない。
「そういえばさ、お茶でも飲む?」
俺は柄にもなく気を利かせてやった。
「いただきます」
航汰の顔がぱっと輝き、すすめてもいないうちから食卓についた。
ころりと機嫌を良くした航汰を前に、簡単に同情を寄せてしまったことを後悔した。
よく考えたら、なんで俺がこいつにお茶を淹れてやらなきゃならないのだろう。
幽霊が見えないという理由で、落胆している奴なんかに。
幽霊なんて見えないほうがいいに決まっているのにな。
俺はコップに水道水を汲むと、航汰の前に置いた。
「え、水……」
航汰は悲しげな声をもらした。俺は聞こえないふりをした。
実際、今この部屋で、航汰の声は聞き取りにくかった。
幽霊がずっと叫んでいるのだから。
水を飲むと少し元気が出たのか、航汰は滔々と語り出した。
中学時代、何気なく手に取ったホラー小説にハマってから、幽霊、妖怪、UMAにエイリアンまで、ありとあらゆる不可思議なものに惹かれてきたこと。いつかそれらを自分の目で見てみたい、できるなら写真や動画におさめてみたいと夢見てきたこと。先程俺から幽霊の姿が見えると言われ、歓喜したこと。
「ああ本当に、今こそ自分の霊感のなさを呪ったことはありません。どうして私には幽霊が見えないのでしょう。そうです私は昔から目が良くないのです。いいえ、これは視力ではなく感性の問題でしょうか。心霊写真の本でもそうです。赤丸で記されたところに、こちらを恨めしげに見る女の霊の姿が写っていると書かれていても、私の目にはどうしてもそのようなものが見えないのです」
水道水でくだを巻く航汰に、付き合ってなどいられない。本人の気が済むまで放っておくか。
イヤホンを耳に突っこむと、俺はスマホを操作した。プレイリストを再生させる。
と、そこで航汰にイヤホンを奪われた。
「何すんだよ、てめえ」
と凄んだ俺に、航汰は怯むことなく、むしろ興奮した様子で詰め寄ってきた。
「そうですよ! 心霊写真です。いえ、心霊動画ですよ! 思いついたんですよ!」
「はあ? 何言ってんだあんた」
「私が幽霊を見る方法です。普通の撮影者が、偶然霊の姿を映した。その程度のものでは、私は幽霊を認識できません。だけど霊感のある小野塚くんならどうでしょう? よりクリアに! より鮮やかに! 小野塚くんなら今この部屋で叫んでいる霊の姿を撮影することができるんじゃないですか? そうしたら鈍感な私の目でも、動画を通して幽霊の姿を確認できるんじゃないでしょうか?」
そんな都合のいいこと、あるわけない。
そう言いかけて、はたと気づいた。
今まで一度でも、俺は幽霊を撮影したことがあっただろうか。
幽霊の姿をデータとして残す。
こんなこと思いつきもしなかった。
航汰が立てたのは、突拍子もない仮説だ。
だけど、試してみる価値はあるんじゃないか。
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