うるさい(2)

 玄関を開けると、背ばかり高くて体つきは貧相な、顔色の悪い男が立っていた。

 俺はいきなり不安になった。

 こんな死にかけの山羊みたいな面している奴が、果たして本当に田中先生から目をかけてもらっているという卒業生なのか?

 

「こんばんは、田中先生に言われて来ました。あなたは小野塚健斗くんですね?」

 丸眼鏡のレンズの向こうで、ぎょろりとした目を輝かせ、そいつは言った。

「私は田中航汰と申します。どうか親しみをこめて、航汰さんと呼んでくださいね」

 

「あ、やっぱいいっす」


 玄関を閉めようとした俺に気づいて、航汰は素早くドアの隙間に身体を滑りこませてきた。押しこみ強盗のような手口。

「いえいえ、遠慮はいけませんよ」


 航汰の汗の臭いが鼻をついて、俺は思いっきり顔をしかめた。

「遠慮とかじゃなくて、普通に無理っつーかさ」


「何が無理なんです?」

「あんた、力になんねえから。あんたが居たところで問題は解決しねえの」

「しかし小野塚くん、本日は夜な夜な訪ねて来ては部屋で騒ぐという知人に、とうとう引導を渡す予定だとか? 田中先生から事情は聞いていますよ」

「ああ、そういうふうに解釈されてんのか」

「違うのですか?」

「まあ、あんたに言ってもわかんねえよ。とにかく厄介な相手ってこと。そんなわけであんたの出る幕はないから、このまま帰ってよ」

「いえ、それを判断するのは小野塚くんではありません。私はあくまで田中先生に依頼されてここへ来ているのですから。目的を果たすまで、帰るわけにいかないのですよ」


 ということでお邪魔します。靴を脱ぎ、意外と品のある手つきで揃えると、航汰はうちに上がりこんできた。

 しげしげと辺りを見回し、

「はあ、こんなところに掃除機を置いていたら、邪魔じゃありませんか?」

「なぜ廊下に脱いだ靴下が落ちているのです?」

「なるほど、トイレのドアは取り払ってしまわれたのですね」

 などと言う。

 俺はその都度、「邪魔じゃねえし」「俺がどこで靴下脱ごうと勝手だろ」「解放感のある場所のほうが、いいクソが出るんだよ」と返した。


「それで、問題の人物はいつ頃来られるのですか?」

 我が物顔でリビングのソファに腰を下ろした航汰が、壁の時計を一瞥して尋ねる。

 丁寧な口調のわりに、行動はとことん図々しい奴だ。

 

 俺は航汰を無視して、田中先生に電話をかけた。先生のほうから、航汰に帰るよう伝えてもらおう。


「あ、田中先生とお電話ですか?」

 航汰が瞳を輝かせる。

「私が無事到着した旨を知らせるのですね?」


「もしもし、田中先生?」

 俺は航汰に背を向け、スマホから聞こえてきた先生の声に意識を集中する。航汰が来たかと問われたので、

「はい、さっき来られました。だけどやっぱり僕、心苦しくて」

 すぐさま本題に入った。

「さすがに今日会ったばかりの人に甘えられませんよ。それで、わざわざ来てもらって悪いのですが、帰っていただくよう先生から田中航汰さんに伝えてもらえませんか?」

 できる限り悲痛な声を作って、そう訴える。


 先生は少しの間沈黙した後で、

『航汰は今、この電話を聞いているのかな?』

 声を落とし、訊いてきた。


「いえ」

 俺もつられて、声を小さくした。

 振り返ると、航汰はひじかけを枕代わりにしてソファに寝転び、調子っぱずれの鼻歌を口ずさんでいる。

「聞いてませんけど」

 

 先生は咳払いをすると、

『健斗は何も気を遣う必要ないよ。正直に言ってしまうとね、僕は逆を期待して、健斗の元へ航汰を向かわせたんだ』

 と打ち明けた。



「どういうことですか?」

『航汰はちょっと変わった子なんだよ』

「はあ、それはわかります」

『だから在学中も友達らしい友達ができなかったようでね。卒業後も心配で、時々様子を見ていたんだよ』


「もしかして僕に、あの人と友達になれと?」

 先生の語尾に被せるようにして、俺は問いかけた。


 俺は航汰と同類と思われているのだろうか?

 外れ者同士なら、気が合うだろうと?

 まさか、田中先生に限ってそんな短絡的な考えはしないはずだ。そう自分に言い聞かせても尚、屈辱だった。


「僕の抱えるトラブルを、僕とあの人が知り合うきっかけになればと利用したんですか?」

 俺は早口で言った。苛立ちを取り繕う余裕などなかった。

 

『違うよ』

 対して、先生は落ち着いていた。

『僕は航汰に自信をつけさせてあげたいんだ。人の役に立てたという経験をすれば、これから航汰は積極的に世間と関われるようになるんじゃないか。そのために、今日は健斗のほうから航汰を頼ってあげてくれないかな?』


 ああ、そういうことか。

 先生は俺に協力を求めていたのだった。

 つまり先生から信頼を寄せられているのは、航汰ではなく俺のほうなわけだ。

 苛立ちが一気に吹き飛び、歓喜の渦が俺を包む。


「わかりました。そういう事情なら、なんとかやってみますよ。見た感じ悪い人ではなさそうですしね、田中航汰さん」

『そうだよ、航汰はとてもいい子なんだ』

「僕は、あの人の力を借りてあげればいいんですよね?」

『うん、頼まれてくれるかな?』

「はい、もちろんです。他ならぬ先生の頼みですから」

『ありがとう。健斗は優しいな』


 先生から礼を言われ、胸の奥がくすぐったくなった。 

 満ち足りた気分で通話を終える。

 次の瞬間、背後で航汰が言った。

「小野塚くんは、田中先生と話すときはそういう口調になるのですね」


「はあ? うるせえよ」

 俺は航汰を睨みつけた。

「盗み聞きしてんじゃねえ、クソ眼鏡」


「なんという変わり身の早さでしょう。恐ろしい。小野塚くん、君は少々、田中先生の前で猫を被りすぎでは?」

「うるせえな、ぜってぇ先生にチクるんじゃねえよ」


 自信をつけさせてあげたい。

 人の役に立てたという経験があれば。

 田中先生はああ言っていたけど、こいつに友達ができなかったのは、他に問題があるからじゃないか。

 空気の読めない、強引で図々しい態度。揚げ足を取るような物言い。

 他人をイラつかせることに関して、こいつは天才なのかもしれない。

 なんでこんな奴が、よりによって田中先生と同じ苗字を名乗っているのか。


「なあ、あんたも田中ってことは、先生の親戚か何かなわけ?」

「いえ、親戚ではありませんよ」


 航汰の答えを聞き、俺はほっと胸を撫で下ろした。もしもこいつが先生の縁者なら、多少は気を遣ってやるつもりだったが、他人なら関係ない。遠慮なくぞんざいに扱おう。


「ところで、問題のうるさい人物というのは、まだ来られないのでしょうか?」

 航汰が言う。


 俺は奴が座るソファの前辺りを指差した。

「さっきから来てるだろ。今もあんたの目の前にいる」

 面倒なので、そのままを答えた。

 こいつからなら、いくらおかしな目で見られようとも傷つかない。


「あんたには、その女が見えてないのかよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る