第5話『スラム街の悪ガキ、誇りを傷付けられ激怒する』②

「――おいおい。泣きたいのはこっちの方だぜ?」

「……あ?」


 突然イヴに向けて悪意の乗った言葉が投げられた。 

 視線をそちらに向けると一人の少年が、イヴをニヤニヤと嗤いながら見下していた。

 誰だろうこの人。3人が見覚えない少年に眉を潜めてそれぞれ思い出そうとするも、全く思い出せそうにない。首を傾げて顔を見合わせて、知らないね、と首を横に振った。

 その態度が気に喰わないのか、少年は突如怒りを露わにして叫んだ。


「ケイムスだよ! 知らねぇのか? 今期入隊隊員の最優秀成績者の!」

「知らないわね」

「知らん」

「……ああ、そういえば掲示板に名前が記載されていましたね」


 伝達事項が張り出される場所には、入隊式の1週間後に毎回最優秀訓練生の名前が張り出される。これにより優越感を与えてより訓練に身を費やして欲しいというGUARDの目的が透けて見えた。

 そしてこの少年は見事その策略に乗っている者で、しかし不満があるらしく忌々しそうにイヴを見ていた。


「お前、使徒をヤる試験でズルしただろ」

「は?」

「このオレがスラム街のテメェなんかに劣る訳ないだろうがっ!」


 散々な成績を残したイヴだが一つだけ好成績を出した訓練がある。それが使徒殲滅速度測定試験である。

 この訓練はその名の通り用意された使徒を如何に素早く使徒を倒せるかを計測する訓練である。

 用意される使徒はミノタウロスとオーク合わせて5体。魔錠シリンダーと訓練室に刻まれている術式にて再現された使徒はリアリティがあり、イヴは思わず戦場での動きを思い出して殲滅した。

 訓練を終えてユーリに聞いた所、訓練で出る使徒は【創造】で作られた模倣体でありあの訓練室でしか造る事ができないらしい。なので万が一が起きる事は無いとの事。


(あの訓練で後れを取る事自体、イヴには難しいと思いますが……それよりも)


 実戦でユーリ以上の動きを見せてキャスパリーグを圧倒したイヴが、今更捕縛タイプ相手に手間取る事はない。その点を考慮するとし訓練結果1位は妥当と言える。

 それよりも、だ。

 ユーリはケイムスの言葉に許容できない単語があり、自然と彼に向ける視線は厳しいものとなっていく。


「ケイムス訓練生。今の発言はどういう意味ですか?」

「どういう意味も何もそのままだよ」


 ケイムスはイヴを見下して、食堂に居る他の隊員に聞こえる様にデカい声で語り出す。


「GUARDは選ばれた人間が入る事ができる組織だぜ? それなのに場違いにもスラム街出身の劣等遺伝子持ちが紛れ込んでいる。みーんなそう思っているぜ?」


 彼の叫びに呼応するように、ヒソヒソと同意の声が聞こえ始めた。

 何で居るんだよ。あいつの言う通りだ。さっさと元居た場所に戻れ。目障りだ。

 訓練生、正隊員問わずにイヴに向かって悪感情が突き刺さっていく。

 差別意識は根深く浸透しているようであった。スラム街の人間は自分たちとは違う。そうでなければならない、とそう信じ込んでいた。


「だからお前がたった一つの訓練でも、オレより上ってのはあり得ないんだよ――文字も書けない猿が。元鍵無しだった癖に調子に乗るなよ」


 ズイッと顔を近づけて嘲る様にイヴを挑発するケイムスに対して――返されたのは冷たい表情だった。

 いやむしろ――憐みの目。

 至近距離でソレを向けられたケイムスは一瞬呼吸を忘れ――バチンッと頬を打たれるまで一人の少女の平手打ちに気付けなかった。


「イヴくんを悪く言わないで! 生まれが何よ! むしろアナタみたいな性格の悪い人がGUARDに入れる事自体がおかしいわよ!」

「いてぇ……!」


 頬を抑えるケイムスに怒りを露わにするシャルロット。

 イヴは以前からシャルロットは真っ直ぐ過ぎるなと思っていた。

 彼は正直ケイムスに対して関心を持てなかった。見下されるのは慣れていたし、こうなっている現状はGUARDがそうなる様に仕組んだ結果であり、言わばこの少年も犠牲者の様なものだ。

 だから言いたいことを言わせておいて、満足すれば帰ってくれれば良いと思っていた。だからシャルロットが代わりに怒り手を上げたことに少し面倒な事になると感じ……同時に彼女の言葉に、想いに、優しさに嬉しく思った。

 そしてシャルロットと同じ様な人間がもう一人居り、その少女はイヴが聞いたことのない冷たい声でケイムスに告げる。


「――去りなさい。私たちに、貴方の醜い嫉妬に付き合う道理はありません」

「ちっ……くそがっ! スラム街出身の男は、女に守られて恥ずかしくねぇのかよ!」


 しかしイヴは反応を示さず。


「ああ、それとも? その女顔だから守られる存在だって思われているのか? 良い身分だな」


 みんな同じような事しか言わないんだな、とイヴはさっさと去ってくれと聞き流した。


「これだけ言われても反応を示さないとか、お前男じゃねぇだろ」


 ケイムスは言葉を続けるが、全く無意味だと流石に理解し苛立ちが募る。

 いつか泣かしてやると誓い、彼は舌打ちをしながら食堂の出口に向かった。


「情けねぇ……この童貞野郎が」




「おい」


 ケイムスは肩を強く掴まれ、強制的に振り返らされると。


「俺は童貞じゃねぇ!」

「ぐはっ!!」


 思いっきり顔面をぶち抜かれた。


『えぇ……』

「えぇ……」

「えぇ……」


 そこで怒るんだ、と若干3名が引いていた。

 一方ケイムスは体が吹き飛び、先ほどヒソヒソと遠巻きに同意し嗤っていたギャラリーを巻き込んで倒れ伏した。

 魔力を込めていないので死にはしないが、物凄く痛いだろう。おそらく鼻は折れている。


「……数々の暴言に流石に俺もイラっとした」


 いや絶対童貞って言われたからだろ……。

 誤魔化す様に呟かれたイヴの言葉に、その場に居た全員が心の中で突っ込みを入れた。

 しかし殴られたケイムスは別で、彼は鼻血を流しながら起き上がり、巻き込んだ他の隊員たちをどけて立ち上がると、イヴの胸元を掴みかかった。


「テメェ……決闘しろ!」

「けっとう?」

「元々するつもりだったが、容赦しねぇ! 明日の午後の訓練後、対人戦闘室に来やがれ!」


 その言葉に――イヴはニヤリと笑みを浮かべた。


 ポイントを溜める方法は、実は訓練で好成績を出す以外にも一つ方法がある。

 それは訓練生同士のポイントを賭けた決闘である。

 両者の同意があれば特定の訓練室で戦闘を行い、その勝者にポイントが割り当てられる。その際のダメージは医務室と同様の術式で瞬時に回復できるが――時に事故は起きる。そしてその際の事故の責任を取るのは敗者であり、死人に口なしであり、加害者に課せられるのは謹慎程度である。

 正隊員になると殺害行為は明確なペナルティとなるが――訓練生同士だと異なる。

 つまり合法的に気に入らない者を殺せる方法であり、ケイムスはそれを狙っていた。


『弱い者はいずれ死ぬから問題ない――そういう思考か』


 魔王は歪なこのルールの根幹を理解しており、吐き捨てる様に呟いた。

 当然イヴは魔王の声が聞こえており、ケイムスの考えている事も理解している。

 それでも大量の得点ゲットのチャンスには変わらない。


「喧嘩は得意なんでね。良いよ、ヤろうぜ」

「後悔させてやるからな……!」


 捨て台詞を吐いて走り去るケイムス。

 おそらく医務室で折られた鼻を治しに行くのだろう。情けない背中だとイヴは鼻で笑った。


「イヴ?」

「――」


 しかしそんな彼も、人の事を笑っていられない。

 ガシリッと背後から肩を強く握り締められた。先ほどのケイムスの様に。凄く振り向きたくないなとイヴは冷や汗を掻く。


「少々お時間よろしいでしょうか?」

「よろしくないです」

「ありがとうございます。ではこちらに」

「よくないって言ったよね!?」

「シャルも言いたい事が山ほどあるそうです。良かったですね」

「良くない!」

「イヴくん? 諦めてね?」


 こうしてイヴ達も食堂を後にし、しばらくして何処かの部屋で彼の悲鳴が上がった。

 そして今回の騒動は瞬く間に南支部に広がり、翌日の決闘ではたくさんの見物人が集う事を誰も知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る