第6話『スラム街の悪ガキ、己の限界を越える』②
全能感に近い感覚がイヴを包み込み、しかしすぐに気を引き締めてキャスパリーグへと駆けた。
その時の速度はまるで世界を置き去りにしたかのように速くて、キャスパリーグが気付くよりも早く、速く、迅く、彼の拳が鼻っ面に叩き込まれた。
『ギャオン!?』
「まだまだぁ!」
ひっくり返って腹を晒したその上にイヴは乗り上がると、両の拳でラッシュを叩き込む。
「うおおおおおおラララララララララッ!!」
『ギュオオオオ!?』
1秒間に30発のラッシュがキャスパリーグに叩き込まれ,腹部の肉がへこみ、裂けて、破壊されていく。
キャスパリーグはただ殴られるこの状況に怒りを覚えたのか咆哮を上げながら腹部の上にいるイヴに向かって鋭い爪を振るう。
「スゥウウウウウウウウ──ハァァァアアアアア……!」
しかしイヴは一つ深呼吸をし、
「うおるゥラァア!!」
視線を向ける素振りも見せず、片腕で受け止め、そのまま殴り続けて爪を砕く。キャスパリーグは痛みに耐えられず悲鳴を上げて前脚を引っ込めた。
そうなると腹部へのラッシュが再開される。イヴの拳によりどんどん肉が削ぎ落とされていき、此処で初めてキャスパリーグは理解した。
既に捕食者と獲物の立場は逆転していた。
あの時戦うのでは無く逃げるのが正解だったのだ。
『ギャオオオオ!』
キャスパリーグは必死に体を捻って起き上がり、イヴから距離を取る。腹部はズタズタで魔力が漏れている。
あの雄の子どもは、あの雌よりも弱い筈だ。感じ取れる魔力からそれは確かだ。
しかし実際に戦ってみれば強かったのは目の前の少年で、特に吹き飛ばされてからはそれが顕著になっている。
『
イヴが地を蹴ると、キャスパリーグが知覚するよりも早く懐に入り込んでいた。自陣加速により意識が他者より高速化し、それに着いていける肉体に強化されているにも関わらず気付けなかった。
そして全てを貫く筈の爪は既に砕かれており、キャスパリーグは迎撃をするという選択肢を取れなかった。
もう彼の獣の時間は来ない。これから来るのは──人間による蹂躙。
『最高にハイになる。獣、今の小僧は貴様以上に本能に忠実だ』
『ギャ、ギャオ……!』
『何だ? まるで許してくれと言わんばかりの態度だな。獣如きが人間の真似事か?』
届かないにも関わらず、魔王はイヴの体からキャスパリーグに対して嘲笑を向ける。
『我は貴様ら使徒とやらの被害を受けていないから知らんが、この世界の人間は違う』
それでも魔王は気にせずに続ける。
『小僧は今半分意識がない故、この我が代わりに答えてやろう』
そして何故かキャスパリーグはイヴの中に居る魔王の言葉を感じ取っていた。
『──ダメだ』
王による裁定が下される。
『貴様、あの小娘で遊んでいただろう。野生のルールから逸脱した行為だ──諦めて受け入れるんだな』
──ギシリ、と込められた魔力と握力がイヴの拳から音を出す。
キャスパリーグは涙を浮かべて逃げようとして──イヴに毛先を掴まれた事でグイッと引き止められる。
『さぁ小僧。思う存分裁くが良い! 貴様にはその権利と力がある』
「──うぉおおおおおおおおお!」
『──ぶちかませ!』
「ラァアアアアアアアアアアア!」
まるで時が加速したかのように、イヴのラッシュがキャスパリーグに叩き込まれる。脚、爪、腹、首、顔、頭……その全てがイヴの拳が突き刺さり、破壊され、再生しようとしてその前にさらに破壊される。
『ウラウラウラウラウラウラウラウラウラ!』
『ギャ、ギャウア!』
キャスパリーグは掴まれている毛が抜けるのを承知の上で抜け出し、駆け出し、しかし回り込まれてラッシュの餌食になる。
「ウォラァ!」
『ギャウン!?』
「うぉおおおおおおおお──ラァ!」
迎撃をしようと再生した爪を動かした瞬間、拳が叩き込まれて砕かれる。
逃げようと脚に力を込めれた瞬間、拳が叩き込まれて砕かれる。
泣き叫ぼうと口を開けば牙を全て折られた後に頭を殴られて強制的に口を閉じられる。
反撃も、逃走も、悲鳴も、何もかも許さない。肉体が再生するのが不幸と言わんばかりに破壊され続ける。
その無限に続くかと思われた地獄に心が折れたのか、キャスパリーグの首裏に
『ギャ──』
キャスパリーグは最期に断末魔を上げようとして、
「──ウォラァ!!」
それすらも許されず、
「──は!? 何処行った!? 逃がさねぇぞ!」
『もう終わったぞ』
意識を取り戻したイヴに対して、呆れてため息する魔王。
イヴは魔王の言葉に呆然とし、ハイになっている間の記憶が曖昧ながらもキャスパリーグを殴り倒した事を思い出し、そして脱力した。
「っ……」
拳が痛い。
それでも使徒を倒した実感が湧いたのか、爽やかな気分だった。
「俺が倒したんだな……!」
『うむ。
「相変わらず水を差すのが上手いな」
しかし気分が良いのか、はたまた感謝しているのかイヴの魔王に対する語気は何処か穏やかだった。
「それにしても
『アレは本来なら偶然が重なり合い、奇跡のように起きる事故だ。狙って行えるのは我くらいだ』
「そうなのか?」
『うむ。それに使徒の様に常に魔力を放出してる相手だからこそ容易く行えた。それに』
「……あまり良くない方法なんだな」
『今回はこの方法が確実かつ安全にあの化け猫を倒せるから選んだまでの事。
「……へいへい」
『ああ、それと』
突然、ぐらりとイヴの視界が揺れる。ドサリと彼の体が地面に横たわり、遠のく意識の中……イヴはデジャヴを感じていた。
『慣れない者が起こすと意識も無くす。故に魔力事故だ』
「てめぇ、絶対知っててワザと──」
やっぱりコイツ嫌いだと思いながらイヴは意識を失い、
「──ふん。意識を失うのは貴様が惰弱だからだ小僧」
そして魔王はそのまま体の主導権を手に入れた。
グッ、パッと手を開いたり閉じたりして体の調子を確かめて舌打ちを一つした。
入れ替われば
尤も、その事を見越して魔王は保険を掛けていた訳だが。
「……」
「大義であった小娘。我らの代わりにあの豚共の処理をしてくれた事、褒めて遣わす」
魔王の元に現れたユーリに、彼は尊大な態度で彼女を褒め称えた。
イヴは戦闘に夢中で気付かなかったが、今回送り込まれた使徒はキャスパリーグ以外にもミノタウスと同タイプのオークも居た。
ユーリは傷が癒えた後、イヴの援護をするのではなく他の使徒の殲滅を選択した。それが彼女の仕事だと、自分を癒した者の求める事だと思ったからだ。
「貴方は何者ですか?」
「ふむ。応えてやっても良いが、生憎小僧は眠っていてな」
「……何を言っているのか理解できません」
「それも含めて答えてやろう。その代わり我も聞きたい事があってな」
魔王は、イヴが気絶しているかつGUARDの人間と接触できるこの機会を狙っていた。これならばイヴの意志を尊重しつつ情報収集できると踏んだのであった。意外と狡い魔王である。
「場所を移させて貰うぞ。どうも貴様もその方が都合が良さそうだからな」
「……そうさせて貰います」
ユーリは魔王の案内の元、隠れ家へと向かって行った。
「……」
その様子を見つめる一人の
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