第3話『スラム街の悪ガキ、初めて魔法を使う』②

『さて小僧。感傷に浸るのはそれくらいにしておけ』

「……ん? どういう事だ」

『どういう事も何も――』


 ――ズズズ……と地響きがし、影がイヴを覆う。

 もしかして、とイヴが見上げるとそこにはミノタウロスが居た。それも、先ほどイヴが殴りつけた傷跡を再生させた状態で。


『まだ終わっとらんぞ』

「……」

『ふむ。妙な魔力の流れから真っ当な生物ではない事は分かっていたがこういうタイプか。ちと面倒だな』

「冷静に分析しているんじゃない!」


 イヴが飛び退くと同時に、先ほどまで彼が居た地面を巨大な棍棒が打ち砕く。

 瓦礫が吹き飛び、大きな音が響き、それによって遠巻きに見ていたスラム街の人間たちが悲鳴を上げて逃げ出した。

 イヴとしてはそれで助かる。無駄に人を巻き込まなくて済むからだ。

 それよりも、だ。

 ミノタウロスの猛攻を走って、避けて、逃げならイヴは魔王に向かって叫ぶ。


「次はどうしたら良い!?」

『ひたすら殴っても貴様がバテるのが先だな』

「アイツを倒すまで、俺は倒れるつもりはないっ」

『その心意義や良し。しかし我らは獣ではなく人だ』


 横振りの棍棒をジャンプして避けて、叩きつける様にして振るわれる一撃は大きく避ける。飛んでくる瓦礫ですらイヴにとっては致命傷になるからだ。

 彼は魔王から攻略法を聞くまで愚直に生き抜くための動きを止めない。


『魔の力に触れ、朧気ながらに貴様も感じている筈だ。奴の弱所を』

「弱所……?」

『先ほどあの畜生が立ち上がる時、感じた魔力の流れから奴のあの再生能力の起点が見えた。恐らくそこが弱所だ』

「そんなこと言ったって、俺は今まで魔法を使った事がないっ」


 故に、いきなりそんな事を言われても分からないと言うイヴだが。


『馬鹿者、逆だろうが』

「は?」

『慣れない力に触れたからこそ、初めての感覚には違和感を覚える。見えていなかった物を、聞こえていなかった音を、感じ取れなかった感覚を、それら未知の全てが既知となった』

「……」

『我が言いたい事は分かるな?』


 それを最後に魔王は沈黙する。その間にもミノタウロスの猛攻は止まず、イヴは必死こいて避けて、躱して、逃げる。

 しかしそれ以上に感覚が敏感になっていた。魔王の言葉を理解し、目の前の使徒を理解しようとする。

 自分の体を包み込む魔力。目の前の敵から迸る魔力。それはこれまで感じ取る事ができなかった力。それに触れたイヴは今――これまで生き残るために力を使って見極める。

 年上のクソガキや、それ以上に碌でもない大人たちの暴力に曝されていたイヴは、生き物の活動を止める方法を知っている。どこを殴れば、どこを壊せば動けなくなるのか。どのくらいの力を使えば殺せるのか、殺さずに無力化できるのか。

 知っている事と知らない事を飲み込み、彼は生き残る為の最適な答えを導き出す。


「――そこか!」


 研ぎ澄まされた感覚が、ミノタウロスの弱所をイヴに教えた。

 首の裏。そこに魔力が集中しているのを感じ取れた。


『ブモオオオオオオオ!!』


 ミノタウロスが棍棒を叩きつける。相変わらず単純な動きだと最小限の動きで避けたイヴは、そのまま棍棒に乗りそのまま腕を伝ってミノタウロスの体を駆け抜ける。


『ブモ!?』


 イヴの行動に驚いた声を上げるミノタウロス。すぐさま振り払おうとするが、今の今まで彼を捉える事ができなかった愚鈍な怪物が何故捉える事ができようか。


 不思議な感覚だった。


 戦う前はあんなに適わないと思っていた使徒を翻弄している。これがずっと求め続けた力なのかとイヴは思い、すぐに違うなと内心首を横に振る。


 自分が迷いなく戦えるのはーー。


『そら、小僧。今までのツケを少しだけでも返してやれ』


 この魔王と名乗る不思議な声のおかげだと、彼でも理解した。


「――うおおおおおおおおお!!」


 ミノタウロスの背後に回ったイヴは思いっきり拳を叩きつけて――パリンッと何かが割れる音が響いた。


『ブモ!?』

『見えたな死相が――やれ小僧』


 ミノタウロスの防衛本能が死を予感し、慌てて振り返って棍棒を叩きつけるが――音を立てて破壊されたのは一人の人間の体ではなく異形の得物だった。

 棍棒を半ばから殴り壊したイヴはそのまま両腕を構えて――目の前の怪物にラッシュを叩きこむ。


「うぉおおおおッ、ウラララララララーーラァ!!!」

『ブモオオオオアア!?!?』


 落下しながらミノタウロスの顔を、体を、足を、全てに拳を叩きこみ最後には天高く殴り飛ばした。ミノタウロスは断末魔を上げて吹き飛び、最後には魔力の塊となり弾けて消え失せた。


「――確かに返して貰ったぜ、少しだけな」


 屈辱の日々を耐え抜いた末に、イヴはようやく――兄弟の仇に一矢報いた。

 彼の顔は久しぶりに晴れやかな物だった。






 ――それから少しして。


「……報告では後一体居るはずなのですが」


 突如エリア外に現れた使徒に対して、迅速に行動を取ったGUARD。

 南都、ならびにスラム街に現れた使徒の数は全部で10体。そのうち9体は討伐にされたのだが、残り1体が見つからずに居た。討ち漏らしがあってはならない。さらなる被害が、知覚できずに広がる可能性がある。

 故にGUARDは血眼になって捜索し、その捜索隊の一人である少女は南都の外れにあるスラム街にやって来た。


 茶色のショートヘアに蒼い瞳。肌は染み一つなく顔つきからは幼いながらも知性が感じ取れる。

 その身を包む魔力で編まれた戦闘用防御衣服、守護装束ガーディアンは黒を主体に赤と紫の装飾がされており、手に握られたロングソードには赤い宝石が嵌め込まれてキラリと輝き光っていた。


 GUARD本部の情報が確かなら、このスラム街にミノタウロスが居るはずなのだが少女の魔力探知では影も形も無かった。


(誰か他の方が撃破したのでしょうか……?)


 少女は最後にこちらの世界に現れたミノタウロスと、魔力が発生した場所に辿り着く。

 そこは明らかに戦闘の跡があり、周りを見るとミノタウロスによる被害跡もしっかりと残っていた。


「いったい誰が」


 GUARDの人間の誰かが倒したのなら報告が行くはずであり、何より未登録の魔力が発生している時点でおかしい。

 おそらくスラム街に住む誰かが死を前にゲートが開き魔鍵師ウォーロックスミスに目覚めたと考えるのが普通だろう。そういう事例は珍しくない――ない、のだが。


「この魔力。明らかに初心者のものではない」


 いや、拙い部分もあるから初心者に近い存在なのは確かなのである。

 だが、それだけでは説明できない違和感を少女は感じ取っていた。


「……調べる必要がありますね」


 己の感覚に従い、今後の活動を決めた少女は歩き出す。

 

 ――少女の名はユーリ。まだ運命の出会いを果たしていないGUARDの魔鍵師ウォーロックスミスである。

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