第2話 死にたくない!
「え、なに、これ……」
私はふわふわと浮いていた。と、言っても空の上じゃない。
「お葬式……?」
私が浮いているのは、誰かのお葬式が行われている斎場の中だ。その喪主を務めているのは……、
「貴志!?」
大声を出してしまって慌てて口をつぐむ。だけど、誰も私の方を向かない。変だ。声が聞こえていないみたいだ。
弔問客に貴志が涙をこらえるような表情をしながら挨拶をしている。
ちょっと待って。私が浮いているということは、死んだのはまさか!?
私は恐る恐る背後にあると思われる祭壇へと振り向く。
祭壇に置かれている写真、それは……、
「私ーーーーー!?」
置かれていた遺影は紛れもなく私だった。しかも、顔色が悪い。もう少し健康的でいい写真はなかったのかと思うくらい。
でも仕方ない。どちらかと言えば、体調が悪いことの方が多かった私だ。
入り口にも一応確認しに行く。
『故
看板に書かれているのは確かに私の名前だ。
「この度は、ご愁傷様でした」
「恐れ入ります。まさか、風邪をこじらせてこんなことになるとは思いもしなくて……」
貴志と参列者の声が聞こえてくる。
話によると、どうやら私は風邪をこじらせて死んでしまったらしい。
私の最期、そんな感じだったか。と、他人事みたいに思う。熱が酷くて何度か目覚めた気がするが、意識がはっきりしたのはここに来てからだ。うっすらとした記憶の中で、一度も貴志の気配を感じた記憶は無い。仕事が忙しくて、帰ってきたときにはもう私は息を引き取っていたということなのだろうか。
私はぼんやりと私の葬儀を眺めていた。
「あの子は昔から体が弱かったから……、でも私たちより先に逝くなんて……」
お母さんが泣いている。お父さんがお母さんの肩を抱いている。
先に死んでごめんなさい。
私だって、いくら体が弱いからといって28なんかで死ぬなんて思ってもいなかった。
「貴志君といういい結婚相手にも恵まれたのにな……」
お父さんの目にもうっすらと涙が浮かんでいる。
そう。いい結婚相手にも恵まれて……。だけど、貴志は体調の悪い私のために仕事を切り上げて帰ってきてはくれなかった。
仕方ない。体が弱かった私が悪いんだ。
このまま葬儀が終わったら成仏できるだろうか。ここまで来たらせめて安らかに送って欲しい。それだけだ。
「まさかこんなことになるなんて……」
今度は貴志の同僚だ。私も同じ会社に勤めていたから知っている顔だ。
「体調を崩しやすいからって、結婚を機に仕事も辞めただろ? 家でゆっくりして少しでもよくなったと思ってたんだが」
「俺も、気を付けて見ていたつもりだったんだけどな……」
「だけど、小澤と結婚して幸せだったんじゃないか? 今どき、専業主婦になって家でゆっくり過ごせるなんてなかなかないしな。それに、いつも家に早く帰って一緒に過ごしてたんだろ? 最近は残業もなくて、それだけはよかったんじゃないのか」
「そうだな」
貴志が涙を拭う。
「最期まで一緒にいられただけでもよかったのかもしれないな……」
「え?」
貴志の言葉に、私は思わず声を上げてしまった。
「最期まで、一緒にいられた? 貴志、帰ってこなかったよね?」
ほとんど死ぬ前の記憶は無いけれど、貴志は絶対にいなかった。
私は家の中に一人だった。だって、熱ですごく熱かったのに家の中はとても寒かった。
あれは一人でいたときの感覚だ。
貴志は一体何を言っているのだろう。自分のことを薄情な人間ではないと思わせようとしている? 一緒にいられなかった後ろめたさで嘘を吐いている?
だけど、いつも早く帰って一緒に過ごしていたというのはなんだろう。
最近は残業もなかった?
だって、貴志はいつも残業で遅くなっていたのに。私は、毎日貴志が帰ってくるのを待って、夕飯も作って待っていても一緒に食べられなかったのに? 最近は話をすることさえなかなか出来なかったのに?
大きなプロジェクトがあって忙しかったんじゃなかったの?
一年前くらいから、貴志は大きなプロジェクトがあってなかなか帰れないと言っていた。
言っていることがおかしい。
確かに、貴志は私が体を壊しやすいからと言って、専業主婦になってもいいと言ってくれた。ちょうど体調を崩して会社を休んでしまった私が情けないと思っていたところに、それでもいいから結婚して欲しいとプロポーズされた。そんなの嬉しくないわけがない。
こんな私と一緒にいて、しかも支えてくれるなんて言ってくれたんだから。私の弱いところは自分がなんとかすればいいと。一緒にいてくれるだけでいいと、言ってくれたんだから。
最初は本当に早く帰ってきてくれて、一緒に過ごしてくれた。体調が悪いと気遣ってくれた。
でも、やっぱり最近は変だった。
私はぷかぷかと浮かびながら首をひねる。
まさか……。
いや、貴志に限って……。
最悪な想像が頭の中に浮かんで、私はその考えを振り切るように首を振った。
そんなはずない。
そんな中で、今度は若い女が貴志に近付いていた。会社の人だろうか。私が辞めてから入った人かもしれない。大卒すぐくらいに見える。
「あっ」
「危ない」
女は貴志の近くでぐらりとバランスを崩した。貴志が慌てて手を差し伸べる。そのおかげで女は転ばずにすんだようだ。貴志と距離が近い。
私にぶつかったときは、全く気にも留めない感じで転んでも手の差し伸べてくれなかったのに。
貴志の女に差し伸べる手は、優しげに見えた。以前私にしていたように。
というか、葬式の時に履くパンプスなんてヒールが低い。足下にもつまずくようなものは何も無い。
もしかして、わざと?
「すみません」
女がどこか甘い目で貴志を見つめる。
「大丈夫だった?」
二人が見つめ合っている。空気が、おかしい。私は二人に近付く。
「奥さん、亡くなったんですね。ご愁傷様です」
ひそひそと貴志の耳元で女が言う。他の人には聞こえなくても思いっきり近付いても気付かれない状態の私には聞こえてしまう。女のお悔やみには全く心がこもっていない。むしろ笑みさえ浮かべているように見える。
なんなの、一体。
「ありがとう、わざわざ来てくれて」
貴志は誰もに聞こえる声で言ってから、
「ここでは変な動きはしないでくれよ。後で色々話そう」
女の耳元で囁いた。
◇ ◇ ◇
私は焼かれた。正確には私の体は。
だって、私はまだここにいる。
そして、わかった。
さっきの若い女は私のいなくなった私の家に、どかどかと無神経に上がり込んでいる。自分の家だと言わんばかりに、私がいつも座っていたソファーでいちゃいちゃと話している。
「これで貴志君は自由だね」
「あー、せいせいしたよ。まさかこんなに早く死んでくれるとは思わなかった。保険金も下りたことだし、しばらくは金にも困らないな」
「やった! それならすぐに結婚できるね!」
「おいおい。気が早いだろ。あいつが死んですぐそんなことしたら、浮気してたのがバレるだろ? 少し時間を置かないと」
「うーん、早く結婚したいけどそれもそっかぁ」
私の葬式に来ていたあの女・
この二人は私の葬式が終わったばかりでなんの話をしているんだろう。
あまりのことに混乱して頭に入ってこない。だけど一つわかることがある。
貴志はこの桃香という女と浮気していた。
「でもさ、奥さん風邪こじらせて死んじゃうなんてさすがに運、悪すぎない? って、私と会ってて家に帰ってなかったんだっけ。毎日残業だって嘘吐いて私とデートしてたんだもんね? ていうかさ、その日も家にいたら助かったんじゃないの?」
あはは、と桃香が笑う。
「なに、それ……」
誰にも聞こえない声で、私は呟く。
「だって、アイツすぐ体調崩すから面倒だったんだよ。その度に看病しなきゃいけなくてさ。最初はよかったけど、段々煩わしくなるっての」
「わー、ひど! 自分の奥さんでしょ? えー、じゃあ私が風邪とか引いたら看病してくれないの?」
甘えるように桃香が貴志にもたれかかる。
「そんなことあるかよ。あんまり頻繁だから面倒だっただけ。桃香が風邪引いたら看病するに決まってんだろ」
「嬉しい!」
桃香が貴志に抱きつく。
今の私には茶番に見える。私にしたことはこいつにもするに決まってる。
ああ、まさか貴志が浮気しているなんて。
悔しい。気付かなかった自分が悔しい。
それでも貴志のことを待っていた自分が悔しい。
風邪なんかこじらせて死んでしまった自分が悔しい。
ぼろぼろと涙がこぼれる。
成仏なんてしたくない!
強く思ったときだった。
意識が、途切れそうになる。
もうお迎えが来てしまうのだろうか。
嫌だ! このまま死にたくなんかない。
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