第22話

「この後、良子さんは首をつったんだ」



和也は風呂場で見た女性を思い出して呟いた。

女性の首は伸びて、ロープの痕が残っていた。

あれが自分の子供が殺されてしまって悲劇の自殺を遂げた女性の姿だったんだ。



「管理人さんに報告しなきゃ!」



亜希が叫ぶ。

こんな過去があったなんてほっておけない。

すぐに知らせて、対処しないとこのコテージでの怪異は収まることはないだろう。



「そうだな。行くしかないな」



雪は相変わらず降り続けていたけれど、気にしている場合ではなくなってしまった。

コテージが経つ前にあった悲惨な事件を知らせる必要がある。


管理人室まで時間がかかっても行くしかない。

ふたりがそう覚悟を決めた、その時だった。


ギィィィと気がキシムような音が聞こえてきて振り向いた。

今まで自分たちが泊まっていたコテージのドアが開いている。



「亜希、ちゃんと閉めてこなかったのか?」


「そんなことないよ、ちゃんと閉めた!」



亜希はそう言うが、実際に玄関は開いてしまった。

このまま放置しておけば雪が中に入ってしまうだろう。


玄関のドアをきちんと閉めるためにそちらへ移動しかけたとき、不意に二人の体が何かに引っ張られていた。



「キャアア!」


「うわっ、何だ!?」



見えないなにかがふたりの両足を掴んで引きずり始める。

ふたりは必死で雪にしがみつこうとしたけれど、いくら握りしめてもそれは溶けて消えていってしまう。



「離して!」



亜希は叫んで両手をむやみに動かすけれど、体はズルズルと引きずられてコテージの方へ向かっていく。

二人が引きずられた痕跡が、雪の溝になって作られていく。



「誰か、誰か助けて!」



和也が叫んでも誰も出てこない。

声は雪の静けさにかき消されてしまう。

そしてふたりの体は一気にコテージの中に引き込まれ、バンッと勢いよく玄関ドアがしまったのだった。


☆☆☆


ふたりの目の前には鏡があった。

鏡の布ははずれていて、その中には女の子と女性ふたりの姿が浮かんでいる。


セミロングの女性はきっと純で、ショートカットの女性が良子だろう。

ふたりとも首が伸びていて、ロープの痕が残っている。


若菜が死んでしまった後、ふたりもすぐに自殺したんだろう。

3人の顔は苦痛に歪み、足すけを求めるようにこちらへ向けて手を伸ばしている。


亜希と和也の体はそれに引きずられて鏡の中に引き込まれそうになる。



「このままじゃ引き込まれちゃう!」



亜希の下半身は一気に鏡の中に引きずり込まれてしまい、和也が慌てて亜希の手を掴んだ。

けれど、今度は和也の足が引っ張られて仰向けに転がり、足首までが鏡の中に入ってしまった。


このままじゃふたりとも鏡の中に取り込まれてしまう!

焦った和也は咄嗟にお札を取り出した。


それを自分の足首を掴んでいる白い手に貼り付ける。

手はジュッと焦げるような音を立てて引っ込められた。


そのすきに立ち上がり、鏡から離れた。



「亜希、お札だ!」



和也が亜希にお札を渡すと、亜希はそれを鏡の中の手に貼り付けた。

手はジュッと音を立てて力を弱める。


そのすきに逃げ出そうとしたけれど、亜希を掴んでいる手は一本ではなかった。

鏡の中から伸びてくる手は何本もある。

亜希の体はそれに寄ってずるずると少しずつ鏡の中に引きずり込まれてしまう。



「ダメ、これだけじゃ効果がない!」



亜希の体はすでに腰まで鏡の中に埋もれてしまっていた。

焦りと恐怖から心臓がバクバクと脈打ち、青ざめる。


冷や汗が背中が何度も流れていった。

それでも諦めなかったのは和也がいるからだった。


和也ならきっとなんとかしてくれる。

そんな期待が亜希の中にあった。



「亜希お経を読んでくれ!」



和也に言われて亜希は目を閉じ、神経を集中した。

お経を読むときには心を込めて、絶対に適当な読み方をしてはいけない。



「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」



最初はぶつぶつと口の中で呟くような声だった。

それは次第に大きくなり、体を芯から震わせていく。


決して大きな声ではないのにジンジンと心が熱くなっていく。

鏡の中にいる3人の表情が変わった。


さっきまで苦痛で歪んでいただけだけれど、今は困惑したような、どうして自分たちがここにいるのか理解できないような顔をしている。



お経を唱えたおかげで、少しだけ人間だった頃を取り戻しているんだろう。

そのタイミングで和也は再び御札を取り出した。



今度は3枚だ。



「亜希、お経を唱え続けて!」


「わかった! 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」


「悪霊退散!!」



和也は叫びながら鏡へ向けて手を伸ばした。

和也の右手は鏡をすり抜けて良子の体に届く。

良子が驚き、勢いで逃げようとするまえにその額に御札を貼り付けた。



「ギャアア!」



それは化け物の断末魔。

長い間幽霊としてここにとどまっていたせいで、ほとんど人間だったときの心を失ってしまった霊魂の叫び。


良子の体は鏡の中で黒い済になって消えていく。

その隣では純が若菜の体を抱きしめて震えていた。


その目には怯えの色が見えている。

さっきまで自殺したときの姿だったふたりだけれど、今は写真に映っていたときと同じ生きている時のふたりの姿に戻っていた。


良子が消されるのを見て、こちらを油断させる気かもしれない。

和也はもう1度お札を握りしめると鏡の中に手を突っ込んだ。


若菜が小さな悲鳴をあげて純にすがりつく。

純は若菜の体を強く抱きしめた。



「大丈夫よ若菜。お母さんは先に行ったから、怖くない」



純の言葉に亜希も和也も目を見開いた。

純にはまだ人間の心が残っているのかもしれない。



包丁が飛んできたときだって『お姉ちゃん、ごめん』と謝っていた。

でも、一瞬の躊躇が命取りとなる。


若菜も純も、まだ亜希を解放しようとはしていない。

油断している間に亜希が鏡の中に引きずり込まれてしまうかもしれないんだ。


和也は心を鬼にして刃を食いしばった。

そしてお札を若菜の額に張る。


若菜は甲高い悲鳴を上げて、お札を張った額から灰になって消えている。

純が更に強く若菜の体を抱きしめる。


そんな純の額にも、お札を貼り付けた。

純はこちらを見るとうっすらと笑みを浮かべた。



「え……」



その笑みに困惑している和也へ向けて「ありがとう」と、聞こえてきたのだ。



「これでやっと、いくことができる」



灰になって消えていきながら、純はそう呟いて微笑んだのだった。

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