第21話

ある日の日曜日、純がリビングで良子と向き合った。

若菜は好きなアニメを見ていてテレビに釘付けになっている。



「また仕事の話?」



良子がうんざりしているのは手にとるようにわかる。

だけどこのままじゃいけない。

このままずっと私だけの稼ぎではとても生活していけないことを、ちゃんと説明しなければ。



「私も家のことは手伝うし、バイトくらいならできるでしょう?」



正座をして真剣な顔で言った。



「家のことって、本当にできるの? そんなに簡単じゃないわよ?」



良子の言葉に純は一瞬言葉に詰まった。

良子がこんなことを言うのは、純が家事を苦手としているからだ。


子供の頃から家の手伝いをよくしていた良子と、全くしてこなかった純では、やはり違う。

純は就職してひとり暮らしをしていたときでも、家事をおろそかにすることが多かった。


いや、むしろ全然しないときのほうが多かったかもしれない。

お米を炊くこともままならない純の主食はコンビニのお弁当や外食ばかりで、ゴミが出ても分別するのが面倒で部屋に投げっぱなしになる。


それを見かねた両親や良子が、何度も片付けに来てくれた。

そんな純のことを知っているからこそ、良子が家にいてくれているんだ。



「頑張るから……」


「頑張るって、今までなにもできてなかったのに、なにをどう頑張るの?」


「だから、それは……」



言いよどんでいると視線を感じて顔を上げた。

いつの間にか若菜が不安そうな表情でこちらを見ている。



若菜の前でこんな不穏な話をするべきじゃない。

話題を変えようとした時、良子が深い溜め息を吐き出した。



「なにもできないくせに、できる、やれるとか簡単に言わないでよ」


「そんなっ」



それは聞き逃すことはできなかった。

確かに純は家事が苦手だったけれど、それでも頑張ろうと本気で思っていた。

その分、姉にも仕事方面で頑張ってもらおうと。



「口先だけなのよね、純っていつも」



呆れた声色。

見下したような視線。

その瞬間純の中で何かが切れる音がした。


プツンッと。

若菜が3歳になったときから姉には働きに出てほしいと思っていた。

それから3年間、我慢してきた。


それをなんだと思ってるんだろう。

自分は働いてないくせに……!


働いている人、家事をしている人。

どちらが偉いなんてことはない。



そんな単純なことが頭から抜け落ちてしまい、気がつけば純は良子につかみかかっていた。



「なにするの!?」



掴みかかられ、ふたりして床に転がる。

若菜の泣き声が部屋の中に響く。

良子は必死に純から離れようとしたけれど、その体はビクともしなかった。



「お姉さんはいつもそうだった。自分意見ばかりが正しくて、私の意見は聞き入れてくれなかった!」



子供の頃、休みの日にどこか行くとなると必ず良子の行きたい場所に決まった。

たまに純がどこかへ行きたいと言っても、良子が嫌だと言えば連れて行ってもらえなかった。


きっと、良子は世渡り上手だったんだ。

そして純は少し下手だった。

きっと、それだけのこと。


だけど積もり積もった鬱憤はここに来て一気に噴出した。

掴みかかり、爪で引っかき、泣きながら攻撃を繰り返す。



「やめて!」



良子は自分の顔を両腕でガードして何度も叫んだ。

それでもやめない。


やめられなかった。

1度吹き出した気持ちは抑えることができない。


若菜がすぐ近くで泣いていたけれど、それすらも見えなくなってしまっていた。

そして純は、ついに包丁を持ち出したのだ。



両手で強く握りしめて良子へ近づいていく。

良子は咄嗟に逃げ出したけれどマットに足を取られて転倒してしまった。

そのときに後方に置いてある姿見に体をぶつけた。



「こないで!」



良子が震えながらこちらを見ている。

目を見開いて、涙をためて叫んでいる。


あれだけ自分のことをバカにしてきていた人間が、自分へ向けて懇願している。

その様子が滑稽だった。



「死ね!!」



純は怒りに任せて包丁を振りかざし、そして良子めがけて振り下ろしたのだ。

そして……包丁の先が、若菜の肉体に突き刺さっていた。


良子が刺される寸前に間に割って入っていたのだ。

若菜から血が流れてようやく純は我に返った。



「若菜、若菜!」



良子が絶叫する。

純はその場に呆然と立ち尽くして、包丁を取り落した。

その光景を。鏡だけが静かにすべて見守っていたのだった。

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