第10話

放課後にふたりで残り、部室棟や図書室や音楽室を見て回る。

たったそれだけのことだった。


けれど音楽室のドアを開けた瞬間、嫌な感じがした。



『ここ、なんか変じゃない?』



急に空気が重たくなって、心臓を押さえつけられているような感覚がして亜希は自分の体を抱きしめた。



『うん。あまりよくない気がする』



和也にも入った瞬間の気分の悪さを感じていた。

けれど音楽室はこれから3年間で何度も訪れる場所だ。


入りたくないから授業に出ないなんてことは、通用しない。

だからふたりは気分の悪さの原因を探るために更に奥へと足を進めたのだ。


すると次の瞬間、バタンッと音を立ててドアがしまったのだ。

咄嗟にドアに走り寄って開けようとするけれど、ビクともしない。


もちろん、鍵はかかっていないドアだ。

ふたりはすぐにこれが霊の仕業だとわかった。


カバンの中から数珠と御札を取り出して室内へ視線を走らせる。



『出てこい!』



和也が叫んで出てきたのは、男子生徒の幽霊だった。

その生徒は体の右半分が血で濡れていて、悲しげに涙を流している。



右手にはフルートが握りしめられていた。



『もう少しで大会だったのに……もう少しで大会だったのに』



男子生徒の霊は何度も同じ言葉を繰り返した。

大会ってなんのことだろう?


亜希が音楽室の中を見回してみると、沢山のトロフィーが飾られていることに気がついた。

この学校の、吹奏楽部が大会で成績を残したものらしい。


ということは、目の前にいる男子生徒も吹奏楽部の生徒だったのかもしれない。

男子生徒は全身から悲しみのオーラを噴出していて、それは亜希と和也の心の中に入り込んでくる。

苦しい、辛い、悲しい。


そんな感情に混ざって憎しみが存在していることに気がついた。



『なにが憎いの?』



亜希からの質問に男子生徒の呟き声が不意に途絶えた。

そしてその目がカッと見開かれる。


その瞬間、亜希の体は少しも自由がきかなくなった。

少年の目にがんじがらめにされて、指先も動かすことができない。



『あいつらだ!!』



少年が誰も居ない空間を指差して叫ぶ。

空気がビリビリと揺さぶられて鼓膜が破れてしまいそうになる。


少年の憎しみの原因がふたりの脳内に強烈に入り込んでくる。

男子生徒はクラスの中ではただ1人の吹奏楽部員だった。


いつも放課後になれば部室へ向かい、他の生徒たちと一緒に練習をするのが、男子生徒は好きだった。



でも、『女にまざってフルート吹いてやんの』



クラスの男子たちはそれを笑った。

男女ともにお互いの存在が気にかかる時期だ。


そうやって揶揄されることもあったけれど、男子生徒は自分の好きを押し通した。

けれどそれは、相手の気持ちを逆なですることにもつながったのだ。



『男子トイレ使うなよ』


『男女』



悪口はどんどんエスカレートしていく。

それでも男子生徒には吹奏楽があった、大好きなフルートがあった。


部内では優秀な方で、先生や仲間からも頼りにされていた。

そして、大会が近づいてきたのだ。



『お前なんかがステージに立つな!』



いくら攻撃してもビクともしない少年にしびれを切らしたのか、ついにクラスメートの1人がフルートに手を出したのだ。

それは少年が大切に大切にしてきた宝物。

彼の魂そのものだと言ってもよかった。



『返せよ!』



少年は初めて声を荒げて講義した。

それを見たクラスメートたちは余計に喜んだ。


なにをしても反応が薄かった少年が、やっと顔色を変えたのだ。



もっともっと少年を困らせようと、クラスメートたちはフルートを持ったまま階段を駆け上がった。

それを少年は追いかける。


クラスメートたちは屋上へかけがあり、そしてフルートを柵の向こう側に置いたのだ。

柵の向こうにあるのは雨水を流すための雨樋だけだ。


その中に大切なフルートがあった。

雨樋はプラスチックでできていて、とても人間の体重を支えることはできない。


少年は柵の隙間に手を入れて必死に取ろうとしたけれど、手首から先が入らなくて取れない。

その様子をクラスメートたちは笑いながら眺めていた。


どうせ諦める。

そう、思っていた。

だけど違った。


少年は柵に足をかけてよじ登り始めたのだ。

それを見た1人のクラスメートは焦りを顔に浮かべた。


このまま柵を乗り越えれば、少年は落下してしまうかもしれない。



『おい……』



そう声を欠けるよりも先に少年は柵の上に到着していた。

柵をまたぎ、その不安定な上に座る格好になる。

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