第6話
「そうだよ。昨日、晩ごはんのハンバーグを持ってきてくれたときに返した」
「私達に鍵を開けることはできない。一応、倉庫が開いていないかどうか、確認してみよう」
それからふたりで外へ出て倉庫の鍵を確認してみたけれど、ちゃんとかかった状態になっていた。
「なにがなんだかわからない」
外は昨日よりも気温が低く、肌に刺さるような寒さを感じた。
昨日の夜見たニュース番組では今日は雪の予報になっていたし、もうすぐ降りはじめるのかもしれない。
「鏡がひとりでに戻ってきた……なんてこと、ないよな」
和也の言葉を笑い飛ばして否定したかったけれど、亜希にはできなかった。
亜希も和也も幼い頃から少し奇妙な体験をすることが多かったからだ。
例えばふたりの曾祖母が亡くなった小学校5年生のとき、ふたりはいつも起きる時間よりも早く目を覚ましていた。
『どうしたの亜希、眠れないのか?』
キッチンへ降りていった亜希に声をかけたのは、グラスに水をそそいで飲もうとしていた和也だった。
『なんだか目が覚めちゃって』
外はまだ、ようやく朝日が登り始めた時刻で登校時間までには1時間以上あった。
その日は真夏本番に差し掛かった7月上旬で、夜の内に冷めきらなかった気温がずっと肌にまとわりついて寝苦しかった。
『俺も同じ』
和也はそう答えてグラスの水を一気に飲み干した。
喉が潤い、スッキリとした気分になる。
『私も水飲もうかな』
別に喉は渇いていなかったけれど、妙な時間に起きてきてしまったので気分を変えることにした。
そうして亜希が食器棚からグラスと取り出し、振り向いた瞬間だった。
ダイニングテーブルの、いつもお父さんが座っている場所に曾祖母が座っていたのだ。
腰が曲がって、座っていてもとても小さく見える。
しわしわの手をテーブルの上でお行儀よく揃えて、口元に笑みを浮かべている。
あ、大きい方のおばあちゃんだ。
ふたりは曾祖母が突然現れたというのに、悲鳴もあげずにその姿を見つめていた。
今曾祖母は寝たきりの状態になって半年以上が経っている。
しかしそうなる前までは和也と亜希はこの人に随分と可愛がってもらってきた。
会いに行けば縁側に座り、たくさんのお菓子を出してくれた。
曾祖母から怒られた記憶はない。
しわしわの手をつないで庭を散歩したり、お菓子を食べたりした楽しい記憶ばかりだ。
だからか、ここに曾祖母はいないはずなのに、会いに来てくれたのだと感じた。
『おばあちゃん、家まで来てくれたの? 病院は?』
亜希の質問に曾祖母は答えず、ただ笑みを浮かべている。
『おばあちゃんも、なにか飲む?』
和也がそう訊ねると、曾祖母は少しだけ首を傾げて『そうだねぇ』としゃがれた声で呟いた。
そうだねぇ。
そう言った直後、曾祖母はふたりの前からこつ然と姿を消していたのだ。
ふたりはしばらく放心したようにその場に立ち尽くしていた。
ほどなくして、ふたりのもとに曾祖母が病院で息を引き取ったという知らせが届いたのだった。
思い返してみれば小さな変異は他にもたくさんあった。
道を歩いている人の顔が半分なかったり、川に流されている子供がいるのに、誰にもそれが見えていなかったり。
それらはみんな、生きていない人間たちだったのだ。
今回の鏡の件も、そういうたぐいなのかもしれないと思い始めていた。
「と、とにかくさ、あと何時間かで透子が来るから。そうすれば、この部屋からもお別れだし、ね!?」
亜希は佐々とらしく大きな声で明るく言ったのだった。
雪
透子を待っている時間も長く感じられたふたりは落ち着かない気持ちでテレビニュースを見ていた。
ニュース番組ではさっきからこの近辺が大雪になる可能性を伝えている。
「雪が積もったらなにしようか」
亜希が楽しげな声で質問する。
都会暮らしのふたりにとって雪が積もることは、楽しいことのはずだ。
けれど和也はさっきから浮かない顔をしている。
どうしても視界の端にあの鏡が入ってしまうのだ。
せめて布の色が白とか、地味なものならそれほど気にならなかったかもしれない。
「雪だるまに雪うさぎ、雪合戦もいいよね」
「子供かよ」
和也がぼそりと呟く。
「なによ、やらないの?」
「……やるけど」
やっぱり少しは楽しみみたいだ。
「そうだ。透子が来る前に散歩でもしない?」
亜希は窓の外へ視線を向けて言った。
このあたりは少し入ればすぐに森になってしまう。
でも、コテージの周辺であれば安全なはずだった。
コテージの入り口にあった売店も気になっている。
「まぁ、散歩くらいなら」
あまりこの部屋にいたくなかったのか、和也はすぐに頷いた。
売店まで行って帰るだけならきっと30分もかからない。
それでも、離れたかった。
「よし、じゃあ行こう」
亜希は元気に立ち上がったのだった。
☆☆☆
ふたりが部屋を出て歩き始めると、まもなく雪が振り始めた。
チラチラと舞うように空から落ちてくる雪に亜希は足を止めて空を見上げた。
雪の塊は大きくて、頭や肩に乗っても簡単には溶けない。
こんな雪が振り続けるのだから、スキー場ができることにも納得がいった。
「すごいね雪。なんだか舐めたら甘そうに見える」
「そうか? 暖かそうには見えるけど、でも実際は冷たいんだよな」
普段から雪に馴染みのないふたりはああだこうだと言い合いながらのんびりと歩く。
しかし次第に寒さは強くなり、雪の量も増えてきた。
売店に到着した頃には、周囲の音と色をかき消してしまうように雪が降り続いていた。
「いらっしゃい」
12畳ほどの小さな売店にいたのは50代後半くらいの女性だった。
女性はカウンターからこちらを確認してニッコリと笑う。
ふたりは軽く会釈をして売店の中を見て回った。
亜希はさっそくめぼしいお菓子を手に取っていっている。
和也は雑誌狭いコーナーで漫画雑誌を選んでいる。
「今日はすごい雪ね。積もったら、たくさん遊べるんじゃない?」
会計のときにそう声をかけられたので、亜希は頷いた。
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