第5話
1日目はちゃんと掃除もされているようで、お湯をためるだけでよかった。
「さっきおじさんが晩御飯の差し入れをくれたよ」
リビングへ戻ると、和也が玄関の前に立っていた。
その手にはハンバーグの乗った大皿がある。
「わぁ、おいしそう!」
ラップの下のハンバーグはまだ湯気を立てていて、作りたてなのだとわかった。
「でもどうして? 食材はたくさんあるのに」
「おじさんの、お母さんがたくさん作ったから持ってきてくれたんだって。家が近いんだと思う」
近いと言ってもここは山の中だ。
わざわざ持ってきてくれたということは、宿泊者のために余分に作ってくれたということだろう。
夕飯を作る手間の省けたふたりはすぐに食卓につき、食事が終わるころにはお風呂もたまっていた。
「じゃあ、私先に入るね」
お風呂の準備をする亜希を見て、和也がなにか言いたそうな表情を浮かべた。
「なに?」
「いや、あのさぁ……」
和也の視線がテーブルへ向かう。
そこにはあのメモが置かれていた。
気味が悪いけれど、なんとなく捨てられずにいるのだ。
「そいうえば、『やってはいけないことリスト』にお風呂のことが書いてあったんだっけ?」
なにが書いてあっただろうかと、テーブルに近づいてメモを読んだ。
3、お風呂で鼻歌を歌ってはいけない。
それを見て亜希は和也が言いたそうにしていたことを理解した。
亜希はお風呂に入るとつい鼻歌を歌ってしまう癖があるのだ。
「わかった。今日は絶対に鼻歌は歌わないから、安心して」
そう言うと和也はホッとした様子で微笑んだのだった。
無事にお風呂も終えて、夜の9時になる頃には和也も亜希もそれぞれの部屋に入っていた。
コテージは一階建てで、それぞれの部屋はリビングに隣接してある。
「じゃあおやすみ」
と、声を掛け合って部屋に入るとすぐに眠れるかと思ったが、和也はなかなか根付くことができなかった。
長旅のせいで逆に目が冴えてしまっている。
しばらくベッドに横になって目を閉じていたけれど、1時間ほどで喉の乾きを感じて目を開けていた。
その間にも眠ったような眠っていないような、ふわふわとした感じがしていた。
ベッドから抜け出してリビングへ続くドアを開ける。
電気をつけなくても、大きな窓から差し込む月明かりでリビングの様子はだいたいわかった。
キッチンへ向かい、冷蔵庫を開ける。
そこに入っている500ミリのお茶のペットボトルを取り出すとそのまま部屋に戻るつもりだった。
しかしリビングを通り過ぎようとしたそのとき、どこからともなくすすり泣きの声が聞こえてきて足を止めた。
うぅぅ……うぅぅ……。
微かに聞こえてくる声は小さな女の子のものに聞こえる。
そう言えば、隣のコテージには小さな女の子が宿泊していたっけ。
その子が泣いているのかもしれないと思い、窓へ近づいた。
薄いカーテンを開けて隣の建物の様子を確認する。
しかし窓から明かりは漏れておらず、車もなかった。
そこでふと、そういえば昼間あの家族は帰っていったのではなかったかと、思いだしのだ。
じゃあ、この声は……?
うぅぅ……うぅぅ……。
泣くような、苦しむような声はよく聞けば外からではなく、内側から聞こえてくるような気もする。
そうと気がつくともうそこには居られなかった。
和也は弾かれたように足って部屋に戻ると、布団を頭までかぶって身を丸めた。
☆☆☆
昨日聞いた声は夢か、幻か。
夜中に何度かウトウトしては目を覚ますを繰り返していた和也は、徐々に日が明けてきていることに気が付かなかった。
そして何度目か目を閉じたときのこと「キャアア!」リビングから聞こえてきた亜希の悲鳴にハッと目を開けた。
ベッドから飛び出してリビングへ向かう。
「亜希!?」
リビングへのドアを開けたとき、亜希がそこに呆然と立ち尽くしている姿が見えた。
その向こうにはあの姿見があったのだ。
亜希は両手を口にあてて目を見開いている。
「その鏡……どうして元に戻したんだよ!」
この鏡は昨日ふたりでようやく物置に移動させたところだった。
亜希だって、その大変さを味わったはずなのに。
しかしそこまで考えて不自然なことに気がついた。
鏡は昨日持とうとしても持ち上がらないくらいに重たかった。
それを、亜希1人がここまで移動させてきたとは思えなかったのだ。
それに、亜希はさっきから青ざめて震えている。
「私じゃない。起きたら、ここにあったの」
目が冷めてリビングへやってきたら、すでに鏡がここにあったという。
信じられないことに和也は目を見開いた。
でも、亜希が1人でこの鏡を移動できないことはすでにわかっていることだった。
残る可能性は、管理しているおじさんだ。
この鏡の存在を知っていて、なおかつ物置に移動したと知っているのはおじさんしかいない。
「でも、こんなことをする理由は?」
亜希にそう質問されて黙り込んでしまった。
おじさんがこんなことをする理由はなにもない。
和也と亜希を怖がらせたってなんの得にもならない。
と、いうことは……。
いろいろな可能性を消し去っていって残るのは、この鏡が自分からこの部屋へ戻ってきた。
ということだけだった。
和也も亜希も何も言えずに鏡の前で立ち尽くす。
鏡に駆けられている真っ赤な布が、まるで血に染まってそうなってしまったかのように見えて、鳥肌がたった。
「倉庫の鍵は昨日返したんだよね?」
亜希に聞かれて和也は何度も頷いた。
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