第4話

亜希はそう言うと、部屋に備え付けられている電話の受話器を手にとった。

これは内線だけで使用するタイプのものだから、『1』のボタンを押すとすぐに管理室に繋がるようになっている。



『はい、こちら管理室です。どうしましたか?』



すぐにおじさんの声が聞こえてきた。



「あの、根本です」


『あぁ、君たちか。どうしたんだい?』


「えっと、リビングにある鏡なんですけど、なんだかちょっと怖いので、移動してもいいですか?」



聞くとしばらく沈黙がおりてきた。



『怖い?』


「あ、えーっと、その、布の色が赤色で、だから」



気分を悪くさせてしまっただろうかと焦り、しどろもどろになってしまう。



『あぁ、なるほど! それなら倉庫に移動させてもかまわないよ』


「いいんですか?」


『もちろん。悪いけど、僕はこれからちょっと用事があって出かけなきゃいけないんだ。倉庫への移動は自分たちでしてくれるかい?』



リビングから鏡がなくなるのなら、とりあえずそれでいい。



「わかりました」



亜希はそう答えて、電話を切ったのだった。


☆☆☆


それから5分後、ふたりが宿泊している部屋のチャイムが鳴った。

再開していたゲームを中断してふたりで出ると、透子のおじさんが倉庫の鍵を持ってきてくれていた。



「鍵はまた取りに来るから」



おじさんはそう言って忙しそうに立ち去ってしまった。

ここまで来たなら倉庫まで運んでくれればいいのに。

亜希は内心そう思ったけれど、忙しそうなおじさんを見るとなにも言えなかった。



「先に倉庫の中を見てみようか」



そう提案したのは和也だった。

倉庫の中には貸し出し用の遊び道具とかが入っていると言っていたことを思い出して、興味が湧いたのだ。

ふたりはコテージから出て広い庭を突っ切り、小屋のような形をした倉庫へむかった。


亜希が倉庫の鍵を開けてドアを開いてみると、そこにはバスケットボールや縄跳び、テニスのラケットなどが詰め込まれていた。

近くに川や湖があるのか、夏に来た時にも遊べるような浮き輪や救命ジャケットもある。


けれど倉庫の中には若干のスペースが空いていて、そこになら鏡を置くことができそうだ。

倉庫を確認して部屋へ戻ろうとしたとき、隣のコテージから人が出てくるのが見えた。

そこに宿泊していたのは4人家族みたいで、大人の男女と、女の子が楽しげに話しながら車へ向かっている。



両手には荷物を抱えているから、今から帰るんだろう。

亜希が家族の様子をぼんやりと見つめていると、母親らしき人と視線がぶつかった。


亜希は慌てて笑顔を浮かべて会釈する。

女性も同じように頭を下げて、荷物を車に積み込んでいく。



「なにボーッとしてるんだよ、早く鏡を移動しよう」



和也に言われて、亜希はまた歩き出したのだった。


☆☆☆


窓辺に置かれている鏡に近づとなんだか嫌な感じがした。

ここへ来たときにはなにも感じなかったけれど、あの妙なメモを発見してしまったせいで、変に意識してしまう。


近づくのも、触れるのもなんだか怖い。

そう思っていたのは亜希だけではなかったようで、和也も鏡を前にして動けずにいた。



「なんか、怖いよな」



苦笑いを浮かべて言う和也に亜希は頷く。



「あんまり触りたくないよね」



けれど、このままずっとリビングに置いておくのも嫌だった。

この部屋にいる間中、ずっとこの鏡を意識していることになってしまう。


仕方なく、二人は鏡に近づいて左右から持ち上げることにした。



「あれ、思ったよりも重たいな」



二人がかりなら簡単に持ち上げることができると思っていたけれど、和也は顔をしかめた。

その鏡は思ったよりも重厚感があり、左右から持ち上げようとしてもなかなかうまくいかない。


ずずっずずっと床をこするように移動していく。

だけどそうするとフローリング部分が傷つきそうで怖かった。



「もう少し持ち上げて……」



ふたりで同時にグッと力を込めて持ち上げた瞬間、かけてあった布がズレた。

赤い布はそのままズルズルとずれていき、床に落下する。


鏡にはコテージの様子が映るはずだった。

だってそれは、鏡なのだから。


だけどそこに浮かび上がってきたのは見たこともない小さな女の子の姿だったのだ。

女の子は青白い顔をしていて、額から血を流している。

その血は頬を濡らしてポタポタと床へ落ちていく。



「キャア!!」



悲鳴を上げたのは亜希だった。

和也も咄嗟に鏡から身を離していた。


しかし鏡の中を覗き込んでみても、映っているのはコテージの内部の様子だけだった。

女の子の姿なんてどこにもない。

血に濡れた、女の子の姿なんて。



「今の……見た?」



亜希がカタカタと小さく体を震わせて聞いてくる。

和也は無言で頷いた。


そして布をしっかりと鏡に掛け直す。

今度は簡単に外れないように、布ごと手で握りしめて運ぶ。


早く、早く。

そんな気持ちでふたりは鏡を倉庫へと運んだのだった。


☆☆☆


重たい鏡を運び終わった後は少しだけ汗をかいていた。

それは動いたせいだけじゃなくて、冷や汗も混ざっていたと思う。


二人はまたコテージへ戻ると、今度は明るいアニメ映画を見始めた。

少しでも雰囲気を変えるためだ。


陽気な音楽と楽しい映画の内容にだんだんと気持ちも落ち着いてくる。

さっき鏡の中に見えた女の子はきっと幻覚で、勘違いだったんだ。


あんなメモを見てしまったし、隣のコテージから出てきた子どもたちを見たから、妙な連想をしてしまったに違いない。

アニメ映画を見終わるころには、ふたりともそう考えるくらい余裕ができていた。



「そろそろお風呂に入ろうか」



映画を見終わったころには外は随分と太陽が傾いてきていた。

普段ならまだまだ外で遊んでいる時間だったけれど、今日は旅の疲れもあってふたりとも早く休憩したかった。


亜希がお風呂場を覗いてみると、そこには少し小ぶりな浴室があった。

清潔感がある浴室にホッと安堵のため息を吐き出す。

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