会いたくなかった男⑤

 連れて来られた場所は住宅街――と言っていいのかどうか。

 人が住んでいそうな家がそこそこあるけれど、一軒一軒は離れていて空き家もある感じだった。

 郊外と一言で言っても、高峰組の邸宅がある辺りとはまた雰囲気が違っている。


 そんな中、明らかに空き家と思われる平屋の住宅に橋場は入っていく。

 一応つくりはまだしっかりしているけれど、鍵も壊れていて中は目に見えてほこりが溜まっていた。


 全体的に和風なつくりの家の中に土足で上がり込む橋場。

 私は土足で上がるのを一瞬ためらったけれど、このほこりの上を靴を脱いで上がりたくない。

 大体靴も上履きのままなので、このままでいいってことにした。


 そのまま進んだ橋場は、手前の広めの部屋を指し黒髪たちに指示を出す。


「お前らはここに居ろ。俺はとりあえず奥で一発ヤッてくるからよぉ」


 その言葉に私は色んな意味で顔が引きつった。


 嘘でしょう⁉

 そりゃああまり期待はしてなかったけど、こんなほこりまみれの場所でそういう事するの⁉


 場所以前にしたくないんだけれど、尚更嫌になる。


「ちょっ、待って。本当にここでするの? せめて違う場所にしない?」

「ああ?」


 したくないし場所も嫌だし、時間稼ぎにもなりそうだしと思って提案する。


「あ、私初めてだし……こんなほこりまみれで汚い場所なんて嫌なんだけど。せめてもうちょっと綺麗なところに移動しない?」


 でも、当然ながら橋場は気にしていないみたいだった。


「初めてとか関係あるかよ。どうせ気にならなくなるんだ、移動する必要ねぇよ」


 いや、気にすると思う!


 内心の突っ込みは言葉には出来なかった。


「橋場さんの言う通りだよ」


 私が口を開くより先に黒髪の男が遥華を茶髪の方に押しつける。

 そして香梨奈さんの腕を掴み、ほこりまみれの床に押し倒した。


「なっ⁉ げほっ……なにして⁉」

「こうしてヤられんだ。ほこりとか気にしてらんなくなるって」


 ほこりが舞って咳き込む香梨奈さんの両手首を片手で掴み拘束する黒髪は、橋場にも劣らない昏い目をして笑っていた。


「最初見たときから良いなって思ってたんだよ。とりあえず一回ヤらせろって」

「はぁ⁉ 何馬鹿なこと言ってんの? 大体その女が大人しくしてれば手を出さないんじゃなかったの⁉」


 まさか自分が襲われるとは思わなかったんだろう。

 さっきの私たちの約束を持ち出して抗議する香梨奈さん。

 でも、黒髪はそれはそれは面白そうにニタリと笑った。


「手を出さないのはそっちの人質の二人。あんたは入ってねぇよ」

「なっ⁉」


 言葉を失う香梨奈さんを見て、確かにそれはそうだけど……と思う。

 私はしのぶと遥華が無事なら良いと思ってあの約束をした。

 そこには確かに香梨奈さんは入っていない。


 でも……。


「ふざけんな! 協力してやってるでしょ⁉ 私に触んな!」


 バシィッ


「っえ……?」


 尚も騒ぐ香梨奈さんの頬を黒髪がためらいもなく打つ。


「うっせぇなぁ。良いだろうが、お前は初めてじゃねぇんだろ?」


 心底うざったそうに言い捨てる。

 香梨奈さんは打たれた痛みと恐怖がじわじわと湧いてきたのか、表情に怯えの色がにじみ出ていた。


「っ、ひっ……やだぁ!」


 あれだけ強気だった香梨奈さんのものとは思えないほどの弱々しい悲鳴に、見ているこっちまで辛くなる。


 私のことを憎んでいるという香梨奈さん。

 しのぶを人質に取って、ナイフを当てた酷い人。

 でも、震えながら涙を零す彼女を見て……ざまあみろとは思えなかった。


「ぃや……いやぁ!」


 殴られるのが怖くて震えて。

 でも無理やりな状況に抵抗を見せる香梨奈さん。


「私はただ、一番になりたかっただけなのに……っ」


 泣きながら小さく叫ぶ様子は胸を締めつけられるくらい可哀想で……。


 私は、彼女がどんな人生を歩んでそこまで一番にこだわるのかを知らない。

 理不尽な憎しみを向けてきたり、人質を取ったりするような人だ。

 同情する必要があるとも思えない。


 ……でも、子供のように泣きじゃくる彼女を見て。

 悲しそうに何かをひたすら求める目を見て。


 放っておけるわけがなかった。


「止めて!」


 気づいたら、そんな声を上げていた。


「ああん? なんだよ美来。こいつはお前の大事なオトモダチってわけじゃねぇだろ?」


 良いじゃねぇか、と不満の声を上げる黒髪の男。


「そう、だけど……でも、止めて」


 庇う言葉は浮かんでこない。

 だから止めて欲しいとしか言えなかった。


「あのなぁ、お前それ我が儘じゃねぇ? 大体俺もうその気になって――」

「まあ、いいぜ?」


 黒髪が言い終わらないうちに橋場が声を上げる。


「でもそうだな? 美来、お前の方から俺にキスしたら止めさせてやるよ」

「なっ⁉」


 ふざけた交換条件に私は数秒言葉を失った。


「橋場さん、そりゃないっすよ」

「てめぇは地元に四人くらい女いるだろうが。我慢しとけ」

「えー? このまま連れ帰って五人目にしようと思ってたんっすけど。解放するのもそこの二人だけでよかったはずっすよね?」

「じゃあ後でしつけとけよ。とりあえず今は止めとけ」


 クズな会話にまた別の意味で言葉を失っていると、黒髪が私を見た。


「だとよ。どうする美来? 俺はしなくてもいいと思うけど?」


 ニヤニヤと、明らかに面白がっている。

 私が橋場にキスしなければ、このまま香梨奈さんを襲うだろうってことはその顔を見れば分かった。


 香梨奈さんを見ると、その顔には怯えと不安と疑心と……色んな感情が入り混じっている。

 私に借りを作るようなことになってしまうのは嫌だけれど、襲われなくて済むなら誰に助けられてもいい。

 でも憎んでいるとまで言った私が助けてくれるのか。

 

 ……そんなところだろう。


 私が香梨奈さんを助ける義理はない。

 一方的に憎しみを向けられて、しのぶを傷つけて。

 私からしても香梨奈さんは嫌いな子だ。

 そんな相手、知ったことじゃない。


 ……そう思えれば良かったのに。


「……分かった。するよ」


 嫌いな子でも、このまま襲われるのを黙って見ている事だけは出来なかった。


「へぇ、そうか」


 楽しそうに極悪な笑みを浮かべて橋場がグッと近づく。

 思わず身を引きそうになったけれど、その前に腰に手を回し引き寄せられた。


「じゃあ、してもらおうか?」


 大嫌いな男の腕に閉じ込められ、嫌悪感にゾワゾワと鳥肌が立つ。

 しかも私がキスしやすいように顔も近づけてくるから、嫌だって気持ちが抑えられない。


「ははっ相当嫌そうだな? やめてもいいんだぜ? どうせ全部奪うからな」

「くっ……」


 助けが遅くなって、キスされたり触られたりはするかもしれない。

 そのくらいの想定はしていたから、人助けのためにキスするのだってあまり変わらない。

 自分に言い聞かせるように今にも暴れ出したい衝動を抑えた。


 睨むように、目の前の橋場の顔を見つめる。

 こんな男に自分からキスしなきゃないとか……自分からするなら、幹人くんとしたかった。


 本当のファーストキスを貰ってと頼んだ私の大好きな彼氏

 次こそは好きになった人とキス出来るんだって思ってた。


 でも、こんなことになって……。


「ほら、どうした? やっぱやめるか? その場合そこの女はメチャクチャにされるし、お前も俺に貪られるだけだからどっちでもいいけどな」

「……する、わよ……」


 悔しさと悲しさに絞り出すような声が出る。


 私への仕打ちがどっちにしろ変わらないって言うなら、たとえ嫌いな相手のためだとしても人助けになる選択をした方がマシだと思った。


 それに、時間稼ぎにもなると思うから……。


 大丈夫、助けは来てくれる。

 少しだけ、嫌なことを我慢すればいいだけ。


 言い聞かせて、顔を上げる。

 ニヤついた顔を見ないように目を伏せて、橋場の唇に自分のそれを寄せた。


 目を閉じると浮かぶのは幹人くんの顔で……。


 尚更辛くなった私は心の中でごめんね、と届かない謝罪をする。


 橋場の吐息を唇で感じて嫌悪に涙が滲んだ。


 でも、やらなきゃ……!


 そう覚悟を決めたときだった。



 ブォンブォン、と外からバイクのエンジン音が聞こえる。

 何台ものバイクの音が聞こえたと思ったら、今度はこの空き家の玄関ドアが壊れてしまいそうな勢いで開かれた。


「美来!」


 私を呼ぶ声に、頭だけでも振り返る。


 普通に考えれば真っ先に来るのは奏か銀星さんたちのどちらかだった。

 でも、一番来て欲しかったのは彼で……。

 その来て欲しいと思っていたその人が来てくれたことに心が震えた。


 私は喜びのまま、彼の名を呼ぶ。



「幹人くん!」

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