黒幕③

「嫌い? 嫌いじゃないわよ、憎んでいるの」

「なっ⁉」

「何であんたみたいな女がいるのよっ。あんたさえいなければ、私はこんなに苦しまなかったのに!」


 向けられる激情に言葉が詰まる。

 好かれることの方が多い私だけれど、もちろん嫌われることだってある。

 でも、これほどの強い感情をぶつけられたことはない。


「どうして、そんなに……?」


 憎いと言われるほどのことを私はしてしまったんだろうか?

 香梨奈さんに関しては八つ当たりされているだけだと思うし、ここまでの憎しみを向けられるいわれはないと思う。


「不思議? まあ、そうでしょうね。あなたが特に何かをしたわけじゃないもの」


 釣り気味な目に憎しみを湛えたまま、引きつるような笑みを浮かべる香梨奈さん。

 そんな彼女が紡ぐ言葉は、まるで呪いでも吐き出している様だった。


「あんたが悪いわけじゃないことくらい分かってるわ。それでも憎まずにはいられないの! それだけあんたは私にとって邪魔なのよ!」

「……」


 一息に言い切った香梨奈さんに私はもはや何も言えない。

 全部分かっていて、それでもこんなことをしてしまうという彼女に掛ける言葉なんて思いつかなかったから……。


「はぁ……とにかくついて来てもらうわ。私ももう後には引けないのよ」


 感情を吐き出すようなため息を吐いて、香梨奈さんはデザインナイフを構えたまましのぶの腕を引き歩き出した。


***


 途中、何人か先生や生徒とすれ違うことはあった。

 でも香梨奈さんはしのぶのと腕を組むようにしてデザインナイフを上手く隠しながら歩いていたから、一見仲良く歩いている様にしか見えないみたいで素通りされてしまう。


 私はその様子を後ろから見てハラハラしながらついて行った。


 気づいて欲しい気もするけれど、気付かれてしまったら香梨奈さんは強硬手段に出てしまうかもしれない。

 しのぶが傷つけられるかもしれない状況を想像すると、気づかないで欲しいとも思ってしまう。


 しのぶは時折私を見て心配そうな眼差しを送ってくる。

 ケガをするかもしれないのは自分の方なのに、私を心配してくれている。


 こんなときまで私の心配しなくていいのに。

 まったく、いい子過ぎるよ。

 そんなしのぶが更に心配になった。


 何とか目的地につく前に隙を見てしのぶを助けないと。

 どんなに強く憎まれていたとしても、香梨奈さん相手なら対応出来る。


 どこに連れて行かれるのかは分からないけれど、きっとついてしまったら他にも誰かいるんだろう。


 以前彼女が【月帝】の下っ端を使って私を襲わせようとしたことは記憶に新しい。

 似たようなことをするんじゃないかって想像はつく。


 だからやっぱりついてしまう前に何とかしないと……。


 気は焦るけれど、慎重にいこうと香梨奈さんに集中してついて行った。

 でも――。


「あれ? 美来様?」


 思いがけず私が声を掛けられてしまう。


「っ! あ、あなたは……」

「こんなところで何をなさってるんですか? 今はお着替えしているころなんじゃ……」


 そう言って不思議そうに近づいてきたのは、いつも凝ったお菓子の差し入れをくれる調理部の一年の子だ。


「あ、その、ちょっとその前に用事が出来てしまって……」


 言い訳を何とか口にしながら前の二人を見る。

 しのぶは強張った表情で固まっているし、香梨奈さんは冷たい目をこちらに向けて足を止めていた。

 余計なことは言わずさっさと切り上げろ、とその目が語っている。


 まったく、そんな目で見なくても分かってるわよ!


「そうなんですか? 美来様の天使姿楽しみにしているので早くご用事終わらせてくださいね?」

「う、うん。ありがとう」

「……美来様?」


 普通に笑顔を見せてこの場をやり過ごすつもりだった。

 でも、意識がしのぶと香梨奈さんの方に向いていたこともあって表情に出さないよう気をつけるのを忘れてしまっていた。

 ただでさえ顔に出やすい感情。出ないように気をつけることも忘れた私の笑顔は、かなり引きつったものになってしまったみたいだ。


「あの、どうなさったんですか? 何かお困りでも?」

「あ、いや……」


 マズイ!

 やり過ごすの失敗した!


 何とか誤魔化さないと、と思いながら前の二人の様子を見る。


「っ!」


 そして固まった。


「いっ……」


 しのぶの顔が痛みを耐えるように少し歪んでいる。

 香梨奈さんの表情は苛立ちを垣間見せていて、その手にある小さなナイフがしのぶの手の甲に押し付けられていた。

 ナイフの先端が食い込んでいるところから、ぷっくりと赤いものが出てくるのが見える。


「っ!!」


 胸にこみ上げてきた焦燥感に突き動かされるように、私は足を動かした。


「大丈夫よ。ごめんね、急ぐから」


 心配してくれる後輩に短く伝えて二人の所に行く。

 そのまま一緒に早足で歩き出した香梨奈さんは、ボソリと告げた。


「あんた馬鹿? 人質の意味分かってる?」

「っ!」


 冷たく放たれた言葉に私は何も返せない。


 失敗した。

 失敗した!


 さっきやり過ごせなかったことをじゃない。

 失敗したのは、香梨奈さんの警戒心を強めてしまったこと。


 目的地につくまでに隙を見て逃げ出そうと思っていたのに、警戒心を強めてしまった彼女は隙を見せないだろう。


 それに、少しとはいえナイフをしのぶの体に当てた。

 人を傷つけることを本気で躊躇わないという事だ。


 次に香梨奈さんの意に沿わないことをしたら、きっともっと深い傷をしのぶに負わせる。

 小さな刃だって、急所に刺せば大事になるんだ。

 これ以上しのぶを傷つけるようなことは出来ない。


 ああ……せめて目的地では逃げるチャンスがあればいいけど……。


 後悔と共に可能性の低い期待を抱きながら、私は小走りになった香梨奈さんについて行った。

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