甘い特訓 前編

「と、言うわけで。特訓しよう? 幹人くん」

「いや、話は分かったけどいきなりだな⁉」


 授業も終わって、生徒会やらハロウィンパーティーの準備やらの仕事も終えた私たち。

 忙しいのはもうパーティー前日の準備くらいだからと、夕方には帰ることが出来た。

 だから幹人くんと連絡を取り合って一緒に帰って来て、今は彼の部屋にお邪魔しているところ。


 道中如月さんたちとのやり取りを話して、部屋に入ったところで今のセリフだ。


「だって、『別れた方がいい』なんて言われて悲しかったし、悔しかったんだもん」


 如月さんにそう言われたからといって本当に別れるつもりなんて毛頭ない。


 でも、私たちのお付き合いはそう思われるようなことなのかと悲しくなった。

 そして悔しくて、誰にも文句が言えないようなカップルになりたいと思った。


 幹人くんが仲間から次期総長として不安がられているっていうのも嫌だったし。


「美来……」


 嫌な気持ちを思い出してうつむいていた私の頬に、チョン、と幹人くんの指が触れる。

 その指にうながされるように彼の顔を見上げると、仕方ないなと言いたげな優しい困り笑顔があった。


「ま、俺も次期総長として威厳が無くなんのは困るからな。八神さんの顔を潰すわけにはいかねぇし」


 明るい声で頑張ると言ってくれた幹人くんに、私の気分も上昇する。


「うん!」

「でも特訓ったって、何するんだ?」


 首の後ろを掻きながら、笑顔を無くし本当に困った顔になる幹人くん。

 まあ、当然といえば当然の疑問。


「そうだね……要は私に対しての耐性をつければいいんだから……」


 人差し指を口元にあてながらうーんと唸って考える。


 いきなりキスは多分無理だし、手を繋ぐところから?

 でも手を繋ぐのはこの間したし……。


「とりあえず、ギュッてする?」


 両腕を軽く広げて見せて、聞いてみる。


「っ⁉」

「ほら、そこですぐに照れちゃうからダメなんだよ。せめて抱き締めてからにして?」


 すぐに息を呑んでカァッと顔を赤らめる幹人くんを叱る。

 聞いてみただけでこんな風になってたら、しっかりハグするのに何日かかるか分からない。


「いやお前、そんなおねだりするみたいに……あーもう! わーったよ、覚悟決めるよ!」


 赤い顔のまま何か言っていたけれど、ヤケになったかのように叫んで幹人くんも腕を広げた。

 その腕がゆっくりと私の身を囲う。

 触れていないのに、もう抱きつかれているみたいだ。


「……っ」

「……」


 どちらも無言になって、より緊張してしまう。

 まだ触れていなくても、この近さならお互いの体温を感じとれて……。

 幹人くんの熱い体温を知って、私も熱くなってきた。

 トクトクと少しずつ心音が早くなっているのが分かる。


 あ、マズイ……幹人くんには偉そうなこと言ったくせに……。

 私も、かなり緊張してる。

 今の私の顔、絶対に赤いよ。


 それくらい全身が熱くなってきてるもん。


「へへ……私も緊張しちゃうかも……照れるね」


 熱さを誤魔化すように幹人くんを見上げて笑う。


「っ!」


 すると、いつものように息を呑んだ幹人くんは――。


「美来っ!」


 思わず、というようにギュウッと私を抱きしめた。


「っ⁉……え?」


 こんな風に力任せに抱きしめられるのは初めてだ。


 幹人くんの引き締まった筋肉に押されてちょっと苦しいけれど……それ以上に嬉しかった。

 さっきよりも直に体温を感じて、お互いの熱が混ざり合うかの様。


 大好きな人と抱き合うのは、こんなにも幸せになれることなんだなぁ……。

 温かくて、熱くて、それでももっと鼓動は駆け足になって……。


 でも、私の心臓の音よりも幹人くんの心臓の方が凄く大きく聞こえる。

 ドッドッドッと、振動まで伝わってきそうな音。


 幹人くんも、私と同じように感じてくれてるのかな?


 それを確かめるように、私もそっと幹人くんの背中に手を添えた。


「っあ、わりぃ。苦しかったよな?」


 私の手のひらが幹人くんの背中に当てられると、彼はハッとして少し慌てた口調で言う。

 同時に腕が緩んで、優しい抱擁になった。


「ううん、大丈夫」


 むしろちょっとだけ残念な気分になる。

 ギュッと強く抱き締められると、その強さの分だけ幹人くんが私を思ってくれているのだと感じるから。


 でもずっとあのままだと本当に苦しくなってしまうだろうから、緩めてくれて良かったんだと思う。


「……」

「……」


 また、無言になってしまった。

 でも気まずい感じはしない。

 お互いの体温を感じて、大きく鳴っていた胸の鼓動も幾分落ち着いてきた。

 ちょっと照れるけれど、好きな人の存在を直に感じて幸せな気分になる。


 洗剤の香りかな?

 石鹸のような爽やかで優しい香りがする。


 ……幹人くんの匂いだ。


 その香りを感じて、またドキドキと心臓が早鐘を打つ。


 温かくて、心地よくて……幸福感がハンパない。

 寒い朝のお布団以上の心地よさに、ずっとこうしていたいと思ってしまう。

 幹人くんの特訓のためにしていることだけれど、もしかしたら私自身がこうしたかっただけなのかもしれない。


 チラリと、あまり顔を動かさないようにして幹人くんを見る。

 真っ直ぐ見て目が合ってしまったら、きっとまた彼は緊張してしまうだろうから。


 幹人くんは耳を赤くさせながらも落ち着いた表情をしている。

 私と同じように、心地いいって思っているのかな?


「……なぁ、美来」

「な、何?」


 声を掛けられて、一瞬盗み見ていたのがバレたんだろうかとビックリする。

 でも幹人くんの手がぎこちなく私のおさげに触れたことで違うと分かった。


「髪、ほどいて良いか?……触ってみてぇ」

「い、いいよ……」


 まさかハグ以外のこともしようとしてくれるとは思わなかったから、異様にドキドキしてしまう。


 幹人くんは痛くないようにと気を使ってくれているのか、ちゃんと両手を使ってゴムを取ってくれる。

 でもある程度ゴムが緩むと、私の黒髪はサラサラと勝手にほどけていった。


 二つとも解いて、手櫛でくように触られる。


 今までも女友達や如月さんに髪を触られたことはあるけれど、こんなに緊張してドキドキしたことなんてない。

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