夕日色に染まった君と 後編

 人が通って見られていることに気づいた私たちは、流石に恥ずかしくなって離れた。

 でも、まだ別れがたくて……。


「その……俺の部屋、来るか?」

「え?」

「あ、変なことはしねぇぞ⁉ ただもうちょい話してぇな、とか……」


 また真っ赤になって慌てる久保くんに思わずクスリと笑う。

 だって、同じことを考えていたから。


「うん、私ももっと話したい」


 同意した私はそのまま久保くんの部屋にお邪魔した。

 お茶を用意してくれた久保くんは、先に座っていた私の横に腰を下ろす。

 気恥ずかしさを誤魔化すようにお互いお茶を飲んだ。


 話したいとは言ったものの、何を話すべきなのか……。

 大体今まで彼氏なんていたことないんだ。

 具体的にどうすればいいのか正直分からない。


 私のカレカノ知識なんてせいぜい少女漫画程度だし。

 だって、お付き合いするのって初めてのことだから……。


「えっと、その……私たち、彼氏彼女になったんだよね?」


 好きだと伝え合ったけれど、付き合うとは言ってなかったな、と思いまずは確認してみた。


「っぐふっ!」


 するとお茶を飲んでいる途中だった久保くんは何故かむせてしまう。


「ええ⁉ ちょっ、大丈夫?」

「ケホッ……あ、ああ……大丈夫だ。……そう、だよな。カレカノになったんだよな」


 むせて耳を赤くさせる久保くんは、「そうか……美来が俺の彼女……」と呟いていた。

 私も、久保くんが私の彼氏……と心の中で繰り返して実感していく。


 恋人同士に、なったんだ……。


 じわじわとまた喜びが湧いてくる。


 恋人同士……手を繋いでデートしたり、さっきみたいに抱き合ったり……そして、キスとかするんだよね?

 キスは、初めてじゃないけれど……。


「久保くん、その……キス、とかもするんだよね?」


 確認のように聞いた私の言葉に、久保くんはどう思ったのか慌てだした。


「キッ⁉ ま、まあ……恋人同士なら? あ、でも嫌ならしねぇからな⁉」


 赤くなったり青くなったりと忙しい久保くん。

 落ち着いて欲しくて、私はそっと彼の手に自分の手を重ねた。


「っ!」


 でもそれもちょっと緊張してしまうのか、落ち着かせるより硬直させてしまう。

 触らない方が良かったかな? と思って離れようとしたけれど、そんな私の手を追いかけるように今度は久保くんの方から握ってくれた。


「……美来に触れられるの、嫌なわけじゃねぇからな? 突然だとまだ緊張しちまうけど、むしろ嬉しいから……」


 そう言うけれどやっぱり照れはするのか、頬と耳が赤くて少し視線を逸らされる。

 そんな優しい久保くんにまた胸が温かくなって、笑みを浮かべて私は口を開いた。


「……私も嫌じゃないよ?」

「え?」


 何が? という言葉を表すような表情で視線が戻ってくる。


「キス……。むしろ、久保くんだからして欲しい……」


 自分からキスをねだるような言葉を口にするのは恥ずかしかったけれど、このまま言わずにいたら全く手を出されないなんてことになりかねないと思ったから……。


「好きでもない人たちに四回も奪われて……でも、だからこそ決めてたの。好きな人とのキスを本当のファーストキスにしようって」


 続きは恥ずかしくて、言葉にする前に顔に熱が集まってくる。

 握ってくれた手をギュッと握り返して、意を決して見上げた。


「私のファーストキス、貰ってくれる?」

「……」


 ジッと私を見る久保くんは無表情で固まってしまっている。


 はしたないとか思われちゃったかな?


 なんて不安に思っていたんだけれど……。


「……久保くん?」

「……」


 あれ?

 久保くん呼吸してる?


「久保くん⁉」

「っは!」


 私の強い呼びかけに止めていたらしい息を吸い込む久保くん。

 むせるようなことはなかったけれど、少し苦しかったのか呼吸を荒くしていた。


「あ、悪い……息止めてんの気付かなかった……」

「ええぇ……?」


 今すぐキスをして欲しいと言ったわけじゃない。

 貰ってくれるかと聞いただけ。


 しかも体の初めてを貰ってと言ったわけじゃなく、ファーストキスをだ。

 それだけなのに呼吸止めちゃうとか……。


「久保くん……前途多難すぎるよ……」


 他の女の子とはキス以上のことしてたのに私には出来ないとか……まあ、それだけ大切に思ってくれてるからだって分かってはいるけれど……。

 この分だと、私の方からキスしたら本当に息の根を止めてしまいそうで怖い。


「うっ……悪ぃ。……でも、したくないわけじゃねぇからな? 正直言うと、キスしたいとか抱きたいとか、そういう気持ちは今でもあるんだ!」

「っ! う、うん」


 あまりにも純情な反応に、そういうことをしたいとは思っていないのかなと考え始めていた。

 だから直接的な言葉で伝えられた私は一気に鼓動が早まる。


 抱きたい、とも思ってたんだ……。


 服越しで触れるのすら緊張しているのに、まさかそういう欲求がまだあったとは思わなくてドキドキしながら驚く。


「でも、美来の全部が大事で……大事すぎて……壊してしまいそうで怖いんだよ……」

「……私、そんな簡単に壊れないよ?」

「それでも、大事にしたいんだって」


 そこまで行ってくれる久保くんに、彼を好きになって良かったと心から思う。


 ……でも。


「でも、今すぐじゃなくてもキスはして欲しいな……好きな人とのキスは、憧れでもあったから」


 不当に奪われた初めてのキス。

 その後も何度も奪われた。


 だからこそ尚更、好きな人とのキスに憧れたんだ。


「それは……俺もしたい」


 真剣な目で見下ろされて、ドクンと大きく心臓が跳ねる。

 そのままドキドキと胸を高鳴らせながら見つめ続けていると、手を握っていない方の手がそっと私の頬に触れた。

 壊れ物を扱うように、ゆっくり優しく。


 包み込まれた頬が思った以上に熱くて更に鼓動が早くなる。


 もしかして、キス……してくれるの?


 大丈夫なのかな? と心配もあるけれど、好きな人との――久保くんとの初めてのキスを止めたくなかった。


 真剣な顔が近付いてきて、真っ直ぐ見つめられるのが恥ずかしくなった私はそっと瞼を伏せる。

 駆け足になった鼓動の音が大きくなって、耳の奥で直接鳴っているみたいな感覚。


 ドキドキしながら待っていると……。


 チュッ


 リップ音と共に久保くんの唇が私に触れた。

 ……私の額に。


 久保くんの唇と、頬を包んでいた手が離れて行くのと同時にゆっくり瞼を上げる。


 唇にされるかと思っていたから、勘違いが恥ずかしい。

 でも、額へのキスもそれはそれで嬉しかった。


 何より、瞼を上げて見えた久保くんの顔が私以上に照れている様子だったから……。


「……悪ぃ……今はこれが精一杯だ」


 今の久保くんが出来る最高の愛情表現だったから……。

 胸がきゅうっと締まって、喜びしか湧かなくなった。


 久保くんが触れた感触を守るように片手を額に当てる。


 ああ、もう、本当に……好き。


 そんな気持ちにしかならない。


「十分だよ。……でも、いつかはファーストキス貰ってね?」


 嬉しいけれど、やっぱりそこは憧れだからとお願いする。


「っ! あ、ああ」


 照れながらも頷いてくれた久保くんは、そのまま首の後ろを掻きながら「じゃあ、さ」と遠慮がちに話し出した。


「俺からも頼みがあるんだけど……」

「頼み? 何?」


 聞き返す私に、久保くんは顔をそらしたまま視線だけをこちらに向ける。


「その……俺のこと、名前で呼んでくんねぇ?」

「へ?」


 考えてもいなかった頼みに間抜けな声が出てしまう。


「だってお前、同級で俺のことだけ苗字呼びしてるだろ?」

「……あ」


 言われて初めて気づいた。

 完全に無意識だった。


 女友達は当然のように名前呼びだし、勇人くんと明人くんは当然ながら同じ苗字だから名前呼びするしかない。

 高志くんは……確かはじめ苗字知らなかったから名前呼びしてそのまま……。


 確かに、久保くんだけ苗字呼びしていた。


「あ、そうだね。そういえば久保くんだけ名前で呼んでなかった」


 他の男の子は名前呼びしてるのに彼氏だけ苗字呼びっていうのは私もどうかと思う。


「じゃあ、えっと……」


 今まで苗字で呼んでいた人のことを名前で呼ぶというのは普通に照れ臭い。

 ましてや彼氏。

 気恥ずかしさに自然と頬が赤らんだ。


「み……幹人?」

「ぐふっ!」


 頑張って呼び捨ててみたのに、彼は喜ぶどころか胸を押さえてうずくまってしまう。


「久保く――幹人?」


 思わずまた苗字呼びしそうになって、慌てて名前で呼ぶ。


「ちょっ! 待った。……ダメだ、刺激が強すぎる……」


 胸を押さえていた手を私に向けてストップのジェスチャー。


 でも刺激って……名前呼んだだけだよ⁉

 ある意味さっきのおでこにキスの方が刺激になるんじゃないの?


 困惑しながらも私は彼が落ち着くのを待った。


「ふぅー……悪ぃ」


 大きく息を吐いて体を起こすと、気まずげに謝られる。

 まあ、それもそうだ。

 名前で呼んで欲しいと言ったのは彼なんだから。


「いいけど……でも名前で呼んだらそうなっちゃうとか。どうすればいいの?」

「……くん付けで」


 気まずそうなまま申し出られた。

 でもせっかくの提案なので実践してみる。


「……幹人くん?」

「っ! お、おう」


 くん付けなら確かにうずくまったりはしないみたい。

 ちょっとは照れ臭そうではあるけれど、こっちならそのうち慣れてくれそうな感じだ。

 まあ、私もくん付けの方が照れずに言えそうだからいいけど。


「じゃあ、幹人くんって呼ぶね」

「ああ」


 そうして、その後も私たちは他愛のない話を続けた。

 手を繋いで、恋人同士になったんだと実感しながら。

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