二年前の記憶⑥

「ふざけんじゃねぇぞ⁉」

「そっちがその気なら俺達だって!」

「っ⁉ お前ら、何やって⁉」


 色んな声が聞こえる。

 さらに増した怖さに、何があったのかと思わず原因を探した。


 そして見つけた光。

 満月の明かりを受けてきらめいたそれは――刃物。


 ケンカをする何人かが、大ぶりのナイフを手に持って振り回していた。


「っ!」


 な、に?

 あんなの持ち出して……。

 殴り合いだけでもケガをするのに、あんなの使ったら下手すると死人が――!


「……っぃや」


 止めて!


 そんな声を出したような気がする。

 でも、男達の怒声にかき消される。


 怖い。

 嫌だ。


 人が死ぬところなんて見たくない。

 ケンカも嫌だけれど、それは時と場合によっては仕方のないこと。

 でも、人が死ぬ可能性が高くなる刃物は……絶対にダメだ。


 彼らの事情なんて知らない。

 でもリーダー格の二人も慌てている様子だから、きっとこれは想定外のこと。


 嫌だ、止めて。

 止めなきゃ!


 そう思っても声は届かない。

 どうすれば、と目をつむると最近気に入って何度も聞いていた旋律が頭の中に流れてきた。


 外国の、平和を願う歌姫の歌。

 あの旋律が、彼らに届けばいいのに。

 そう思ったら、口ずさんでいた。



 戦いを止めて。

 身近な憎しみではなく、広い愛を見て。

 太陽のように明るい未来をその目に映して。



 そんな歌を。


 今は夜で太陽はないから、その太陽の光を反射して光っている月を見た。

 下を見ると悲しくなるから、美しい月虹と共に鏡月を見つめる。


 吸い込まれそうな白い月。

 全ての悲しみを吸い取ってしまって。


 そう願いながら、一心に平和の旋律を口にした。


 外国の歌手らしい力強い旋律の歌。

 基本はゆったりしたバラードなのに、強く引き込まれる歌。


 その歌を歌う。


 月に向かって歌い終えると、辺りがシンと静かになっていることに気づいた。


 真剣に、願いを込めて歌いきった達成感と心地よい疲労感。

 それらに一息つくと、さっきまであった怒声が聞こえない。


 ……あれ?


 私は歌に集中して月ばかりを見ていた。

 そのためいつの間にかしっかり立ち上がっていたんだ。

 つまり、私の存在がモロバレてるってこと。


 気づかれていないと思いたいけど、ものすごく視線を感じる。


 いつからこんなに静かになったのかは分からないけど、歌い終わる頃にはシンとしてた。


 ということは、歌声は聞こえていたわけで……。


 気づかれないわけがなかった。



「おい」


 下から、明らかに私に呼び掛けたと思われる声がする。


 無視、しちゃだめだよね……?


 そう思って恐る恐る下を見る。

 そして力強い眼差しの黒い目と合った。


「っ!……お前、降りて来い」


 息を呑む音の後に命令される。

 従いたくなんてなかったけれど、このまま上にいるわけにもいかなかった。

 逃げたくても、それにはやっぱりここから降りるしかなくて……。


 結果、命令に従うように降りていく。


 一応はしごはあったけれど、そこまでの高さはないからそのまま命令してきた黒髪のリーダーっぽい人の前に飛び降りる。

 そうして立ち上がると、彼は私より頭一つ分ほど大きかった。


 この人は私をどうするつもりだろう?


 命令通り降りてはきたけれど、私は彼を警戒しつつ逃げ道を探していた。

 来た時に使った非常階段は彼らを通り越した先にある。

 そっちを目指すよりは、ビルの中に入ってそこから逃げた方が望みがありそうだ。


 そんなことを考えてビルの中に入れる出入口をチラッと見ていたせいだろうか。

 そのスキをついて腕を掴まれ、引き寄せられてしまった。


「っえ?」


 驚いている間に腰を抱かれて顎を掴まれる。

 獣のような黒い瞳が、すぐ近くに見えた。


「……綺麗だな」


 そう呟いた唇が、重なる。


 …………え?

 重なる?


 唇に触れる柔らかいものは、この名前も知らない相手の唇。

 驚きで見開いた目に映るのは、獲物を狙う獣のような黒い瞳。


 触れるだけのものだったけれど、軽く吸い付かれて小さくリップ音が鳴った。

 離れていく男の顔が、ニッと俺様な笑みに歪む。


「お前、俺の女になれ」

「……は?」


 そのふざけた命令にも頭が痛くなりそうだったけれど、私はそれよりも唇を奪われたことの方が重要だった。


 だって、今のは両親以外で初めてするキス――ファーストキスだったんだから。


 初めてのキスは好きな人と。

 そんな普通の憧れを持っていた私。

 昔から何かと狙われやすかった私は、特にその憧れを大事にしていたんだと思う。


 キスくらいは普通に、憧れるままにって。


 なのに、奪われてしまった。

 こんな、名前も知らない不良に、突然。


 嘘……。


 信じたくなくて、頭がくらくらする。


 こんな奴すぐにでもぶん殴ってやりたいけれど、ファーストキスを奪われたショックが激しい。


 そうして抵抗も出来ずにいると、黒髪の男に攻撃を仕掛ける人がいた。

 肩のあたりを狙って蹴りが繰り出され、それを避けるために黒髪の男は私を離すしかない。


 拘束が解かれてホッとしたのも束の間。

 今度は攻撃してきた相手に捕まってしまった。


 後頭部を掴むように腕が背中に回され、体をくっつけられる。

 簡単には逃げ出せない格好になって相手を見ると、そのホワイトシルバーの髪の男はもう片方の手で私の髪をいていた。


「綺麗な髪だな……それに――」


 と、眼鏡の奥から焦げ茶の瞳が鋭く私を見る。


「美しい……まるで月の化身だ」


 神聖な言葉のようにそう紡いだ唇が、また私の唇を塞ぐ。


 っ⁉ また⁉


 セカンドキスも奪われてしまったけれど、流石に今度は抵抗する気力が出せた。


「んっんぅ!」


 呻き、男の胸を押す。


 でもその抵抗のせいか、逆に逃がさないと力を強められてしまった。

 最後にはなぞるように唇を舐められ離れていく。


「お前はアイツにはもったいなさ過ぎる。俺のになれ」


 またも言われるふざけた命令。


「なっなっ……⁉」


 もはやどこから文句を言えば良いのか。

 怒りが次から次へと湧いてきて言葉にならない。


 すると今度はその眼鏡の男に黒髪の男が殴りかかってくる。

 さっきとは逆の光景。

 眼鏡の男は私を離して攻撃を避けた。


 でもさっきとは同じにならない様に私はすぐに彼らから離れる。

 また捕まってはたまらない。


 幸い、また誰かに捕まることは無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る