二年前の記憶⑤

 ネットで親友の裏アカウントでの悪口を見つけたあの日。

 後から確認したら濡れ衣だったんだけど、あの頃いっぱいいっぱいだった私はそれを見つけただけで感情が爆発してしまった。

 奏に何も言わず、スマホと財布だけを持って家を飛び出したんだ。


 何も考えず電車に飛び乗って、ただひたすら鉄の箱に揺られながら真っ暗な外を見つめていた。

 どこまで来たのかも分からなくなったころ、何だか大きめの街に来たな、と思って電車を降りてみた。


 少し前からずっとスマホがバイブで震えている。

 表示された名前は奏のもの。

 何度もかかってくる電話に出るつもりが無いのに、電源を落とさなかったのは単純に嬉しかったから。


 こんな状態でも心配してくれている人がいるというのが、純粋に嬉しかった。

 でもそんな嬉しさにも、今は浸りたくなかった。


 繋がりはちたくないのに、それを拒否したい心情。

 矛盾しそうな感情は、きっと今の自分がメチャクチャになっているからだ。


 どうしたらこの感情を落ち着かせることが出来るんだろう。

 どうやって吐き出せばいいんだろう。


 分からなくて、繋がりは絶ちたくなくて。

 でもスマホが知らせる奏からの電話に早くしろとせっつかれているようで……。


 だから私は、スマホをそのまま駅のコインロッカーに入れて夜の街に飛び出した。



 何かをしたいわけじゃないから、ただ人の波に紛れて歩く。

 でも、ふと視線をやった先に交番が見えてハッとした。


 こんな夜中に中学生が一人で歩いていたら補導されてしまう。

 今はまだ、荒れ狂う感情を落ち着かせる事が出来ていない。

 こんな状態で保護されたって、気持ちの整理が出来る気がしなかった。


 それに何より、今は人と関わりたくなかった。


 だから、交番とは逆方向に進んで人気のない場所を求めてさまよったんだ。



 人気のない場所。

 明かりのない場所。

 暗い場所は危険だと分かっていたけれど、そっちの方向しか選べなかった。


 むしろそんな危険な場所で悪い人にでも会って、ケンカでもすれば気も晴れるだろうかなんて考える。


 そんな暴力しかないケンカなんて、私は嫌いだったはずなのに。

 そんな嫌いなことでもしてみようかと思うくらい、どうでもよくなってるのかも知れない。


「バッカみたい……」


 自嘲して、泣きたいのに涙が出てこない目を上に向ける。

 そうしたら、真円しんえんの白色が目に飛び込んできた。


 真っ黒な夜空に浮かぶ、洗練されたような白い満月。

 暑苦しい夏の夜に、その白はとても涼し気に見えた。


 その涼しさが、荒れ狂う感情の熱も冷ましてくれる気がして……。


 だから、もっとよく見たいと思った。


 周りにある、一番高いビル。

 その非常階段が使えそうだったから、つい上って屋上まで来てしまった。

 不法侵入という言葉が頭を過ぎるけれど、ちょっとだけならバレないよねと誰にするでもない言い訳をする。


 そのビルの屋上はフェンスに囲まれている以外何もなく、思ったより広く見えた。

 私は少しでも月をよく見たくて、屋内から屋上に出れる出入口の屋根部分に上る。

 そこから見上げると、まあるい満月といくつかの星々しか見えない。


 私は寝そべって、何も考えずボーッと鏡のような月を見ていた。

 よく見ると月虹げっこうも見えて、綺麗だなと思う。


 何の解決もしていないけれど、こうしていると落ち着けた。

 真っ白な月が、私の中にある悲しみや悔しさを吸い取ってくれているような気がした。


 どれくらいそうしていたのか。

 しばらくして、ガチャッと音を立てて屋内から人が出てくる気配がした。


 ヤバイ!

 ビルに明かりはついてなかったから誰もいないと思ったのに⁉


 パッと見窓から明かりが漏れているところはなかったので、誰もいないと思っていた。


 もしかして警備員さんとか?


 そう思って警戒しながら隠れる。

 寝そべっていたから、見つかることはないと思う。

 このままやり過ごせれば……。

 と思っていたのに、何だか様子がおかしい。


 警備員さんって、普通は一人。多くても二人くらいだよね?


 屋上に出てきた人物は、一人二人なんてものじゃなかった。

 ぞろぞろと。

 まさにぞろぞろと屋上に多くの人が出てくる。

 話し声も聞こえたので、それがすべて男の人だというのも分かった。


 そーっと頭を少し上げて、彼らが何者なのか様子を見る。


 みんなどこかの学校の制服を着ていた。

 全部見れたわけじゃないけど、多分みんな同じ制服だと思う。

 そして、ピリッとした緊迫した雰囲気も感じ取れた。


 二人のリーダー格っぽい人達が現れるとその緊張感は最高潮に達し、どちらかが「始めるか」と言葉を発すると張り詰めていた糸が切れるかのように文句の言い合いが始まった。


 よくは分からないけれど、お互いに不満に思っていることが多々あったらしい。

 そして、口論から始まったケンカは当然のように手が出始める。

 バキッと、リアルな音が私のところにまで届いた。


「ひっ!」


 声が出そうになって、慌てて両手で口を押さえる。

 ケンカ自体は、自己防衛のためにやむにやまれずしたことは私もある。

 でもそれはほんの数人の相手だったり、ケンカをしても途中で逃げたりと、あくまで自己防衛のためのもの。


 今眼下で繰り広げられているような、血を流しても止めず、逃げることもない本当のケンカを目の当たりにしたことはなかった。


 やだ……怖い……。


 もし見つかったらどうなっちゃうんだろう。


 ケンカに巻き込まれるかな?

 この人数相手に逃げ切れるかな?


 不安しか湧いてこない。


 私はギュッと口を引き結び、目をつむり、耳を塞いだ。

 そうしてやり過ごそうと思っていたのに、ふと空気が変わったことに気づく。


 ……何?


 耳を塞いでいた手を離すと、静寂があった。

 でもそれは一瞬のことで、すぐにさっきよりも大きな怒号どごうが行き交う。

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