閑話 八神司狼

「……う……ろう……起きろよ、司狼」

「……んぁ?」


 肩を揺すられて、俺は目を覚ました。

 何か疲れたなと思って奥のソファーに横になっていたんだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 起き上がり、あくびを嚙み殺して俺を起こした男を見た。


 稲垣いながき孝紀こうき

 一応【月帝】のNO.2を務めている男だ。


 孝紀は見た目も悪くはないし、副総長を務めるだけあってケンカも強い。

 それに俺のフォローを良くしてくれたりと頭もいい。

 ある意味パーフェクトな男なんだが……。


「孝紀、気配消すなっていつも言ってんだろうが」

「あのなぁ……。いつも言ってるけど、俺は気配消してるつもりはねぇっつーの」


 呆れたように言い返してくる孝紀。

 そう、どんなにパーフェクトな男でもこの稲垣孝紀という男は……存在が空気なんだ。

 自分から動いて名乗り出たりしない限りほぼいる事すら気付かれない。

 さっき、転入生の女がこの部屋に来た時もそうだ。

 俺のすぐ横に孝紀はいたというのに、あの女はそこに誰かがいることにすら気付いていなかった。

 色付き眼鏡をしていたから分かりづらかったが、視線が一度も孝紀の方へ行かなかったのは確かだから間違いないだろう。


「それより司狼、そろそろ約束の時間なんじゃないか?」

「あ?」


 言われて窓の外が暗くなっていることに気付く。

 記憶にあるのはまだ太陽が見えていた時間だったから、結構寝ていたらしい。


「もうそんな時間か……」


 呟いて立ち上がると、俺は孝紀を引き連れて部屋を出る。

 出たところに、丁度幹人がしゃがんで待っていた。


「あ、八神さん起きたっすか? じゃあ行きましょう」


 そう言って立ち上がり、幹人は俺の後ろに付き従う。

 今から行くのは東校舎の生徒会室手前にある会議室だ。


 月一程度の頻度で生徒会長の坂本さかもと千隼ちはやと【星劉】の総長如月きさらぎ怜王れおの三人で、ある人物の情報共有のために集まっている。

 幼馴染でもある俺達だが、今ではそこまで仲がいいわけではない。

 千隼とはこの集まりがなければ疎遠だし、怜王に関してはむしろ敵対している。

 それでもこの集まりだけは三人とも欠かさず出席していた。


 誰かが彼女の情報を得たかもしれない。

 誰かが自分を出し抜いているかもしれない。

 それを確認するために。


 特に今日は夏休み直後でもあるため、誰かが情報を得ている可能性が普段より大きい。

 少しは期待もしてしまう。

 ……まあ、自分のところでは何も掴めなかったのだから期待するだけ無駄かもしれないが。


 会議室に入ると千隼と怜王がすでに座って待っていた。

 千隼は同じ生徒会役員でもある二年の男を一人連れている。

 将来は千隼の秘書を務める予定で、今から付き従っているのだそうだ。


 まあ、名前は忘れたが……。


 でも、まるで千隼という王子を守る騎士のように常に傍にいるから、俺は内心騎士野郎と呼んでいた。


 そして怜王はいつもの赤青コンビを連れている。

 この二年の双子が【星劉】のNO.2とNO.3らしいが、どっちがどっちなのかは分からない。

 まあ、どうでもいいことだが。


「遅かったね。さあ、座って」


 千隼が王子様らしい微笑みを浮かべてそううながす。


 ったく、本性は全く違うくせに……。


 そうは思うが、坂本グループの跡取りなんだからそうしなきゃならないってことは俺も分かっているつもりだ。

 だがそうやって本心を隠すようになってしまったから、俺と千隼は疎遠になってしまったとも言える。


「それで? お前たちは何か情報を掴めたのか?」


 俺が座ると同時に怜王が本題を切り出した。

 効率重視なこいつらしい。


「それがさっぱりだね。今年は範囲をさらに広げてみたんだけれど、情報は一切なしだ」


 先に答えたのは千隼だ。

 千隼は自分が動かせる範囲で坂本グループの人間を使って情報を集めている。

 俺や怜王とは違う伝手つてだから、期待していたんだが……。


「……こっちも情報は無しだ。ったく、青みがかったグレーの瞳なんて特徴的な目ぇしてんのに、何でこうも情報が集まらねぇのか……。そういうお前はどうなんだ? 怜王」

「こっちも同じだな。もっと範囲を広げるべきか?……いや、見落としがあったという可能性もあるが……」


 怜王は俺の問いに答えつつ、一人で考察を初めてしまった。

 そんな怜王の言葉に千隼が反応する。


「見落としか……。そういえば、今日転入してきた彼女はどうだった?」


 転入してきた彼女――あいつか。

 幹人にわざわざ連れて来させた女。

 地味のお手本のような格好で、すぐにないなと思った。

 だが一応良く見てみることにしたのは、きつく結ったロープみたいな黒髪が案外綺麗だったからだ。

 月に照らされた彼女の髪に、少し重なったから……。

 しかも目の色が薄いと言われたらじかに確認しなきゃならないと思った。

 まあ、結果は違う色だったが……。


「髪は良く見ると綺麗だったからな。目も確認しようとしたが、兄妹揃って薄茶色らしい。【かぐや姫】じゃあない」


 考察を一時中断し、怜王がキッパリと告げる。

 だから俺も付け加えた。


「俺も直に確認した。本人も言っていた通り薄茶色だったよ」


 口にしながらその時のことを思い出す。

 何が何でも眼鏡は取りたくないと言う女。

 逆に怪しかった。

 それに、その前に青みがかったグレーか? と俺が聞いたとき少し反応があった。

 実際には違う色だったが……。

 本人ではないにしろ、なにがしかの関係はあるのかもしれない。


 それに、あんな地味で顔を隠している女なんて不細工に決まってるだろうと思っていたが……。

 上目遣いで俺を見た様子は……何というか……可愛かった。

 不細工だろうという先入観があったから、そのギャップで普通より可愛いと思ってしまっただけだろう。


 でも、一瞬でも可愛いと思ってしまった心はなぜか収まってくれず、俺は内心焦った。

 だからあとはもうあの女のことは見なかったし、気分を変えるために雑誌なんかを読んでみたりしてしまった。

 今考えると俺らしくない行動だったかもしれない。

 孝紀も幹人も何も言わないから大丈夫だとは思うが……。

 とにかく、あの転入生のことは少し気にしておいた方がいいかもしれない。


 幸い幹人が同じクラスでしかも隣の席だ。

 幹人に言っておけば何かあれば報告するだろう。

 あとは気にした方がいいかもしれないことをここで言うべきかどうか……。

 あくまで“かも知れない”だし、なんとなく言いたくはないと思う。

 そう考えていると、【星劉】の双子が話し出した。


「【かぐや姫】じゃないなら逆に良かったかもな。俺たち美来気に入ってるし」

「そうだな、総長達が探してる【かぐや姫】だったら俺たちで遊べねぇからな」


 青頭が言い、赤頭が同意する。

 すると、俺の後ろで幹人も話し出した。


「あ? 美来ってあの地味女か? おい、あいつに先に目を付けたのは俺だぞ? 手ぇ出すんじゃねぇ」

「そんなん知るかよ。大体名前も覚えてなかったくせに先に目を付けたとか、笑わせるよな」


 幹人の軽い威嚇に青頭がジェスチャー付きで馬鹿にする。


「地味女のくせに意外と度胸あって面白そうだと思ったばかりだからな。でもてめぇらに渡すくらいならさっさと俺のオモチャにするさ」


 青頭の挑発にムッとした幹人だったが、余裕の笑みを浮かべてそう言った。


「俺は同じクラスだからな。お前らよりあいつに近ぇし」

「……同じクラスだからって、逃げられたら終わりじゃん? 俺たちは兄のかなちゃん経由で近付くから確実だし」


 青頭の言葉に、そういえば兄がいたなと思い出す。

 でもかなちゃんって……まあ、あの顔とそっくりならそう呼びたくもなるか……?


「ははは。彼女、変に気に入られちゃったみたいだね。高志たかし、あの子があまりひどい目に遭わない様に少し様子を見ておいてくれないか?」


 幹人たちのやり取りを見ていた千隼が自分の後ろの騎士野郎に向かって言った。

 高志と呼ばれた騎士野郎は、あまり表情を変えずに「分かりました」とだけ答える。


 この鉄面皮が。

 表情が硬すぎて何を考えているのか良く分からない野郎だ。

 まあ、とにかくあの美来とかいう地味女のことは二年の連中で様子を見ることになりそうだ。


「じゃあ、転入生の子は二年の連中が様子を見るってことでいいか?」


 俺の思ったことを孝紀が口にして話をまとめる。

 でもその瞬間、この部屋の中にいる全員が驚きの表情で孝紀を見た。

 そして怜王が最初に口を開く。


「……稲垣、お前いたのか……?」

「ごめん、気付かなかったよ」


 困ったように笑いながら千隼も続く。

 俺も心の中でだけ謝っておいた。

 連れてきたのは分かっていたのに、少し……いや、本気で忘れかけていたから……。


「あ、ははは……。いいよ、いつものことだし」


 孝紀は遠い目をしながら乾いた笑いをこぼしていた。


 とにかく転入生のことは二年の連中に任せることになる。

 【かぐや姫】の情報は今回も空振りだったが、俺は何かが変わる予感がしていた。

 あの美来という地味女が、何かを変える――波紋を作る雫のように思えて。


 目をつむれば、満月の下美しい黒髪をなびかせた姿が鮮明に思い出される。

 二年たった今も色褪いろあせることはない。

 それくらい印象的だった。


 月に向かって恋しそうに歌う彼女はまるで本当に【かぐや姫】のようで……。

 彼女を手に入れるためなら、どんなことでもしようと思えるほどに。

 他の二人になんて渡すつもりはない。


 【かぐや姫】を手に入れるのは、俺だ。

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