第三十八話 帰還の朝、病室で

 病室の窓際のデジタル時計は、午前八時五十分を指していた。

 睡眠不足の目に朝の陽光が刺さる。希海は大きな欠伸をしてからベッドの安らかな六の顔に視線を戻した。


 冥対本部附属病院、特別医療棟。昨晩門の向こう側に消えた六は、機動局員の到着前にあっさりと帰って来た。人間の姿に戻ったかと思えばそのまま気絶し、ここへ運び込まれたのだ。


 担当医の話に依れば、六の体の傷は前代未聞の治癒力で急速に回復しているらしい。意識もすぐに戻るだろう、と。これも帰冥体の恩恵なのだろうか、と希海は考えてみた。 


「休んだらどうですか? 流石に希海ちゃんも疲れてるだろうし……それに、頬とお腹だって」


 隣に座る天音が希海の顔のガーゼを見て言った。六が満身創痍だと聞いてここへ飛んで来てから、二人で寝ずに長い夜を過ごしたのだ。そのおかげか希海は大分彼女と仲を深められた。「羽宮さん」と言う遠慮がちな呼び方も変わったが、希海が言っても何故か敬語だけは頑なに辞めなかった。


「六に比べれば私なんて何ともないよ。そういえば、天音ちゃんこそお仕事は大丈夫なの? 職員の人達は後処理が大変そうだって看護師の人が言ってたけど」

「先輩と希海ちゃんが心配だって瞬君に言ったら、局長に掛け合ってくれてここに居させてもらえる事になりました、希海ちゃんも一人で不安だろうから任せたって。瞬君、ああ見えて気遣いのできる優しい人なんですよ、仕事はいい加減ですけど」

「良かった……ん、待って? 天音ちゃん、瞬君は先輩呼びじゃないんだね」

「あの人は年上ですけど私より冥対に入ったのが後なので。あと先輩呼びするほど尊敬してないです」

「あ、そこはちゃんと分けてるんだ……」


 そんなやり取りをしているうちに、病衣の六がやっと目を覚ました。


「六! 良かった……気分はどう? お医者さんはすぐに良くなるんだって! あ、着替えは見てないから。天音ちゃんも君の事が心配でここに……」

「希海! 体は無事か!? ヴェロニカに蹴られた傷は? あの女、殺す前にもっといたぶっておけば良かった……それより……いや、「それより」ではないな……冥界の監視者達が!」

「二人共落ち着いてください! ツッコミが居なかったら会話の交通事故が起きてますよ!」

「お前ツッコミの自覚あるのか」

「あ」


 天音はいつものように顔を赤らめ、俯いて黙り込んだ。

 暫しの沈黙。それを破ったのは希海の方だった。


「そういえば、私と天音ちゃん見て。どっか変わったの、分かる?」

「……あ、寝てないだろ。お前ら目にクマができてるぞ。顔の皺も酷い」

「うん、不合格。そのまま起きなければ良かったのに」

「はあ? いきなり何なんだよ……」

「髪型ですよ、髪型! 先輩が起きるまで、お互い相手の髪型を変えてみたんです」


 希海は左右へ首を振り、下の方で結んだ二つのお団子を六に見せた。

 それは不安がる天音の気を紛らわせようと、希海が提案した遊びだった。最初は拒んだ天音だったが、アメリカ生まれの希海の、綺麗な金髪に触れるならと受け入れた──本当は地毛ではなく、自分で好きな色に染めているだけなのだが。

 整える暇なく招集された天音の髪で、希海は三つ編みを作ってやり、お礼に天音は彼女に最も合うと感じたこの髪型にした。


「似合ってるでしょ? 私これからこの髪型にしようかな」

「あ、ああ……」


 照れ、というより何かを思い出したように、六の態度がよそよそしくなった。


「え、引いた? 私達が可愛すぎて……?」

「いや違う。というか、お前の自己肯定感は一体どうなってるんだよ」  


 そう言う声にはいつもの覇気が無い。そういえば冥界向こうで何があったのだろうか、と希海はふと思った。


「それより、大事な話がある。情報量が多すぎてどこから話せばいいか分からないが、お前はとんでもない奴らに命を……」


 その時、廊下からこちらに近づいて来る忙しない足音が聞こえた。三人がそれに気を取られていると、やがて扉を勢いよくスライドさせ、看護師の女性と息を切らしたフランが何やら言い合いながら入って来た。


「困ります、局長と言えど面会の方は一度許可されてからじゃないと!! 受付に戻って名前を記入して来て下さい!」

「そんなの待ってられるもんですか! 可愛い部下がなんか変身して、なんか門から帰って来たんだよ!? それに、こっちは昨日の後始末が忙しくて死にそうなんだ、そんな時間無いわ!」

「いくらなんでも自分勝手過ぎますよ! あと院内ではお静かに!」

「私は局長だぞ!? これは局長権限です、きょくちょうけんげ~ん!!」


 大声で堂々と職権乱用するフランを、三人は白い目で見た。


「恥ずかしいので帰って下さい、局長」


 天音が言った。看護師は溜息をついてから、「これ以上他の患者さんへの迷惑だけはかけないように」とだけ言い残して出て行った。


「うぇっ!? てか二人とも髪型変えた!? めっちゃ似合ってる! ところで六君、もう意識が戻ったんだね。体の調子は?」

「殆ど回復してるみたいです。死にかけてたのに、正直気味が悪い」

「帰冥体……だっけ? 職員づてに希海ちゃんから聞いたよ。恐らくそれのおかげだろうね……全く驚いた、単純に斥冥力が増えてるんだろうか? それとも強化外骨格みたいに体外から影響を?」

「とぼけないで下さいよ、局長。あなた達上層部は帰冥体や『パンドラの箱』について知ってるんじゃないですか?」

「え? いや、私は帰冥体なんて言葉、昨日初めて聞いた。それに『パンドラの箱』って……?」


 六はフランの顔を覗き込んだ。機動局局長であるフランは、冥対において全ての情報にアクセスできる権限を持つ「フェーズ5職員」である。彼女が知らないとしたら、冥対のデータベースにすら無い情報ということになるだろう。


「俺は監視者から聞いたんです。俺達の罪の話、無限世界の支配律、希海の……」

「……私の?」

「待って、六君。向こうで何があったかは分からないけど、私すら知らないんだ、君の話は世界を変えるくらい重要な可能性が高い……後で個人的に聞かせてもらう。ここで話せば、希海ちゃんや天音ちゃんも危険に巻き込まれるかも知れないからね」


 六はフランだけではなく、希海にも言いたい事が山ほどあった。それは箱を持ち出した母についてだけではない。しかし六はもどかしさを抑え、話はそこで終わった。


 フランは扉の横にあった小さな椅子を天音の隣に運んで座り、三人に切り出した。


「実は私がここに駆けつけたのは、六君のお見舞いだけじゃないんだ。私達にとって、良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」

「良いニュースから!」

「悪いニュースで」


 六と希海の声が重なった。二人の不毛な言い合いの末、悪いニュースからという事になった。


「じゃ悪いニュース。希海ちゃん達を回収した班からの報せなんだけど」


 フランの表情が深刻になった。


「ヴェロニカ・ロウエらしき死体が、見つからなかった」

「え? 確かに俺は意識が混濁してたが……希海、お前は戦闘を見てただろ?」

「う、うん……。確かに君にやられたはず。じゃあ消えて無くなったってこと?」

「それだとまだ良い。希海ちゃんは彼女の死体をずっと見てた訳じゃないでしょ? もし彼女が生きていて、門が現れたゴタゴタの間に逃げ出したとしたら……」 


 希海は昨晩の状況を思い出した。ヴェロニカの体は目を逸らしてしまう程無惨に、磔になっていた筈だ。ただ、その時の彼女は謎多き帰冥体。生存し、自力で逃げ出した可能性が無いとは言えない。現に六だって現代の医療では説明のつかない回復を見せたのだ。


「仮に生きているとしたら、世界中の情報機関が追えなかったテロリストが東京に隠れてるって事になるじゃないですか……!」


 天音の声に不安、というより恐怖が見え隠れしている。


「我々は総力を挙げて彼女を捕まえないといけない。これは冥対の信用にも関わる。あ、この話は極秘ね。彼女の件について報道機関には伏せてある。六君がやっつけたってことにしてるから、存分に自慢してくれ! ははは!」

「俺がするわけないじゃないですか、適当すぎます。もしバレたらどうするんです?」

「その時はその時! 世間様に全力謝罪だ! 大丈夫、報道陣は死体保管所までは入ってこれないし、世界中の冥対がもみ消してくれる。勘違いしないで欲しいんだけど、これは私の判断じゃなくて組織全体の方針。うちはいっつもこんな感じなの。で、お待ちかねの良いニュースだけど」


 そう言うとフランは腕時計を確認して立ち上がり、扉を開けた。


「三人とも、三十分後に二〇三号病室に来てよ。ここの下の階ね」

「三人って、俺は患者なんですよ?」

「大丈夫だいじょぶ、殆ど治ったんでしょ? 看護師の人には言っておくから! 君達に会わせたい人が居るの。それも、二人ね」


 じゃあ私は仕事があるからと言葉を残し、フランは忙しない様子で部屋を飛び出していった。


「フランさん適当すぎでしょ……」

「優秀だけど、正直強くなかったら百回くらい局長辞めさせられてるよあの人」

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