第三十三話 結晶

 今分かった。ずっと、俺は死にたいと思っていた。

 母さんをこの手で殺した日から、ずっと。


 今まで何度も差別された。馬鹿にされた。化け物と呼ばれた。石を投げられた。

 目標も、生きる意味も、何故自分が武器を持つのかも知らないままこの仕事に就いて、人間を殺してきた。仕事を忠実にこなしていれば、少しの間他の事を忘れられた。


 罪を犯した奴は殺していい。奴らは母さんとは違う。自らの意思でこの世界に、人に仇をなす。そういう奴らは大体悪びれもしないような高圧的な態度をしていて、最期には許しを乞うて俺に媚びる。奴らを殺すときに何故か心地良い気分になっていたのは、今思えば自分で自分を殺した気になっていたからなのかも知れない。

 皆俺より弱かったから、簡単に追い詰めることができた。この忌々しい力のおかげで。


 去年のある日、任務でいつものように敵を殺した。その中に俺と同い年ぐらいの子供が居た。

 そいつは俺に殺される時、厄災のせいで入れなかった学校に一度でも行ってみたかったと言った。俺と同じだった。

 俺が高校に通えていたらこいつと同級生になれたかも知れない、そう考えながら引き金を引いた。


 俺はできるだけ世界と関わるのを辞めた。必要ない時は口を噤んで、愛想は見せない。娯楽は読書だけ。任務に必要な栄養を摂るだけで美味い飯は食わない。笑いたくない。そうやって自分だけの狭い部屋に籠れば、五月蠅くて惨い外の世界に押し潰されずに済みそうだったから。

 他の人間は外には楽しくて明るい世界が広がっているよ、と言う。そんなのは自分でも分かっていた。俺が罪から逃げさえすれば、そこへ羽ばたけてしまう事も。


 ただ、その世界で生きる自分を許せなかった。俺の心の中にはまだ母さんが生きている。パンドラである自分を許すと、母さんを忘れてしまいそうな気がした。もう一度殺してしまいそうな気がした。




 ────ヴェロニカの羽根が突き刺さった傷口から血が噴き出し、意識が遠のいていく。もう立ち上がる力も、声を出す力すらも残ってはいない。


 これでやっと母さんのところへ行ける──もう侮蔑と贖罪に満ちた人生には疲れた。暖かい所で休みたい。


 遠くでは希海が泣きながら俺の名前を呼び続けている。そんなに叫んだって俺の体はもう動かないのに…………頼むから静かに死なせてくれよ。


「もうこいつの斥冥力は残っていない────行くぞ、羽宮希海。お前にはやってもらわねばならない事がある」

「嫌!! 六をここに置いて行くなんて絶対にしない!」

「拒むなら半殺しにしてでも連れて行くぞ。その前に…………こいつを殺す。パンドラを虐げる政府の犬は私の手で処分しなければな」


 こっちへ近づいてくるヴェロニカの足を、希海が這いつくばりながら掴み引き止めようとする。


「鬱陶しいぞ。これは私達の信念を懸けた闘いだ。邪魔をするようならお前も同じ目に合わせる」


 ヴェロニカが希海の手を振りほどき、顔を軽く蹴る。軽くと言っても帰冥した彼女と希海との間にあるのは絶望的な力量差。希海は悲鳴を上げ、鼻血がとめどなく流れ出る。


「…………お願いします……六は……六はまだ普通の人生を知らないんです…………普通の人みたいに笑って、学校に行って……友達と遊んで…………家に帰って……今日も楽しかったねって…………そんな日を過ごしたことがないから……私が教えてあげたくて…………」

「お前は何を言っている……私だってそんな人生じゃなかった!! 幼い頃から親に真冬の路上に棄てられ、拾われた末になったのは人体実験のモルモットだ!! 私達は、猟犬はそんな夢はとうに捨てた!! 辛いのがこいつだけだと思うな!!」


 そう吐き捨て、ヴェロニカがまた蹴りを入れる。今度はもっと強い蹴りを腹に。希海は声も上げない。

 やめろ。気分が悪いだろ、これから眠るって時にこいつのそんな顔見せられるのは。希海は俺の────


「私なら何でもするから……いくらでも協力するから…………だから、六だけは殺さないでください…………」




 ────希海の顔を見て、ハッとした。


 死に際に頭に流れる走馬灯。そんなものがあるとすれば、俺のは全部、母さんを殺したあの晩の光景か、俺を詰った人間と俺が殺した人間の表情くらいだと思っていた。


 でも……でも流れるのはそんな記憶じゃない。最初に飛び込んできたのは、あいつが初めて笑った時の顔。車から外を眺める綺麗な横顔。局長の説明を食い入るように聞く真剣な顔。勉強に行き詰った時の悩み顔。問題が解けた時の花が咲くような笑顔。朝に部屋から出て来たばかりの寝ぼけまなこ。特異課のみんなと談笑する顔。俺にいたずらして爆笑する顔。


 そして、二人で冥対を抜け出したあの日、夜の街でふと振り返ったあいつの笑顔。


 頭の中に溢れるのは、誰も関わろうとしなかった俺の世界に土足で踏み込んできた奴の顔。酷く独善的で、底抜けに明るくて、馬鹿で────それでいて美しい、俺に外の世界を見せてくれた羽宮希海という尊い名前の人。




 ずっと、死にたいと思っていた。まで、ずっと。




 俺は希海と二人で、広くて明るい世界に行きたい。

 希海を、守りたい。


 ごめん、母さん。俺は罪から逃げて、自分勝手に生きる。

 母さんが遺した言葉、今なら理解できるよ。






「────あなたの力、その結晶は大切な人を守るためのもの。だから、生きて」









「羽宮希海……これから先お前に待っているのは地獄だ。当たり前の人生などここに捨てていけ。だが数年後には私達パンドラが幸せに暮らせる世界が来る。それま…………」


 横たわっている六に背を向けて話すヴェロニカが、希海の異変に気付く。

 今の今まで怯えていた彼女が、ヴェロニカのを見つめている。目を逸らしているのではない。恐怖に歪んだ表情を湛えたまま、背後を見つめているのだ。


 違和感で思わず振り返る。そこに居る筈の六は消え、代わりに人が一人入ってしまいそうな大きな結晶の球が浮かんでいた。その蒼い球は周囲を公転する数十本もの結晶の柱に守られ、静かにそこに在る。

 希海は何が起こったのか分からないまま、浮遊しながらゆっくりと回転するそれに釘付けになっている。

 

 月明りが降り注ぐ倉庫に、しばしの静寂が訪れる。


 やがて蒼い球体が破裂し中から現れたのは、二足歩行で羽の生えた不気味な、全身が透き通るような蒼い結晶でできた生命体だった。


「六…………ねぇ、六なの……?」


 希海には信じ難かった。体が硬い鉱物に覆われ、牙の生え揃った大きな口でこちらを睨みつける化け物が六であるはずがない。理性は必死にそう言い聞かせるが、目の前の化け物は生きていて、動いているのだ。六が生きているのならどんな姿だって良い。

 その化け物はよく見ると結晶の鱗に身を包み、二本の脚で立ってはいるがガーゴイルのように背は曲がり、両手を地面に添えている。手足の爪は長く発達し、あまりの鋭さに地面には既に痕を刻んでいた。

 そして背中に生えた身体より大きな翼。翼と言ってもヴェロニカのように羽が生えているのではなく、アフターバーナーのような冥子の青い炎を後方へ絶えず噴射している。


 化け物がヴェロニカの顔を見るや否や、天井が崩れ落ちるかと思える程大きな咆哮を上げる。その声に六の面影は最早無い。

 ヴェロニカはそれに呼応するように、倉庫中に響き渡る声で叫んだ。


「ほら、やはりお前も帰冥できるじゃないか…………! そう来なくてはな、宵河六!!!!!」

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