第三十二話 光芒

 第一訓練場の外は数百名の機動局員で溢れかえっていた。


 銃やバリスティックシールドを構えた局員が帳の前で横並びの隊列を作っていたが、あらゆる武器は堅く閉ざされた闇の幕に傷一つ与えることができず、陣形は為す術無く制止したままである。帳の向こうは全く見えない。 


「おお、局長!」


 隊列の後方で本部とせわしなく通信を取っていた壮年の男が、十字架型の剣を担いで到着したフランを遠くに見つけて言った。


「待っておりました。すでに知っていると思いますが、この壁面を破る方法が分からないのです。局長の能力なら…………」

「ご苦労。君ら機動局員はアカデミー敷地外へ退避。一人として残すな。後は私がやるよ」


 男の話を全て無視し、フランは短く告げる。その言葉は男にとって、いや、その場に居た機動局員全員にとって予期しないものだった。

 男は目を丸くする。


「え? いや……私たちもここに残らせて頂きたい」 


 第一訓練場の中には四百名を超えるアカデミー生が生死の分からぬまま囚われている。機動局員の中には彼らの教育に携わったり、個人的に接点がある者も少なくない故に、簡単に引き下がるわけにはいかない。


「これだけの機動局員が集まっておいて、『何もできず帰ってきました』では他の部門の職員に示しがつきません……! それに、私の教え子だって中に居るのです。何かあった時の為に、せめて外で待機を……」

「指示が聞こえなかったのか、糸井? ここに残れば私がお前達を殺す事になってしまうぞ」


 フランの声が低く、冷たくなる。言葉に怒りを込める時の声だ。その冷気にあたった糸井は気圧され、踵を返すようにその場の全員に退却命令を叫んだ。


「任せました。局長……」


 局員が去っていく中、糸井はフランに深くお辞儀して言った。


「うん。中の子たちは全員助ける、安心しろ」




 帳の周囲に人は居なくなり、閑散とした敷地には帳から発せられる呪詛を吐く声のような低い音だけが鳴り続けている。


「さあ~!! パージの許可も出たし、存分に暴れてやりますか!」


 一人残ったフランは、独り言にしては大きすぎる声で叫んだ。


 持っていた剣の、棺桶のような十字の刀身に光が灯る。フランがそれを帳に振り下ろすと、表面はいとも容易く切れ目を作った。




 長い廊下を走り抜け、「第一訓練場」と表示のある入り口が見える。


 三メートル程もある高さの両開きのドアを開ける前に、フランは一呼吸おき、ポニーテールを縛っていた髪留めのゴムを外した。セミロングの白黒髪がふわりと肩に落ちる。


 覚悟を決めて開けたドアの向こうに広がる光景は、この世で最も短い間に作られた地獄と言って良かった。


 スタジアム型となっている訓練場には、四百名のアカデミー生と数十名の教員が膝をつき、手を頭の後ろに回した態勢で横一列に向かい合って並んでいる。

 怯えた少年少女、そして大人達の頭上には計三十を超える数の頭蓋衛星が並び、皆が存在しない目で眼下の哀れな人間達を見つめていた。


 室内に入ったフランに気づき、一斉に助けを求めて叫ぶ人々。血に塗れた広いタイル。数名の死体。そしてその奥でフランと対峙するのはイゾルデ。


「よォ、フランツェスカ・フリートハイト局長。待ってたぜ? 今お前の歓迎パーティーの準備中だ」


 悲鳴を上げる人々は何らかの力に体が拘束されているのか、その場から動けず悲愴な姿勢を保っているだけである。


 遠くのフランに叫んだイゾルデの口元から服には、大量の吐血の跡がある。二人との戦闘では二基ずつしか召喚しなかった衛星を、同時にこの数まで召喚するには大きな負担がかかったのだ。


「ここの全員を解放しろ。私と闘いたく無いんだろう? イゾルデ・クヴァンツ、お前を生かして確保する事が人質解放の条件。これでどう? 私、結構優しいでしょ?」

「人質ィ? ンなの取った覚えはねェな」

「…………あぁ、やはりか。じゃあこの子達をねじ伏せた挙句、数名を殺したのはパーティーの賑やかしの為かな?」

「ぎゃはははははは! こんな状況でも余裕そうだなァ。あんな連中を引き連れてんだ、もっと人間臭い奴だと思ってたぜ」


 ────ふざけるなよ。


 フランは聞こえないようにそう吐き捨てた。 

 冥事対策機構機動局長として、そして日頃から大勢の部下に接する者としてこの訓練場を満たす悲鳴や床に転がる屍を見て何も感じない訳が無い。言葉通りにこの女を生かしておく事など、自分が絶対にするものか。


「こいつらは人質じゃねェ、だ。アタシの力の全部を引き出す為のなァ。お察しの通り、アタシの能力には代償が要る。この数の頭蓋を並べるだけでも意識ブッ飛びかけたぜ。だが今から呼ぶモンの代償は自分の体じゃなくて良い」


 イゾルデが首元や顎、それに唇を丹念に拭い、吐いた血をべちゃりと手に集める。その血で床に魔法陣と文字を書く。語学が堪能なフランでも、その文字がどの言語なのかは分からなかった。


「アタシの厄災の本質は『代償』と『召喚』にある……こいつら全員の命を代償にしたら何が出てくるんだろうなァ?」

「やめろ────」


 フランは言葉で制止し、剣を構えるがもう遅い。


 浮遊する頭蓋衛星が開口し、それまで延々とお預けにされていた眼下の獲物達を一斉に頭から捕食し始める。

 頭から首、首から上半身、上半身から下半身と次々に骨が砕け肉が咀嚼される音は、訓練場の壁を裂く悲鳴にかき消された。二人の左右に並んだ生贄から、そこかしこに血潮が飛び交う。

 その儀式は、ものの数秒で終わった。儀式というより、処刑を想起させる。


 瞬く間にその場に並んだ四百名以上の人間は頭蓋の口腔に消え、床の色を塗り替える大量の血と肉片だけが残った。


「イゾルデ!!!!」


 激昂したフランが地面を蹴り上げ、イゾルデに切りかかる。しかし切っ先が彼女に触れる直前に、発生した爆風で遠くまで吹き飛ばされる。




 咄嗟に態勢を立て直したフランの眼前には、体長数十メートルの巨大でおぞましい生物が姿を現した。


「あはははははははは!!!!! 四百人以上を生贄にしたんだ! 最高火力で出て来てンだぜ!!」


 その生物は山羊頭の悪魔で、人間を模した痩身の胴体は浅黒く短い毛で覆われている。体長の割に細い脚は体を支える余裕は無いらしく、四つん這いの姿勢でフランを見つめている。


 悪魔の首に下がった首飾りとフランの瞬間、一時は引いた怒りの波が一気に押し寄せた。

 首飾りとして縄が通されていたのは、今しがた捕食され生贄となった者達の頭や手足だったからだ。


「へぇ…………これがその『代償』の結果ね」


 剣を握る手に力が入る。


人身御供ひとみごくう────日本じゃそういう名前だったよな? 厄災が人間界の森羅万象を司る力だってのはお前も知ってんだろ。昔は何かにつけて当たり前のように人を生贄にしてた。この力の持ち主が人殺しを躊躇するマトモな奴じゃなくて、アタシで良かったと思わねェか?」 


 突然、悪魔が劈くような鳴き声と共に暴れ出す。訓練場に窮屈そうに収まっていた巨躯は、みるみるうちに天井や壁を破壊して回った。飛来するコンクリートの塊やガラスを、フランは寸分の狂いもなく全て避ける。


 悪魔が二度目の鳴き声を上げた途端、床や窓、観客席など全てが不可視の圧力で圧し潰され、至る所に凹凸の跡ができた。まるで訓練場大の万力が存在するかのようだった。フランの身にも相当な力が頭上から加わり、足元はクレーターを作ったが、本人は何ともなくその場に立っている。


「へぇ、斥冥力だけで防いでンのか。どんな量持ってんだよバケモンが」

「伊達に局長やってないんでね。こういう攻撃はもう意識しなくても体が勝手に防げるようになったんだ」

「なあ、お前らは何で非パンドラ共に味方する? アタシらはこの力を持ってるってだけでガキの頃から大人にずっと痛めつけられてきた。『実験』っつってな。あの衛星も無理矢理召喚させられて何度も血反吐吐かされた。周りのダチも全員死んで、残ったのは二人だけだった。この国でもそんな話嫌なほど聞くぜ。お前が従ってる国家ってのはそんなモンだ。まさか、自分が正義の味方だとか思ってねェよなァ?」

「何を今更言ってる。パンドラに限らず、ありとあらゆる国は迫害や差別、検閲、拷問、そして戦争──考えつく限り全ての悪を行ってきた。国家につくとはそういう事だ。私はね、イゾルデ……国や世界を守りたいんじゃない。国家というシステムに頼って生きる無垢で無力で、それでも明日を夢見る人々を守りたいんだよ」


 フランがそう放ち、剣を騎士のように胸の前に構える。


「じゃあ今の腐った政治家共なんて捨てて新しい国家を作ればいい。特務順位一位、お前にはそれをやってのけるだけの力がある。時間に関われよ」

「そんな事はどうでもいい。一つ訊きたいんだけど────この場に私達以外、生きてる人間は居ないかな?」


 会話の文脈からは想定し得なかった質問に、イゾルデは思わず首を傾げる。彼女は現実を受け入れたくないのだろうか。

  

「あ? 今の見たろ? お前の部下は全員コイツの為に死んだぜ? それともアレか、まだ私には救える命があるかも~とか勘違いしてンのか?」


 ぎゃはははははは、とイゾルデの笑いが響く。返り血に塗れた顔で舌を出すイゾルデとは対照的に、フランのは安らかで、安堵が籠っていた。


「そうか……良かった。私は今安心している──と言ったら、流石に不謹慎かな?」

「は?」


 イゾルデの笑いが止まる。自分でも理由が分からなかったが、嫌な予感がした。この場を支配しているのは自分の筈なのに、悪寒が駆ける。


「お前は勘違いをしている……私の能力は厄災なんて代物じゃない。人類の歴史と叡智が生み出した兵器の最高傑作だ。ただ、無差別に周りを巻き込んでしまうから事前の配慮が必要でね────最終手段だったんだけど、これで心置きなく使える」

「何言って────」

「セラフィム・システム、起動」


 フランの詠唱と共に、刀身が輝きだす。


 セラフィム・システムの起動には、十字架の剣──ACG(Abyssal Combat Gear)による音声認識が用いられる。起動を終えたフランは、柄から下がった白のタッセルを引き抜いた。

 と同時に、フランを中心として光の粒が広がり、瞬く間に訓練場を光が満たした。


 ────それは、人類の希望と言うには冷たすぎる光だった。


 闇を明るく照らし出す暖かな光ではなく、死者を弔う葬斂の灯火でもなく、人類に仇なす者を殲滅する為の、粛清の明光。

 普段は闇の中に住むイゾルデの悪魔は、暗闇に慣れてはいてもこれだけの光量には耐え切れない。眼を潰され、赤子のように手足を投げ出して暴れ始めた。


「ンだよこの光は! 体が…………暖かく……」


 光の粒に覆われたイゾルデの体が熱を持ち、次第に全身の感覚が薄れ、溶け始めていく。右腕をよく見ると、皮膚と肉の一部が何処かに消え、尺骨がその桃色を覗かせていた。

 悪魔も召喚者と同じく絶命の危機を感じ取ったが、体を覆う粒を手で払いのけようとすることしかできない。無情にも、粒を拭った方の手から先に消えた。


「ヤバい、防御を────」


 すぐさま闇の衣を身に纏うが、衣ごと光にかき消される。セラフィム・システムの光から逃れられる物質など此処には無かった。訓練場内の壁や床、天井の全てが少しずつ蒸発していき、形を留めていられなくなる。


「私は人類の守り手だ。パンドラも、非パンドラも関係無い。人類に敵対する者を私は粛清する」


 場内の光が輝きを増す。解いたフランの髪がふわりと浮き、靡く。剣に向かって呟いたフランの一言が、イゾルデの運命を終わらせた。






「────パージ」






「おい、何だよありゃ…………!」

「今まで映ってた建物は? 俺らの冥対は……? どーゆーこと、天音ちゃん!?」

「やっぱりカメラ越しでも見るのはきついですね……あれを使ったのなら、中に生きてる人は居ないということ…………」




 二〇二三年七月十一日・午後二十一時三十八分・気温二十九度の熱帯夜であった。その夜、新宿区において多数の人々が冥事対策機構本部の敷地内に出現した半径二百五十メートルの光の柱を目撃した。

 出現時間、僅か五秒。光が全て消え去った跡には、そこに在ったアカデミー訓練場や区画内の建物、草木、イゾルデ・クヴァンツ、彼女が召喚した山羊頭の悪魔、そして地面すら悉く失くなっていた。


 ウイルスが全てを捕食し尽くし深い凹地となった地面に、シャツの上から背丈ほどの大きな金の翼を生やしたフランが嫋やかに降り立った。頭上には光輪が浮かんでいる。


「こんな力を持ってても、部下は一人として守れなかったんだよね。ごめん、糸井……皆……」

 やがて天使の時間は終わり、光輪と翼は解けて消えた。

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