第三十一話 兵器

「敵は二人か!? 俺はどこへ行けばいい!? 誰を殺ればいい!?」




 部屋中に響き渡るドアの音と共に入って来た侭が、誰にとも無く訊く。

 第一会議室。一度他の職員と同じくロビーに集合した特異課は、フランからここへ招集された。

 

 そこに居たのはスーツの至出上と薄いTシャツの瞬、そして室内に張り詰めた緊張感にまるで合わない、可愛らしいパジャマを着た天音だった。彼らをここへ招集したフランの姿は見えない。


「あ、出た」

 耳にあてていたスマホの画面の通話ボタンを切った瞬が、飛び込んできた侭を見て言う。

「まだ何の情報も入ってないから落ち着きなー…………やっぱ繋がらないっすね、至出上さん。希海ちゃんの連絡先も無理」


 任務中はイヤホン型の通信機を使用するが、勤務外では緊急時のために希海を含めた特異課全員の連絡網が築かれている。至出上から連絡手段として常に携帯を肌身離さず持ち歩くように口酸っぱく言われている六が、家にスマホを忘れたという可能性は極めて低い。


「そうか。あいつらが外出したという警備からの報告は無いが……この状況下だ、どさくさに紛れて敷地外へ出た線もある。訓練場の機動局員のうち何名かを二人の捜索に回そう」

「ん? あいつらならさっきまで食堂に居たぞ? 俺も一緒だった。まだ来てねえのか?」

「「「え?」」」

「……え?」


 それまで別々の作業をしていた三人が声を合わせて出した疑問符に、流石の侭も間の抜けた調子で同じ音を返した。


「何で一緒に来てないんですか!?」


 もこもこした着ぐるみのようなフード付きの繋ぎパジャマに身を包んだ天音の、宝石でも埋め込まれているのかと思うほど大きな瞳が侭を非難する。


「何でって……あいつら滅茶苦茶仲良さそうだからさあ。手繋いで走って行くんだよ。あんなん俺でも分かるぞ、間に割り込まないのが粋だって。俺は気使ってわざと追わなかったんだよ」

「「「…………はぁ~」」」

 またしても三人の声が短い重奏を創り出す。


「侭さ~、俺が思ったより馬鹿なんだね……」

「緊急事態なのにそんな事考えてる場合じゃないですよ!!」

「ぅは!? ど、どうせ俺があいつら探して取り返してきてやるから大丈夫だって! お前らは俺と別行動で……」


「いや、君達はここでお留守番だ」


 会議室内の全員が開いた扉に目を向けると、そこにはいつもと変わらないスーツ姿のフラン。恐らく至出上と同じく、この時間まで残って仕事をしていたのだろう。


「フラン、羽宮達は見つかったか?」

「今二人を見た職員から連絡来たんだけど…………敷地内で猟犬のメンバーと思しき人物に『吹き飛ばされた』だってさ。それも、目で追えなくなるくらい遠くに」


 その場の全員の脳に困惑が走り抜ける。二人の人間が遠くに吹き飛ばされた、とは? 

 しかし声に焦燥が見え隠れする至出上に答えるフランの表情は、至って真剣だった。


「じゃあやっぱり敷地外か。俺が探しに行く。ついでにその猟犬も殺してきてやるよ」

「聞こえなかったかな? その必要は無いよ。二人の捜索はチルちゃんに任せる。君達は待機」

「それなら、私達を何故ここに集めたんですか?」


 侭を援護するようで不本意ではあるが、希海が危険に晒されているこの状況下で、天音としても指を咥えて見ているだけでは気が済まなかった。


「希海ちゃんを守る人間は多い方が良いと思ってみんなを呼んだんだけど、当の本人がここに居ないんじゃあね。それに、希海ちゃんには六君がついてるはず。そう易々と連れてかれる事は無いよ」


 フランがノートPCを起動し、壁の大きなモニターにアカデミーの施設が中心になった冥対本部のマップを映し出す。


「問題は訓練場の侵入者。対応できる機動局員全員を向かわせたんだけど、どうものせいで建物の中に入れないらしいんだよね」


 そう言ってまたフランがノートPCを触ると、今度は監視カメラの映像が映し出された。建物程の大きさの黒い球体が中継画面の殆どを占領している。カメラがズームすると、球体の表面に書かれた何の言語か判別のつかない夥しい量の文章が紫色の輪郭を以て周囲をゆっくり公転している。球体は宵闇に溶けそうな色をしているが、異様な存在感を放っていた。冥対へ来てまだ日が浅い侭はその球体のせいで敷地内のどこを映しているのか見当がつかなかったが、他の三人は周囲の建物や道で、そこが第一訓練場だとすぐに分かった。


「うっわ、デカ……何すかこれ?」

 建物やライトの光の一切を閉じ込めて放さない完全な漆黒に、瞬の目が釘付けになる。


「外部の人間を立ち入らせないバリア……言うなれば帳だ。この見た目から推測するにあそこに居るのはイゾルデ・クヴァンツだろう。そして二人と接触した方はヴェロニカ・ロウエ」

「待てフラン。この時間、訓練場でアカデミー生の集会があった筈だ。それならあの中には……」

 至出上の声が不安定な蝋燭の炎ように段々と大きくなる。

「そ、アカデミー生全員が閉じ込められてる。帳の中は誰とも連絡がつかないし、カメラは全部壊された」

 滔々と発せられたその言葉は、会議室を容易く凍らせた。


 冥対本部は世界最高レベルの戦力を保有しており、決して奪われてはいけない対象を匿う場所としてこの上無く適していると思われた。そんな日本の聖域に、たった二人のパンドラが急襲をかけるとは誰が想像しただろうか。本部に居るのは有事の際の訓練を受けた優秀な職員ばかりだが、まだ教育中のアカデミー生が攻撃され、外部との連絡手段が断たれているとなると話は別だ。


「おい、それってアカデミーの生徒全員が人質に取られてるって事かよ? それなら尚更俺らみたいな外の人間が動かねえとだろ」

「良いかい、侭君。皆も良く聞いて」


 フランの凍った眼差しが、使命感に火照った侭達の脳を急速に冷却する。


「群れの片割れを失った猟犬は君達が考えてる程ヌルい事はしない。中の生徒が人質ならラッキー……彼らが生きている前提で対策を練るのは楽観的過ぎる。そもそも相方が二人を私達から引き離した筈なのに彼女が人質との交換で希海ちゃんを要求するなんて、辻褄が合ってないと思わない? 事態はもう君らが中途半端に介入できる段階を越えてしまったんだよ」


「…………っ!」

 誰も、何も言えなかった。それはフランの強さから来る説得力でもあったかも知れない。今は目の前に立つ世界最強がこの状況を打開する事を祈るしかなかった。


「お前はどうするんだ、フラン」

 至出上が訊く。


「私は訓練場に行くよ」

「帳はお前の能力でどうにか出来そうか?」

「うん。人質の監禁じゃないとすれば、あれはどうせ私が来るまでの時間稼ぎだよ。念のためあそこに居る局員に帳の周辺を調べさせたけど、二人は見つからなかったらしい。もしあそこに生きている仲間が居なかったら…………『パージ』を使う」


 その単語に、至出上と天音が息を呑んだ。

 そんな様子に合点のいかない侭はしかしフランの眼差しに気圧され、余計な口を出さずに言葉の続きを待った。


「許可は?」

「今から議会に連絡する。ま、許可なんて出なくても勝手にやるけどね。人類の命運が懸ってるんだ、中途半端な戦い方をするつもりは無い」


 そう吐き捨てたフランはスーツの上着を機敏な動作で脱いでテーブルへ投げ、イヤホン型の通信機を耳につけた。


「んじゃ! 皆は念のため通信を良く聞いておくように……って言っても帳の中は連絡駄目そうだけど。何か情報が入ったらサポートの職員と一緒にチルちゃんをバックアップしてあげてよ」


 シャツだけになったポニーテールが勢いよく扉を開け、会議室の外へ駆け出す。やがて至出上も「指示だけは守れよ」とだけ言い残して出て行った。




 残された空間には数秒の静寂が澱んだ。最初にそれを取り払ったのは、天音だった。


「本当に大丈夫なんですかね、私達がここに残っても」

「大丈夫だよ、多分。だって俺ら特異課は機動局でトップクラスの実力者の集まりだよ。俺らを頼らないってことは、局長にも何か考えがあると思う。こういう時にパニックになるのが一番ダメだよ、天音ちゃん。今は動きがあるまでお喋りでもしとこ…………てかそのパジャマ、可愛すぎない? いつも部屋でこういうの着てるの?」

「あ……あんまり触れないでくださいよ、そこ…………。今日はお仕事が早く終わったからお気に入りのパジャマでお菓子食べながら映画観る予定だったんです」

「触れないでって言ってんのにめっちゃ喋るな、お前」


 こんな時でも瞬は能天気に見えるが、実際、残された三人の中で最も冷静と言わざるを得なかった。自分の力が及ぶ限界を正確に見極められる自負のある瞬は、事態が悪化した時の為に年少の天音を落ち着かせる役を買って出たのである。


「…………畜生。俺にとっちゃ昇進する絶好のチャンスだったってのによ。もしあいつらぶち殺して羽宮を取り返してたら、マジで入って三日で出世もあり得たぜ」


 一方、散歩を中止にされた飼い犬のように残念がる侭。彼を落ち着かせる必要は無さそうだった。代わりに、脱走しないよう監視しなければならなかったが。


「侭はさ、なんでそんなに出世したがるの? この仕事は頑張ろうとした奴から死んでくんだから、もっと肩の力抜けば?」

「別に出世が目標じゃねえ、俺は厄災なんて無くても最強である事を証明したいんだよ。努力して死ぬならその程度の力だったって事だ。何もせずのうのうと生きるくらいなら俺は死んで良い」

「……理解できません。私は先輩やみんなとずっと楽しく暮らせていけたら幸せです」

「先輩って誰だよ?」


 侭は「皆」の前についた言葉が指す人物の特定に困った。瞬の方を見ると、悪戯ぽく頬を膨らませ、薄っすらにやけた顔で天音を眺めている。


「いや、あの…………それは、忘れて下さい……」


 天音の顔が俄かに赤くなる。それを隠そうと、パジャマについたフードを深く被った。鈍感な侭はいまいちピンと来ない。


「ま、それはどうでも良いんだけどさ。俺からも訊いて良いか?」

「お、なになに? 何でも訊いてよ! 先輩が何でも答えてしんぜよう」

「局長の厄災って一体何なんだよ。どっかの馬鹿がパンドラに厄災の事を聞くなとか言ってたが、味方の能力を知らないのもおかしいだろ?」

「あー……実はそれ、俺もよくわかんないや。前にちらっと見たことはあるけど。何か腕とか脚とかが光って、触れた物全部消えるとかいうチートみたいなすげー力なのよ! あんなの見せられたら俺ら、特異課に要る? ってなっちゃった」

「は? なんだそれ。『光』の厄災とかか?」 

「どうなんだろ。でも言われてみれば、上司の厄災を詳しく知らないって結構まずい気がする……天音ちゃんはどう?」


「うーん……局長の能力、説明が難しいんですけど…………」




「フランの力は厄災なんかじゃない」




 天音が説明し倦ねていると、会議室のスピーカーから至出上の声が届いた。その声で三人は漸く、ここでのやり取りは全て特異課内の通信網でフランや至出上に聞こえていると思い出す。フランは返答しないので、すでに通信外らしい。


「え? じゃあ非パンドラってことすか?」

「そうだ」


 侭は眉を顰めた。かつては非パンドラであるという才能の壁を自分の目の前に築き上げ、加入を断固拒否したフラン自身が非パンドラとは納得がいかない。厄災を持たないのなら、瞬の言う「光で触れた物を全て消す」能力は何なのだ?


 ビルの外は混乱でお祭り騒ぎになっているのだろう、通信の向こうは喧騒に満たされている。その中からはっきりと聞こえる至出上の、女性にしては低めの声がこう続ける。


「無線に雑談を乗せるな、と言いたい所だが……どうせ今からお前らはあいつの能力を見ることになるんだ、戦術的な情報として説明しておこう。

 フランの能力「セラフィム・システム」はあらゆる物質を食べ尽くし、限りなくゼロにまで分解する────ウイルス兵器だ。

 まあ、ウイルスと言っても感染する類のものじゃない。あいつの体内で作り出されるウイルスが細胞中の冥子に寄生し、光の粒となって体外へ放出される。光に接触した物は材質に関係なく問答無用で消え去る。冥子すら消滅させられるから、厄災によって生成された物も例外じゃない。防御・攻撃共に不可能、人類が生み出した兵器の最高傑作だよ」


 いくらなんでも情報量が多すぎる。至出上の説明を咀嚼する二人は、天音が容易に説明できなかった訳を理解した。


「それただのズルじゃね? 俺もそういうの欲しいって!」

「局長以外の人があれを体に埋め込もうとすると、すぐに死んじゃうでしょうね。あのウイルスは寄生する冥子が殆ど無くなると、次はその人の体を食べ始めます。そうさせない為に、信じられない量の冥力を供給し続ける必要があるんです」


 横から注釈を入れるように、天音が言う。


「あいつはある研究機関の出身でな。他に類を見ない程の冥力・斥冥力を授かって生まれた。あの神懸った体質が世界でただ一人、あの兵器の運用を実現しているんだ。フランツェスカ・フリートハイトという存在自体が奇跡に等しい。その研究機関はすでに解体されているから詳しい事は誰も分からないんだが……まあ、厄災なんかとは比べ物にならない事は確かだな」


 厄災「なんか」という表現は、侭の心の奥に重い錨を下ろした。冥力や身体能力、体格全てに恵まれた自分が唯一持ち得なかったもの、それが厄災。今この瞬間までずっと飛び越そうと努力し続けたハードルは、セラフィム・システムなどと言う訳の分からない力にいとも容易く倒されてしまったのだ。同時に、侭が自分より強いと認識する現状唯一の存在であるフランツェスカ・フリートハイトのイメージはますます強大になっていく。この人を越えなければならない────そんな焦燥にも似た使命感が、侭の闘争心に薪をくべた。


「侭、なんで笑ってんの?」

「…………おもしれえからだよ。ああ、マジでおもしれえ。世の中の人間は厄災の呪いがどうだの、パンドラの人権がどうだのうるせえけどよお……人間離れした能力を持った奴とか訳のわかんねえバケモンが居るんなら、そいつらと闘ってみてえと思うだろ、フツー。格闘技とか武道は全部飽きた。命が懸ってねえからな。いちいち細けえルールを守って相手を殺さないように手抜くのが大変だったよ。そんなイカれてるモンの頂点が俺らのすぐ近くに居るときた。ゾクゾクするぜ、全く」

「え。まさか侭さん……局長と戦いたいとか思ってないですよね?」


 か細い声で言う天音のフードについた耳が彼女をより一層、猛獣に怯える小動物のように見せる。


「心配すんな、俺は仲間にそんな事はしねえよ。直接闘り合わなくとも実力の差を見せつける方法はいくらでもある。とにかく、今の俺は実績を積むことからだ」

「特異課は変わった奴の集まりだが…………侭、お前程イカれた奴は生まれて初めて見た。私に要らん心配だけはかけさせるな」




 そう言い残し、至出上の通信はミュートになった。

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