第十九話 重来

 ────新宿、都庁付近のビル街

 六達が通った跡は車道と歩道共に混乱を極め、幼い子供が部屋一面にミニカーをひっくり返したかのように、自動車とバイクがそこら中に立ち往生していた。高電圧で焼け焦げたアスファルトの匂いが夏の空にむんと漂う。渋滞から車外に降りた人々は、汗を拭きながら生き物のように暴れるタイヤ痕をただ呆然として眺めるばかりだった。


「なんでまだ追って来てんの、あいつ!?」

「俺が訊きたいね! どうやったらこんな早さで復帰できんだよ?」

 二人を乗せたアウディは、依然として伊田とのチェイスを続けていた。結晶の壁で伊田を振り落とした時からスピードを全く落としていないのに、交差点を二つ程曲がるとルームミラーは伊田の姿を捉えたのである。


 伊田は首の周りに稲妻を走らせながら、低い姿勢のままで追走する。六がスピードメーターをちらと見ると、モニターには「280km/h」と表示されていた。

 激しく揺れる車内。希海が体を小さくドアやシートにぶつける度「あいてっ! いてっ!」と間の抜けた声を上げる一方、六はハンドルを切りつつ必死に思考を働かせた。


 着実に距離は縮まってきている。さっきの手は子供騙しみたいな物……もう通用しないだろう。それに、無闇矢鱈に結晶を使うと冥力を使い果たしてしまう。だが逃げるだけじゃ未来は無い。どうするか…………。

 思い切って車を止め、戦うか? いや落ち着け、公園に着けば機動局の支援が受けられる。それならルートを伝えて彼らを呼び、合流するか。しかしそれにも時間が…………。


 そう逡巡する六は、耳の通信機に届いた通知音にすぐには気が付かなかった。

 はっとして通信機と連動するモニターを見ると、発信者は「小野寺 雄一ゆういち」とある。

「小野寺さんッ! 無事ですか!? 今どこに……」

「あー。悪いけど俺は『小野寺サン』じゃねえ」

 通信機の向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れない男の声。

「……誰だ」

「螺神侭。覚えとけ」

 希海は六の声色が変わったことに気づき、相手の声は聞こえないながらも、謎の人物と六の会話を把握しようと耳を傾けた。

「知らない名だな……今命がけの鬼ごっこしてんだ。相手する暇は無いぞ」

「ああ、困ってんだろ? 俺が手貸してやるよ。お前等の通信は大体聞いた。目的地は新宿中央公園だな?」

「そうだが……お前、冥対の人間じゃないな? 仲間だと思って良いのか?」

「仲間? 俺はそんなにお人好しじゃねーよ。まあ、これからお前と働く事にはなるが」

「良いか、俺は俺のためにお前等を助ける。お前等は黙って指示に従え。そうすれば後ろの雷ヤローは死ぬ」

 聞いたところあまり友好的な態度ではない。六は一か八かの賭けに希海を巻き込みたくなかったが、今はこの声に縋るしか無かった。

「…………分かった。何をすればいい?」

「ここから少し先に『新宿わかば産業ビル』って名前の、そこまで高くないビルがある。そこの屋上に車ごと飛べ」

「は?」

 余裕のない六が困惑のあまり思わず上げた大声に、希海の心臓が跳ねる。

「良いから飛べ! 中央公園にたどり着きたいんだろ?」

「飛ぶっつってもどうやって!? ご丁寧にジャンプ台でも用意されてるのかよ?」

「知らね。それはお前がどうにかしろ」

「畜生……ッ!」


 六は「通信:小野寺 雄一」の画面を指でモニターの端に押しやり、新宿わかば産業ビルをナビで検索した。現在地との距離は三百メートル。かなり近い。

「希海! 今度はもっと揺れるぞ、どっか掴まってろ!」

「は!? これ以上? 私のお尻もう限界なんだけど!」


 新宿わかば産業ビルが見えてきた。まるで東京を冥獣から守るようにいくつも聳え立つ高層ビルの間に挟まり、その建物はあった。

 六はひたすらにアクセルを踏み、最大速度まで加速した。アウディのエンジンが一段とけたたましい音で吼え、時速を表すモニターの数字は目まぐるしく上昇し、時速三百キロ付近まで到達する。

 六がハンドルから右手を離し、そのまま掌を開いて前方にかざすと、目の前の道路上に車の二倍程の大きさの結晶の塊が出現した。小さな坂のように手前側が反っており、勾配の先は新宿わかば産業ビルの屋上を見上げている。


 それは六が即席で生成した、結晶のジャンプ台だった。

 

「言われた通りにしたぞ……何とかしてくれよッ!」

 二人の車は速度を保ったままジャンプ台に乗り、その車体を宙に預けた。

 後方の伊田もジャンプ台をロイター板のようにして跳び、車体と同じ軌道を辿って宙に飛躍する。

「ぎゃぁぁぁあああああああ!」

 絶叫する希海には一台の車と一人の少年が宙を舞うこの瞬間が永遠のように感じられた。空中に浮く六と自分の体。左手の窓ガラスから車内に注ぎ込まれる日光。右手にはひと際高い、ガラス張りの高層ビル…………。




 刹那、その高層ビルのガラスを突き破り、二人の車を超える速度と勢いで、一人の人間が後方を通過する光景が辛うじて目に入った。




 彼は車の後ろで滞空する伊田の顔面を空中で殴り、遠くのビルへ吹き飛ばした。

 その一撃のあまりの速度と衝撃で伊田は受け身が取れず、自分の身に何が起きたのか理解できぬまま、地面に体を打ち捨てられる。着地点には体の何倍もの大きさのクレーターができた。

 

 屋上への着地の衝撃で車が脳震盪を起こすのではないかと思える揺れに襲われたため、六が状況を把握するには数秒かかったが、どうやら後方につけていた伊田の姿が見えないことが分かった。


「本当に何とかしやがった…………」

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