第十八話 飛刃

「ぜ~んぜん火力が足りねェ。サウナにもならねェな?」

 炎が消え、姿を見せたイゾルデの体には傷一つ付いていなかった。それどころか、衣服に焦げすら見つからない。

「…………マジすか。これでも体が残らないように燃やしたつもりなんだけどさ」

 光線の回避と発火に相応の冥力を消費した瞬は、息を切らせながら言った。

「アタシの『闇』は質量の塊って言ったろ? 物を潰すこともできれば、体に纏って自分を守ることもできンだよ。勝ち目、ありそうか?」


 段々と見えてくる力量差。今の攻撃を完璧に防いだイゾルデ、こちらの残存冥力・斥冥力量、頭蓋の角に下がった花の冠……それらが少し先に存在する「敗北」をはっきりと照らし出す。

「お前の厄災は『火』か何かか? にしてもよえーなァ……火力も芸も無ェ。アタシは至出上とりに来てんだ。期待して損したぜ」

「まだ新人なんでね…………。お手柔らかにお願いしますよ」

「じゃお手柔らかに地獄に送ってやるよ。歯ァ食いしばれ」

 

 正直、瞬にとって勝敗などどうでも良かった。もう少しすれば至出上がここに到着するだろう。それまで時間を稼げば良い。後はイゾルデのとどめの一撃をどう躱し、死んだふりをするかだ。実力不足への悔しさ、後悔、プライド、それに使命。そんなものを瞬は知らないと言っても過言では無かった。


 ──能力の無い人間が努力しても、余計死にやすくなるだけでしょ。


 かつて瞬はそう言い、至出上に怒られた事がある。

 瞬は才能が無いわけではなかった。いやむしろ、冥対機動局と深いかかわりのある剣術の名門流派「慧天流」道場で、門下生三百名の一・二を争う天才と称され、紆余曲折を経て特異課に入った。しかし世界最高峰の怪物が集う特異課で「天才」を貫くことは難しく、瞬自身も最初からそれをよく知っていた。


 死なないよう適度に力を抜き、逃げ、あとは強者に託す。それが凡才がここで生き残る唯一の道だと考えていた。覚悟を決めて努力すれば無駄なプライドや守る物が生まれ、それは自らを死に導く。人生についてぼんやりとしたまま特異課まで来た瞬は、そこそこに楽しく生きる事以上に崇高な信念など持ち合わせていなかった。


「お姉さん達は何が目的で希海ちゃんが欲しいの? 可愛いから?」

 出来る限り時間を稼ぐ。戦わなくていい。こいつはちょっと刺激したらべらべら喋ってくれる。

 あの光線の発射頻度と破壊力、そして持続力。恐らく、いやほぼ確実に自分の数倍の冥力を持っている。長期戦になればこちらが不利になっていく事は間違いない。無闇に戦うのは馬鹿のやることだ。


「目的ィ? そりゃ『門』に決まってる。あの力で冥界と繋がれば、冥子みたいな恩恵も受け放題、調査もし放題だ。あの厄災が、進化しかけてる人類文明を次の段階に押し上げるのは間違いねェ。それを政府の連中にやすやすと渡すのは論外だ。管理派だの共存派だの……大した事もせず馴れ合ってるような奴らだからな。『門』はアタシ等の管理下に置く。考えてみろ、何の道理があって力が無い非パンドラ共がパンドラを差別してる? 何の道理があってパンドラはそんな世の中の仕組みに服従してる?」

 イゾルデは瞬を睨んだ。ライトの光が前髪の下の荒々しい目に淡い影を落とす。


「アタシら猟犬ハウンズは、パンドラが非パンドラを支配する世界を作る」


「そりゃご立派な大義をお持ちで。でも抑制プログラム無しに、お姉さん達に管理できるかな? あの子は冥獣を呼び寄せるわけじゃん? 自分達の頭上に冥獣が落ちてきたらどうすんのさ? それも何回も」

「あのな…………アタシは細かい事考えンのが苦手なんだ。化け物が出てきたらその時はその時、アタシ等がぶっ殺しゃいい。質問は終わりか?」

 イゾルデの背後に佇む一双の頭蓋が、どちらも再び開口した。


「あがくなら、この一瞬……!」

 瞬は呟いた。

 持てる冥力をすべて使い、イゾルデに深手を負わせる。こちらの一撃が相手のそれより速ければ、その後受ける攻撃も多少は軽減できるだろう。そして死んだふり。


 ──至出上さん、次から煙草休憩は本部に帰ってからにして下さいよ。


 心で軽く不満を漏らしながら、瞬は構えた。


 瞬が発火させることができるのは刀身だけでは無かった。体の一部に点火することもできる。しかし瞬の厄災は、本人の体がその灼熱を軽減できるような都合の良い能力ではない。炎を纏った部位は焼け焦げてしまい、全身なら火だるまになって焼死するだろう。


 そこで瞬が点火に選んだのは、「足」だった。

 両足に着火し、ジェット機のアフターバーナーのようにして推進することで速さを得る。これで黒光線を躱しながら懐に入り込めるはずだ。後は相手が反応する前にさっきの炎をもう一度叩きこむ。

 そして「刺し違えた」ように倒れ込むふりをする……これだ。足はお釈迦になるだろうが、幸い斥冥力はそこまで消費していない。時間はかかるがいずれ回復するだろう。


 瞬の足元に猛火が吹き荒れ、コンクリートの地面は剥がれ落ちた破片を散らしながら溶け始める。瞬の背後の車に火が燃え移り、けたたましいアラート音が鳴り響いた。構えは一撃目と同じ。今度は刀で肉の奥深くに触り、切り上げる。

 瞬の体は頭蓋から放たれた光線とすれ違うように、しかし光線の二倍の速度でイゾルデに迫った。


 燃える刀身を振り上げたが、肉にずぶりと入った感触がしない。

 瞬が刀の先を見ると、一つの頭蓋が刃に喰らいつき、すんでの所でイゾルデに刃が届くのを防いだのだった。

「速いねェ~。アタシ反応できなかったわ」

 イゾルデは舌を出し、眉をハの字にせり上げてにやりと笑った。刀を受けた頭蓋は猛烈な音を立てて燃え盛っているが、消えるどころか、刃を離す気配すらない。

「でもこいつらはアタシの意思とは関係なく動く、つまり自立型衛星だ。人間の攻撃速度じゃアタシに傷一つつけらんねェよ!」


 ──まずい、奴の攻撃を止められない……! 光線を放てる頭蓋が残っている!


 地面に這う残り火の熱を、瞬はその全身で感じた。光線は鳩尾みぞおちを貫き、抗えぬ脱力感が体を駆ける。肉が焼け、山火事が消化された後の木々のように黒く燃え尽きた足には自立する機能は残されていない。


 よりにもよって最悪の傷の負い方をした! 鳩尾という損害は甚大だが致命傷にはならない部位。歩くことは勿論、立ち上がることも不可能…………。

「結局、こういう大事な時に限ってダサいんだよな……俺」

 瞬は吐血混じりに笑う。


「アタシの衛星、イカしてるだろ? こいつはな、斥冥力が一定以下の人間を捕食できンだ。おっと、逃げられると思うなよ? 条件を満たした奴はどれだけ抵抗しようが問答無用で頭から喰い殺せる」


 それが瞬に口を開けた瞬間、両方の頭蓋に一閃の輝きが走ったかと思うと、何も知らぬそれらは両断された。


 頭蓋ですら反応出来なかったのだ、目の前の女がどこから来たのかイゾルデに見当がつく筈も無い。彼女は頭蓋と同じ、虚空からしたかのようだった。

「人間の反応速度を超えるアタシの衛星ですら見えなかった…………そうか。お前が特務順位二位の至出上壱縷だな!」


 地に伏した瞬に背中を見せ、刀を片手に立っていたのは壱縷だった。


「遅すぎっすよ…………何本……吸ったんすか……煙草」

「お前を試すためにわざと遅れて来たんだよ。全然歯が立たなかったな。トレーニング、全部やり直しだ」

「あの『いちるスペシャル』?」

「そうだ…………名前については何も言うな」


 瞬が刀身の少し反った一般的な日本刀を相棒としているが、壱縷が備えている刀は同じ長さながらも金属製の柄から直線的な刃が続いている。瞬の古風で優美な刀に対し、それはひたすらに無骨だった。殺人の為に他の全てを捨て去った凶器……。

「明日から過酷な鍛錬だ、今日は体を休めていろ」


 壱縷はスーツから覗く紫紺のネクタイを左手で緩め、安らかに目を閉じる瞬に言った。

「────この女は私が殺す」

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