第十三話 融解

「──で、俺は何をすればいいんだ?」

 机に参考書を広げた希海に、隣の六が言った。

 夕方のリビング。勉強を教える事に乗り気ではない六に、希海は自分から教えを乞うた。六は意外そうにしていたが、渋々承諾してくれた。

「私が問題解いとくから、分からないところあったら教えて」

 希海は六に見られていることに居心地の悪さを感じながら、黙々と数学の問題を解く。

「…………おい、今の問題の答え、間違ってるぞ」

 コップの水を飲みながら六が言った。

「え、そんなの分かるの? 君もしかして天才か?」

「問題文の数字でその桁の答えは明らかにおかしいだろ」

「待て。これも違う……こっちも。おい、このページ全部不正解だぞ」

「うそぉ?」

「グラフそのものの意味、本当に理解してるのか?」

 希海は少し考えた後、六に「てへっ」と舌を出しておどけてみせた。

「分からない所が分からない、って感じだな……基礎の基礎から説明するぞ」


 国語数学理科社会英語、希海は全科目こんな具合だった。基礎の理解がごっそり抜け落ちていたのだ。唸りながら問題に悪戦苦闘している希海の姿を見て、六の頭の中には砂浜の上に立ち、海風でぐらぐらと揺れる高い塔が浮かんだ。


 国語。 

「この漢字の読みは!?」

「きよきよしい!」

「どっかの誰かがした読み間違いをそのままするな!」

 社会。

「関ヶ原の戦いで滅んだのは!?」

「伊藤博文!」

「内閣総理大臣を勝手に安土桃山時代に送った挙句殺すな!」

 数学。

「13の二乗は!?」

「えっと……」

「指を折って数えるな! 自分の指が何本あると思ってる!?」

 理科。

「地球と太陽の距離は!?」

「1000キロ!」

「お前は地球を燃やす気か!?」

 英語。

「Do you know how to pronounce this word?」

「……? あいむふぁいん……て、てんきゅー…………?」

「(規制音)」

 

「ハァ……ハァ……ハァ……!」

 長時間に渡り大声でまくし立てた六は、希海のあまりの勉強の出来なさと疲れで気を失いそうになった。

「馬鹿そうだとは思ってたが、まさかここまで勉強ができないとはな……」

「失礼だなー! 私だってそろそろヤバいと思ってんの!」

「というか英語に関しては、お前アメリカ出身じゃなかったか?」

「出身がアメリカってだけで、生まれてからすぐ日本に引っ越した……」

「大体なんでその勉強の出来なさで高校三年生になれたんだよ?」

「男子は私がちょっと可愛くお願いしたらす~ぐ問題の答え教えてくれるからね~!」

 希海はわざと不自然なまでに可愛く作った表情と声で言った。

「…………呆れて物も言えねぇ」


 結局、その日の騒がしい勉強会は深夜まで続いた。六が意地になり、希海が理解できるまでじっくり教えたからである。確かに六の説明は理路整然としていて分かりやすい。勉強がまるで駄目な希海にも、時間をかけさえすれば理屈を飲み込む事が出来た。

 仕事では銃とナイフを握る六が家でペンを握っている姿を見て、希海の胸には何となく可笑しさと同時に安心がこみ上げて来た。


 ──この人も私達と同じように微分とかを勉強するんだ。


 同じように椅子に座り、参考書をめくり、悩み、答えをノートに書く。そう考えると横で参考書の問題を一生懸命睨んでいる六の横顔が、心なしか愛しく見えてきさえする。

「この参考書はどう考えてもお前のレベルに合ってない。俺が自分で問題集を作っとくから、次からはまずそれを解くようにしろ」

「お、おお~! 意外とやる気ですな」

「うるせえ……お前があまりにもアホすぎるからムカついてきたんだよ。こうなったら意地でもお前の成績をまともにしてやる」

「あはは、期待しとく!」


 その日から六は毎日希海に勉強を教えた。日中希海は冥対の様々な施設に連れられ、抑制プログラムやら諸々の手続きやらをし、そういった用事が無ければ居住区を散歩したり部屋でゴロゴロする。時には局長室でフランとお茶を飲みながら駄弁ることもあった。六が仕事から帰宅すると自作のプリントを解き、解説をしてもらう。

 六のプリントはパソコンを使って製作されており、自作とは思えないほど考え込まれた、質の高い問題とちょっとした解説が載っていた。勉強会が終わり希海が寝ると、六はパソコンに向かい明日のプリントを作る……気づくと日が昇っているような日もあった。


「六先輩が寝不足なの珍しいですね。希海さんから聞きましたよ、最近頑張って勉強教えてあげてるって」

 要人警護中、欠伸をした六が、要人が車で到着するのを共に待っていた天音にそう言われることがあった。

「前に私が欠伸した時、『寝不足は咄嗟の判断を鈍らせるからよく寝ろ』って先輩に怒られた気がするんですけどね~、ふふふ」

「ああ、そういえばそんな感じのこと言ったな……悪い、緊張感が足りないのは俺の方だった」

 六が俯き、目を擦りながら言う。

「どうですか、希海さんとの生活は? 意外と楽しいでしょ?」

「まさか! あいつ、食べ物のゴミも平気でリビングのテーブルに散らかすし、風呂は長いしで最低だよ。昨日俺の部屋にノックもせずに入って来た時は殺意が湧いた」

「ははは! 何それ、お母さんみたいじゃないですか」

「でもまあ…………そこまで悪くは無いな。退屈しのぎにはなってる」




 そんな生活を続けるほど、二人は打ち解けていった。

 六の希海への態度や言葉は柔らかくなっていき、会話は殆ど無かったが二人はリビングでテレビを観たりする事もあった。希海のアドバイスで、六は弁当を温めて食べるようになった。


「六はさ、学校でどんなタイプだったの?」

 ある夜、横で参考書をぺらぺらとめくり、解答の説明を考えている六に希海が言った。

「どんなタイプ?」

「うん。先生の言う事とかちゃんと聞かなそうだし、授業受けずにサボってた人かなーって……あ、でも勉強できるから真面目君か~」

 六はページをめくる手を止め、黙っている。

「私よく学校休んでゲーセンに行くんだよね。何となくUFOキャッチャーでお金使ってさ。バイトの給料がもう飛ぶわ飛ぶわ! 我ながら馬鹿だなー私」

「…………ゲームセンターには行ったことない。学校も」

「え、学校も?」

「ああ」

「俺は物心ついた時から病院に居たんだよ。厄災の暴走を克服するために。生まれつき俺の厄災は普通のパンドラより制御が難しくてな。要は治療って名目の隔離だ。病院から出たことは殆どない。あるとしても、一日二日家に帰るか敷地内を母親と散歩したくらいだ」

 希海はすぐには言葉が出てこなかった。

「…………この話は止めよう。ほら、ここの主人公の心情は……」

「待って。それちゃんと話して。良いから」

 希海は六の手を掴み、真っすぐ顔を見つめて言った。

「これは共感とかじゃないの。ただ、君が悲しそうな顔してるのに隣の私が何も知らないなんて嫌。辛いかも知れないけど、君がどうしてずっとそんな悲しい顔をしてるのか、全部聞きたい」

 六は一瞬驚いた顔をしたが、しばらくの沈黙の後、下を向いて言った。

「分かった」

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