第十二話 劇薬

「だが俺は必ず帰ってくる! 実力を証明してな。あんたの忘れた頃にだ!」




「──こんなメール送ってこられたら、忘れるわけないじゃんか~!」

 フランが机の上に上半身を脱力させ、机上に頬を擦りつけながら言った。

「なかなか破天荒って感じで俺、あいつのこと嫌いじゃないっすけどね……あ、六達来たみたいですよ?」

 扉をノックする音の後に、六と希海が挨拶をしながら入って来た。

「今日は希海ちゃんに紹介したい特異課の人達がいます! 二人とも任務に行ってて、初めて予定が合う日が今日だったからね。まずはこの高身長・クールなお姉さん!」

 フランが横の女性を手で示した。

至出上しでがみ壱縷いちるだ。機動局局長補佐と特異課課長補佐を兼任している。よろしく」

 至出上は冷静な声で言った。高い位置でポニーテールを結び、紫の髪が鈍い黒の輝きを含んでいる。身長は六と同じか六よりも高く、女性の中でも長身のフランですら、横に並ぶと子供のように見えた。

「チルちゃんは一見こわ~いけど、実は一番仲間思いのイケメンなんだ! それにすっごく強いんだよ? 私の次ぐらい!」

「……フラン、いい加減人前で私の事をそのあだ名で呼ぶのをやめろ。周りに示しがつかんし、何より恥ずかしいだろう」

「こんな感じで少し不愛想なのね、この人。二人の時はデレてくれるのになー」

 至出上は参ったという表情で溜息をついた。この人に振り回されているのは私達だけじゃないんだな……希海はそう感じた。

「んでこっちの子は緒方瞬君。見た目の通りチャラいよ~! 二人とも刀で戦うんだ。どお? かっこいいでしょ?」

「え、俺の紹介それだけっすか?」

 瞬がそう言って苦笑いをした。

「まあ瞬君はお喋りだから、どういう人かはすぐに分かるよ」

「あ、ちなみに俺今年ここに入ったんだけど、六より一つ年上。ま新入りだから、タメ口で気軽に話しかけてね~」

 話し方も見た目も威圧感のある至出上は近寄りがたい雰囲気を醸し出していたが、瞬の方は希海に悪くない印象を与えた。学校でこういう生徒に会うといささか軽すぎると感じるだろうが、今の辛い状況において明るい人物が周りに居ることは素直に助かる。

 それに、瞬は希海が見ても美形だった。今風のイケメンで、ふっくらとした唇と頬、整っていて控えめな鼻は幼さの名残であり、大きな目は潤った瞳を備えている。すらっとした体格はそのスーツ姿によく似合い、明るめの茶髪はよく手入れされているのか艶が天使の光輪のようにはっきりと現れている。

 それに、手。

 希海は何を隠そう、手フェチだった。「よろしくね!」と言った希海にピースをする瞬の手は顔に見合わず並みの男より大きく、長く綺麗な人差し指と中指がすらっとした優美な輪郭で描かれている。関節や骨の隆起は白くきめの細かい肌に鋭い起伏を作り、色気が感じられる。

 誠実な印象は微塵も無かったが、瞬の容姿は魅惑の棘として面食いの希海に深く突き刺さった。

「希海ちゃんは六君より瞬君を気に入っちゃったみたいだねぇ?」

 フランがいやらしい笑顔で茶化した。

「そ、そんなことないですよー……」

「出てるぞ、雌の顔」

 普段無口な六が珍しく横から言った。


「ところで、六君との同棲生活はどうだい?」

「え、何? 二人とも同棲してんの?」

 瞬がそう言って六と希海の顔を交互に覗いた。

「二人には説明したけど、うちは今居住区の空き、無いからね。ちゃんと勉強とかしてる?」

 目の前で人が死んだり暴漢の手が消失したりする毎日の中、勉強をする時間と気力など希海には無かった。ノートを出してペンを握っても、様々な光景がフラッシュバックし、意識を集中から遠ざけてしまう。

「ううん……正直言うと、あんまり出来てない……かな」

 だから瞬君、私に勉強教えて……? 希海は心の中でそう言った。

「それなら六君に教えて貰うと良いよ。六君厳しそうだから勉強サボれないだろうしね!」

「え?」

「は?」

 ここに来た日と同じく、六が目を丸くした。

「はぁ!? めっちゃ嫌なんですけど! 一緒に住むだけでも鬱なのに! まずこの人勉強できるの!?」

「前言ってた中学生の時に受けた模試、全国で何位だったっけ?」

「二十位くらいです」

「まじか……」

「でも人に勉強なんて教えたことありませんよ、俺」

「いいじゃないか。お前も人間らしくなれ。フラン、局長命令なんだろ?」

 至出上が言った。真面目な顔をしてフランの意味不明な説得に加勢する彼女の考えていることは、希海にはよくわからない。

「そ、局長命令」

「いいじゃんそれ! 六が希海ちゃんに勉強教えてる姿想像したら笑えるし。俺も近いうちに家に見に行っていいかな?」

 瞬は笑いが抑えきれず、六に睨まれた。

「ああ、めんどくさい事に……」

 口ではそう抗議するものの、内心希海にとって悪い話では無かった。希海は六の心をどうにか開いてみたかったからだ。


 六が背負ってきた悲哀。もしその原因が、ただ彼が厄災を持っているというだけなら、そんな馬鹿げた偽物の罪は捨て置くべきだ。六の過去や本音をもっと知りたいし、できるならその手助けもしてあげたい。しかし希海はそのきっかけを掴めずにいた。今の二人の仲なら六は心の内を絶対に晒さないだろうし、実際に一度拒絶されたのだ。

 確かにあの時、六の言ったことは希海に内省を促した。自分は「共感」という言葉を使うにはあまりに他者への理解が足りず、結果本人を傷つける事が何度もあったかもしれない。あの日にいじめられていた男子生徒も、今頃私が先生に言いつけたせいでもっと悲惨な扱いを受けていたらどうしよう。でも、目の前で悩んでいる人を助けられない人間になんかなりたくはない。

 こんな鬱々とした思考の堂々巡りも、希海が勉強に身が入らない理由の一つだった。

 とにかく、何かを通してゆっくり距離を近づけていけば、彼も心を開いてくれるだろうと希海は考えた。

 

 結局二人はずっとうるさく喧嘩しながら局長室を出て行った。瞬も退室し、至出上とフランだけが局長室に残った。

「フラン」

「なに、チルちゃん?」

「実は今後悔してるだろ、二人を一緒に住まわせたこと」

「ゔぇっ!?」

「部下の人間関係に過度に心配するお前の悪い癖、私が知らないはずないだろうが。もしこれで二人暮らしに失敗したら、私の可愛い希海ちゃんが~とか何とか言って一週間くらい仕事に手が付けられなくなる癖に」

「だってちょっと面白そうだったからさ~!! あの時は二人がなんだかんだで良いコンビになりそうな気がして意地悪しちゃったけど…………やっぱやめといた方が良かったかなー……これで特異課の空気まで悪くなったら……はぁぁぁああああああ」

「私は知らんぞ」

「酷いよ! チルちゃんも『局長命令だろ? ニヤリ』とか言って面白がってたのにさあ……」


 ありとあらゆる力を兼ね備えた才媛のフランは、機動局入局後異例のスピードで昇進し、わずか四年で機動局の最高地位たる局長兼特異課課長に上り詰め、それ故周りから嫉妬の目や黒い感情を向けられる事も少なくない。圧倒的な実力に裏打ちされた自信によって自分への他人の態度を気にすることは全くなく、常に強気で居るが、その分何故か部下や同僚など自分以外の人間関係については人一倍敏感だった。周囲を和ませたいが、本人の才能ゆえ、「凡人」の感情がどうも上手くわからない。

 おまけに、気分屋で自信家という厄介な性格がフランのその弱点を複雑化した。その場の気分で思い切った事をしては、後々自省し、自身の愚かな行いを悔いることがしょっちゅうある。


「……でもさ、六君が変わる時期があるなら今しかないと思うんだよねー。あの子、この歳でずっと塞ぎこんだままでしょ? 彼は今大人と子供の狭間に居る。そろそろ自分の過去から抜け出すべきだ。それには希海ちゃんが必要じゃない? 例え六君にとって彼女が劇薬・・だとしても」

「そんなこと考えていたんだな、この残酷な道に引き入れたのはお前なのに?」

「最初に出会ったあの時、六君には冥対しか無いとすぐに分かったよ。この終わらない戦いの世界。そうじゃなかったら多分、そのまま自殺でもしてただろう。そもそも、特異課は全員そうだ。偽物の罪を背負って生まれ、世界から石を投げられ、その世界の為に都合よく死んでいく…………ここはどうしようもない子の集まりなの。だから非パンドラはなるべく入れたくない。ここくらいは皆が否定されることなく居てほしい……チルちゃんもそう思うでしょ?」

「さあ? 私は理想や思想をこねくり回して生きるのはどうも苦手だ、お前の好きにやるといいさ。まあ、あいつらの関係については、どうなっても本当に知らないけどな」

「ああ、本当にチルちゃんって人は…………」

 項垂れたフランの溜息は、六月の午後の空に溶けて消えた。

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