第八話 神判

 議場は広く、荘厳な空気が張り詰めていた。


 天井は遥かに高く、周囲の壁には黒檀の列柱が何本も埋め込まれており、十メートル四方ほどの西洋の暗い大森林を描いた巨大な絵画が飾られている。床は全面大理石張りで、議場の足元を理性の氷で固めているように思える。天井を見上げると、厳かな装飾の中にシャンデリアが吊るされており、全議席を叡智の光で照らしていた。


 中央の演壇を取り囲むように幾重にも配置された議席には、すでにほぼ全員の幹部が揃っていた。演壇を見下ろす正面の席には、議長の不二堂 憲介と副議長の長谷川 平八が厳粛な面持ちで座っている。


「外でデモやってた五月蠅い人たち、なんで議事堂の敷地内に入れちゃうんですかー? 来る度に思うんだけど、なーんかここの警備ちょっと雑すぎません?」


 機動局局長として長谷川から報告を求められた演壇のフランが、発言を許されて早々に不満を漏らした。


「今日初めて来た子がビビり散らかしてたんですけど!? どうしてくれんのさ、おっさん達?」

 希海を恐怖させたのは、彼女もである。


「こちらがお前に求めている報告はそういった事柄についてではない。『門』のパンドラはここに出席しているのだな?」


 長谷川がフランを低い声で窘める。


「もちですよ! 希海ちゃん、出ておいで~!」


 フランが後ろを振り向いて呼びかけると、緊張した希海が背筋を伸ばした不自然な姿勢で演壇に歩いてきた。周囲の幹部達の視線が一斉に希海の顔に注がれる。それは文化祭の劇で美女役を決める時、希海に集まるクラス中の期待の視線とは全く違っていた。目の前の少女が人類にとって有用な道具か、それとも敵かを見定める視線だった。


 議長の不二堂が希海に本人かどうか、そしてパンドラであるのかなどの確認を取った。格式ばった本人確認は良いとして、パンドラかどうかは訊かれても正直返事に困る。希海だって昨日、自分がパンドラであることを突然告げられたばかりで未だ実感が無いからだ。


「それで────彼女の厄災が暴走して多数の死傷者を出さない、という証拠はあるのかね?」


 長谷川が希海に目を向けたままフランに言った。


「はい、うちの厄災抑制プログラムはそこら辺の病院がやってるような安物とは質が違いますからねぇ。ど~~せまた、パンドラの権利を制限しろだの、殺せだの言うんでしょ?」

「黙れ、そこまでは言っておらん。我々はあくまで彼女の暴走によって多大なる犠牲者を出すことになる可能性が捨てきれんということを言っているのだ! 本当は手錠でもつけさせたいくらいだがね」


 長谷川の余計な一言に、フランの表情が一瞬凍り付いた。

 



 冥事対策機構最高議会の幹部は主に「管理派」と「共存派」という二派に分けられる。


 パンドラの権利・自由を最大限尊重した上で共存を図る「共存派」に対し、「管理派」は現在の法では制御しきれない彼らを国家が厳しく管理すべきだと見做す派閥で、中には統制を遂行するのに人権の制限も厭わない政府を求める過激な者も存在する。副議長の長谷川は管理派の中心人物だったが、議長の不二堂はツーブロックの白髪とよく伸びた口ひげという迫力ある容姿によらず共存派の穏健な男で、主に彼の権威が年々勢いを増す管理派と共存派の均衡を辛うじて保っていた。

 

「君自身はどう思うかね、羽宮さん」


 不二堂が長谷川を制し、優しい口調で希海に言った。


「君は門そのものに関する厄災を持ちながら、ついこの頃までその自覚が無かったらしいね?その理由の一つが、今まで暴走を起こしたことが無いからではないだろうか」

「そう……だと思います」


 隣のフランがまるで助け舟を発見したかのように目を輝かせる。


「議長、そのような質問を本人にしても主観的な答えしか返ってこないのですよ。私はあくまで可能性の話をしているのです。万が一大事故が起こったら、取り返しのつかないことになります……! ただでさえ国民は暴走を止めない我々に腹を立てているのに」


 議場内は徐々にざわつきだした。

 ざわめきの中で希海は、ふとデモ隊との衝突を思い出していた。そもそもパンドラは存在が稀なため、希海は今まで彼らへの差別、迫害を目撃したことが無かった。今日、希海は身をもって初めてその実態を知ったのだ。羨望と嫉妬の眼差し────自分がパンドラと分かった時、それがすぐに憎悪に変わった。


 六はあんな扱いをずっと受けてきたのか。デモ隊からの偏見、今自分を囲んでいる大人達の懐疑と好奇の眼差し……

 普段は底抜けに明るい希海の表情は、昨日今日で別人のように変わっていた。パンドラにとって厄災は、この世に生を受けた時から背負う罪だった。冥子による発展に現を抜かす人類が背負うべき罰。それを、個人が一手に引き受け、さらに同じ罪を背負う者達からすら蔑まれる。そう考えると六の無味乾燥な部屋は、まるで罪人の牢のように希海には感じられた。


 六のために何かしてあげたい。六を救いたい。希海はそう思った。






 二人が議事堂から外に出ると雨はすでに止んでいたが、未だ空には重苦しい雲が一点の隙間なく重なっていた。

 本部へ向けて走る車内、希海は軽い頭痛に襲われた。連日慣れない事続きで体調にも支障をきたしているようだ。


 しかし、頭痛それ自体に違和感があった。


 普段の頭痛のような痛みではない。それは何かが遠くから上げた叫びが、頭の中に響いているような感覚だった。

 

 しばらくしてからである。それが叫び、というより産声だと分かったのは。


 空が紅に染まる。

 六月の曇天に一点の綻びが生じ、雲はそこから割れ、みるみる消え失せた。

「……おっと、一年ぶりだ」

 そう言ってフランは車を止めた。

 完全に、昨日のショッピングモールで襲われたのと同じ頭痛だった。


 赤から青への空の変遷。

 ──あの時と同じ、「門」が開いた。辺り一帯の人々の悲鳴、遠くへ逃げる靴の音。


「希海ちゃん、車から出て私の後ろを離れないで…………心配要らないよ? 私がいる限り希海ちゃんが傷つくことは絶対に無い」


 助手席の希海にフランが言った。

 二人はセダンを降り、フランは何やら本部と通信を取っている。


 門からやがて体長五メートル程の冥獣が一体、生まれ落ちた。


 四足歩行のその体はシリコンのように滑らかな白い皮膚に覆われており、虎のように発達した四肢と爪を備えている。顔は人間の輪郭を呈しているが、目、耳、口は存在せず、のっぺら坊のような平坦な顔面を左右に区切る溝の奥に、一つ眼がぎょろぎょろと蠢いている。


 冥獣は落下の勢いで顔を地面に激突させ、しばしの間動きを停止したかと思うと、態勢を立て直して二人を見つめた。皮膚の光沢が日光を反射し、不気味な輝きを纏っている。

「今日は嫌な思いさせちゃってごめんね。長谷川っておっさん、いつもあんななんだ……ほんとに管理派は嫌な連中だよ……」


 冥獣にたじろぐ希海に、フランは場違いな事をぼやく。


「お詫びと言っちゃアレだけど、希海ちゃんに面白い物見せてあげる」


 二人を捉えた冥獣が、高速道路を行き交う車ほどの速さで咆哮を上げながらこちらへ突進して来る。希海は思わずフランのスーツの裾を握りしめた。

 目の前の哀れな人間達を殺すことしか考えの無い冥獣は、遥か上空から炎を噴き上げて己に急接近する人間大の鉄塊に気づく筈が無かった。


 フランは何もせず、薄ら笑いで立っている。


「フランさん……?」


 冥獣は、足元にクレーターを作りながら二人に迫る。

 二人までおよそ三十メートル。


「あの……ちょっと! 冥獣が! 死んじゃう私たち!」


 二人までおよそ十メートル。

 冥獣が顔の溝を開き、中の眼が俄かに回転し始めた。


「ああぁぁぁああああ!」


 希海の体は針金を入れたように固まり、叫んだ。




 ────冥獣の顔とフランが接触するのではないかと思えたその時、横からこちらに向かって飛翔する上空の鉄塊が、冥獣の顔に壮絶な速さでぶち当たった。

 冥獣の体は数メートル程吹き飛び、艶やかな肌は紫色の血と道路の埃でぐちゃぐちゃに汚れた。

 フランの目の前の鉄塊は金属製のケースであり、表面の蓋が自動でスライドし、開いた。中から出てきたのは、十字架の形をした紛れもない「棺桶」だ。

 

「この剣はACGって言ってね、人間界で死んだ冥獣が落とす遺物から技術開発部が作った武器なんだ。今さっきここに持ってくるよう本部に要請した。ちょっといかついけどかっこいいでしょ?」

 その十字架型の棺桶は加工された艶やかな黒檀でできており、表面には西洋の装飾が施されている。


 それにしても、フランがこれを「剣」と言ったのには違和感があった。

 確かに十字架の上部には細い柄が付いているが、そもそも物を斬れるほど鋭い刃先はどこにも存在しない。これでは剣というより鈍器と呼んだ方が正確である。

 棺桶が足下のケースから空中に射出され、フランが柄を掴んだ。柄には白いタッセルが下がっており、棺桶の動きに連動してひらひらと宙に揺れている。


 それまで痛みにのたうち回っていた冥獣が、態勢を立て直して二人と再び対峙した。

 と、フランが剣を胸の前に垂直に立て、構えた。左手は背に回している。

 冥獣はまた目を蠢かせ、劈くような咆哮を上げた。


「セラフィムシステム、起動」

 

 ──そうフランが口にすると、剣の十字架が輝き出した。


 清浄で神聖な光。

 議事堂で腕に纏ったあの光だ。そう気づいた。




 希海は、行きの車内での会話を思い出した。

「今日、六は居なくても大丈夫なんですか?」

「んふ~、よくぞ聞いてくれた!」

「それはねぇ、六君よりも私の方がずっと強くて、一人で十分だからだよ。機動局には特務順位ってのがあってね、職員の知能とか、戦闘力なんかの能力をぜーんぶ評価した順位が出るの。危険な任務は実力のある人に任せないとダメだから、順位が高いほどそういう任務に就くってワケ。そもそも特異課はパンドラの集まりだから、三百名くらいの中で一桁台がうじゃうじゃ居るんだ。例えば天音ちゃんが七位、六君は若いけど超優秀だから三位、みたいにね」

「……んで私がぶっちぎりの一位。冥対の誰よりも強いから機動局の局長も特異課の課長も任せられてるの。つかぶっちゃけ、強くなかったら誰も私みたいな舐めた態度のクソガキ、出世させたくないだろーからね!ガハハハハ!」




 ──機動局特務順位一位、冥事対策機構の最高戦力が能力を開放する。


 一振り。交戦は一振りで決着がついた。


 剣先が下ろされた冥獣の顔は、あの時のデモ隊の男と同じように、消えた。

 生命の存続に必要な部位を失った冥獣は瞬く間に体を地に沈め、首からはまるで終劇を告げる舞台の赤い幕のように血が流れ続けていた。

 まさに別格だった。三位の六でも冥獣には苦戦し、討伐してはいない。二位の職員がどれだけの実力者かは知らないが、六に比べると戦闘における体の動きが殆ど無いと言ってよかった。汗をかくことも無ければ、その白い女性用スーツに皺をつけることすら無い。




 事が終わると、フランはイヤホンでまた本部と何か通信を取った。


「さ、お家に帰ろっか」


 通信を切り、そう言ったフランの表情はどこか冷ややかで、希海に議事堂で男を見下ろす彼女の姿を思い出させた。

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