第六話 孤食

 冥事対策機構本部は主に五つの建物で構成される。




 西側の正門から続く本部ビルは二十階建てであり、洋風の近代建築の意匠を凝らした一~三階の上に聳え立つ、一面にガラス窓が敷き詰められた三~二十階が摩天する。


 正面から見て本部ビルの右手には研究開発棟、左手には棟内に附属病院がある医療棟が肩を並べており、晴れた日はガラス張りの二棟が周囲のビルと同じように日差しを受け、授かった光を反射によって街に還元している。


 南東にはアカデミーの施設が群集している。

 冥対は機動局の戦闘員や技術スタッフなど職員に特殊な専門技術が求められるため、アカデミー生を募集し、一年の訓練の後、試験で能力が十分にあると判断された者が職員に就任する。


 北東の最も広大な敷地が職員居住区。

 樹木が立ち並ぶのどかな草地に、十棟を超えるコンクリート製の団地が規則正しく回路を形作っている。その回路を這うように舗装された道路が各棟を結び、敷地内では自転車や電動スクーターの使用が許可されている。さらに居住区の近くにはコーヒーショップやコンビニエンスストア、公園などの施設が完備され、居住区外へ一歩も出なくとも健康的な生活が送れるようになっていた。




 希海が六の部屋に着く頃には、すでに夜になっていた。

 曇った夜空に星は全く見えず、建物の光を押し潰すような闇が居住区全体を包む。


 二人はお互い顔を見合わせないまま二階にある部屋の前に立った。六がズボンのポケットの鍵を探る音だけが廊下に響いた。


 部屋は簡素だが一人暮らしにしてはやや広めで、人二人の生活にさしたる問題は無かった。玄関から続く廊下の右手には手前からトイレ、風呂、左手には部屋が二部屋あった。廊下は玄関とリビングを結んでおり、リビングから洗濯物を干すことができる程度の広さのベランダが突き出していた。


 希海はリビングに入り愕然とした。まるで生活感というものが無かったからだ。

 中央には向かい合った二脚の椅子がテーブルを挟んで向かい合っており、リビングに入ると左に三十二インチのテレビがぽつんと立っている。ブルーレイやゲーム機などは無く、代わりに灰色の本棚に隙間を排した几帳面な並び方で本が何冊も並んでいた。


 右にはキッチンがあり、テーブルの方を向き、テレビを見ながら料理ができるようになっている。しかし調理器具が一つとして目に見える位置に無いのと、調理の汚れやシミが全く残っていないのを見て、希海にはここに住む者が自炊をしない事が容易に分かった。

 テーブルの上だけでなく、部屋全体に無駄な物は一切存在しない。ここの居住者が几帳面というより、元から殆ど何もこの部屋に持ち込まれたことが無いような気がする。椅子や棚に薄っすら埃が堆積していることから、直近の清掃の痕跡が伺えなかったからだ。トイレだけは一応それなりに掃除されていた。


「……ねぇ、君本当にここ住んでんの?」


 部屋の端にリュックを置いた希海は、キッチンでコップの水を飲んでいる六に訊いた。


「どういうことだ」

「部屋殺風景すぎるんですけど? もっとこう、オトコノコらしいお洒落な小物とか無いわけ?」

「生憎そんなのは無いよ」


 六がコップを洗いながら答える。


「廊下に二部屋あるから、玄関側のを使え。俺はもう一方を寝室にしてる。あと散らかしたら殺す」




 しばらくすると、普段希海が使っている衣服や勉強道具、生活用品一式などが届いた。希海は先刻父に連絡して事情を説明していた。父は大いに心配し、寄宿を快諾してくれた。一人娘が世界から命を狙われているのだ。しばらくは安眠できないだろう。関係者以外がここに入るにはアポイントメントが要るが、近いうちに顔を見せよう……希海はそう決めた。


 段ボールを開け、中の荷物を今日から自室になる部屋に整理した後、希海は風呂場の洗面台に立った。縁に薄っすらとついた水垢が自分の像だけでなく、表情まで曇らせている気がした。 

 鏡の中の希海は酷い顔をしていた。ショッピングモールの混乱で制服の袖は汚れ、髪は乱れている。自分を追うものの正体、万人の殺意の対象であるという危機感……。そういったものが頭を支配していないのは、単に疲労からだろうと思われた。

 今日は何か食べて、ぱぱっと風呂に入って寝よう……。希海はぼんやりとそう考えた。


 希海がふと洗面台のシンクに目を落とすと、歯ブラシの横に大量の錠剤が不気味な山を作っていた。数十種類もの薬が積み重なり、飲み殻が雪崩れた土砂のように散らかっている。

 



 夜は深まり、団地の外を歩く者は誰も居ない。


 二人はリビングのテーブルで遅い夕食を取った。冷蔵庫にあったコンビニの弁当だった。

 六が冷蔵庫から弁当を取り出し、自分と希海の席に弁当を並べる。希海が食事に手を付ける前にスマホをいじっていると、六はそのまま食べ始めた。


「……えそれ、チンした?」

「レンジは冷蔵庫の横だ。使いたかったら使え」

「いやそういうことじゃなくて、君っていつもカチコチのお弁当食べてるわけ?」


 六は黙って野菜を口に運ぶ。




 静かな食卓だった。希海は諦め、温めた弁当を淡々と食べた。喋ることもなかったし、喋る気力も無かった。その日は食後、二人共風呂に入り寝た。

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