玖-災厄の妖怪

幽鬼は目を丸くし、足を震わせる。

「ナ、ナンダ。ソノチカラハ……」

弥勒が一歩進む度に世界が揺れ、地面に罅が入る。

そのまま人差し指を上から下へ、クイっと動かしながら呟いた。

「落ちろ」


瞬間、“夜”が降ってきた。

「マ、マッテクレ。シニタクナ……」

その闇の塊は直接幽鬼を捕らえ、地面ごと消滅させた。

漆黒の世界に轟音が響き渡る。

そして先ほどまで幽鬼が立っていた場所には、どこまで続くのかわからない程、大きく深い穴だけが残った。


下界を覆っていた闇が晴れ、暫く沈黙の時が流れる。


「師匠、その木の裏にいるんだろ?」

「あらら、バレてましたか」

「相変わらず過保護だな」

(この様子だと、どうせ最初から見守ってくれていたんだろう)

「そういう性分ですので」


師匠は木の裏から弥勒の傍まで優雅に歩き。

「少年、お疲れ様でした。これにて訓練は終了です」

「ありがとう師匠。感謝している」

「免許皆伝ですね!」

(言ってみたかったんですよねぇ、これ)

「言ってみたかっただけだろう、それ」

(奥義みたいなモノは伝授されてないけど、それ以上に基礎を学ばせてもらったんだ。皆伝と言えば皆伝だな)


これにて、一週間に渡る訓練は終了した。



現在二人は、初めの小山へ向かっている。

「少年はすぐ迷子になりますからね。私が小山まで送り届けなければ……」

「いや、ならんわ」


二人は来た道を順調に遡っている。

「あのさ、師匠。俺が最後に使った術って『幻術』だよな?」

「ええ、そうです。正直驚きましたよ」

「しかも何の術か知っているだろ」

「あちゃー、バレましたか。実は一度だけ見たことがあります」

(別れ際に伝えようと思っていましたが、仕方ないですね)

「ほうほう。名前は?」


師匠は急に立ち止まり、弥勒と顔を合わせた。

「幻術、《-月詠-》。それは妖怪の王、【空亡(ソラナキ)】様の術です」

「ってことは……」

「少年が空亡様だったということですね」

「うわぁ」

(マジかよ……)


弥勒はさらに質問を続ける。

「先代はまだ生きているのか?」

「確実に死んでいます。この世界に同じ幻術は二つも存在できませんから」

「なるほど。ちなみに先代と会ったことは?」


師匠は目を細め、呟く。

「ありません。しかし数百年前、先ほどのように一度だけ下界に夜が降りたので、術だけ知っています。古から生きる妖怪達は、今頃大騒ぎしているでしょうね」

(懐かしいですねぇ)

「師匠って長生きなんだな」

「はい。それなりには」

師匠は静かに柔らかな笑みを浮かべた。弥勒はそれを見て、確かな年の功を感じたのであった。


二人はそれからも雑談を続け、気が付けば小山のてっぺんにある幽門まで到着していた。

「師匠、ありがとな」

「いえいえ、こちらこそ楽しかったですよ」

「そういえば情報はどうやって渡せばいい?」


師匠は首を傾げる。

「はて。なんのことでしたっけ?」

「いや、弟子にしてもらう代わりに……」

ここで師匠は白々しく両目を広げた。

「ああ、思い出しました。別にいりませんよ。興味ないですし」

「なんじゃそりゃ。じゃあなんで弟子にしてくれたんだ?」

「しいて言わせてもらうと、師弟関係みたいのに憧れていたんですよねぇ」

「えぇ」


「まぁ少年が“妖怪王”だったことは大誤算でしたけどね」

「それはごめんて」


ここで弥勒の表情が切り替わった。

「どうしました?」

「師匠に教えを乞うた理由は、復讐以外にもう一つあるんだ」

「ほう」

「実は……」

弥勒は焔を探していることを長々と語った。


「……というわけなんだ」

「なるほど」

「んで俺は、焔が九尾族長の娘だと考えている」

「だからあの時九尾族に関して知りたがっていたんですね」

(納得です)


「そういうこと。で、師匠はどう思う?」

「十数年前、九尾族の娘が忽然と姿を消したと聞きました。なのでたぶん本人だと思いますよ」

「やっぱりか」

(やはり焔は連れ戻されたのか。九尾族の里に)


「でも酷い扱いは受けないでしょう。なんせ次期族長ですから」

「じゃあ、そんなに焦らなくても大丈夫か」

「学校生活を楽しみつつ、じっくり情報を集めるのが一番だと思います。急がば回れというやつですね」

「だな」


師匠が懐に手を突っ込み、小さい刀を取り出した。

「少年、餞別にコレを渡しておきます」

「なんだ、これ。……短刀?」

「秘密です」

「えぇ」

「ふふふ」

(やっぱり少年を揶揄うのは楽しいですねぇ)


「じゃあな師匠。またどこかで会おう」

「ええ少年。またいつか」


師匠を尻目に、弥勒は幽門へ足を踏み入れた。



 弥勒は一週間ぶりに上界へ帰還した。

彼はポケットからスマホを取り出し、画面を見る。

「今は昼の二時か」


空を見上げれば、そこには雲一つない蒼い世界が広がっていた。

弥勒は目を細め、新鮮な空気を胸一杯に吸い込む。

「ふぅ……。帰るか」

固有術を発動し、人間に擬態する。

そのまま小山を下り、神社の前まで来た。


「待ってろよ、焔。絶対に迎えに行くからな」

と呟き、踵を返した。



そして。

「ただいま~」

(このアパートで未だ一夜も越したことはないが、妙に懐かしく感じる)

「まずは風呂にでも入るか」


二十分後、彼は湯船に浸かっていた。

「そういえば、師匠って何者なんだろうな」

(まぁいいか。暇だし霊力の操作練習でもしよう)

徐に右手を握りしめ、霊力を集めた。


今更だが、師匠は弥勒の名前を知らないし、弥勒も師匠の名前を知らない。

一応、師匠は弥勒が空亡だと知っているが、弥勒は師匠が何者かなど知らない。

実際、師弟関係にそんなものは関係ないのである。


弥勒は風呂から上がった後、テーブルの上に置いてあったコンビニ袋を手に取り、ソファに座った。

「モグモグ」

(結局アレは何なんだろうな)


弥勒の視線の先には、師匠から餞別で貰った謎の短刀が置いてある。

(まぁいっか。そのうちわかるだろう。それよりも陰陽師育成高校に入学届けを出さなければ)

刃物を箪笥の上に放置しておくのも何なので、とりあえず引き出しの中に入れてから、入学届を出すことにした。


彼はスマホを片手に取り、高校のホームページにある入学のフォームを開いた。

そこに個人情報や入学動機などを順調に入力していく。

(スマホで全部できるなんて、便利な世の中だな)

そして『入学届けの入力が完了しました』という文字を確認し、送信ボタンをタップした。


そのままソファから立ち上がり、背伸びをして体を解す。

(そろそろ入学に必要な物でも揃えるか)

午後は買い物で時間を潰すことにした。


ベッドの上で目を瞑りながら呟く。

「ふわぁ……。明日から頑張るか」

その言葉を最後に、弥勒の意識は闇の中へ落ちた。

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