捌-幽鬼
弥勒と師匠が弟子の契約を交わしてから早六日経過した。
そして七日目の現在、弥勒は一人で『幽鬼の森』の奥地を闊歩している。
「不気味だな。生物の気配が一切無い」
(薄暗い上にジメジメしている。いかにも妖怪が好みそうな場所だ。俺は嫌いだけど)
なんて呟きながら、森の最奥へ順調に歩みを進める。
時を遡ること一時間前。
「なぁ師匠。最初で最後の討伐訓練の相手が幽鬼っておかしくないか?初戦からラスボスって」
「だってそっちの方が面白いじゃないですか」
「えぇ……」
(まぁ師匠のことだから、何か理由はあるんだろうな)
師匠はニコニコしながら手を振り。
「じゃあ私はここで待っているので、後は一人で頑張ってくださいね」
そんな師匠を見て、弥勒はボソッと呟く。
「鬼畜妖怪め」
「何か言いました?」
「何も」
弥勒も手を振り、そのまま“森の奥地へ消えていった。
そして今に至る。
(師匠曰く、そろそろ幽鬼が俺の存在に気付くはずなのだが……)
その言葉の通り、弥勒はすでに“幽鬼の住処”に侵入していた。
「ん?」
(急に霧が発生した。まるで俺を中心に霧が発生したような感覚だな)
弥勒は背後に何者かの気配を感じ、振り返った。
「!?」
(気のせいか?)
再び前を向くと、そこにはボロボロの鎧を装備した武者が立っていた、
「……」
「お前が幽鬼か」
「コロス」
ついに弥勒VS幽鬼の戦いの幕が上がった。
深い霧の中で、弥勒は幽鬼と対面している。
(こいつの固有術は確か……)
瞬間、幽鬼は霧になって消えた。
(《-霧-》だったな)
すぐに横から声が聞こえた。
「……ツチノニ、イシツブテ」
大量の石が弾丸と同じ速度で放たれる。
「チッ」
弥勒は強く地面を蹴り、後ろに回避した。
(今のは〈土ノ弐-石礫〉だな。あらかじめ妖力を纏っておいてよかった)
そして、まだ同じ場所にいる幽鬼に手を向けて呟いた。
〈土ノ参-土蜘蛛〉
「……ツチノサン、ツチグモ」
二体の土蜘蛛が物凄い勢いで衝突し、軽く砂が舞い上がった。
それが目に入らぬよう、弥勒は一瞬だけ目を閉じる。
すると、後ろから微弱な妖力を感じたので反射で身を屈めた。
上を見ると、錆びた刀が突き出されていた。
「それが狙いだったか」
弥勒は左手に妖力を溜め、幽鬼の横腹に裏拳を叩き込んだ。
「ガハァッ」
幽鬼は悲痛な声を上げ、霧になった。
(なるほど。実体に戻っている時は一応攻撃が通るのか)
なんて考えていると、また別の場所に幽鬼が姿を現した。
「コ、コロス。ゼッタイコロス」
弥勒に錆びた刀を向け、突撃の構えをとった。
「いいぞ。付き合ってやるよ」
ここで二回戦目が開幕した。
弥勒は主に拳と蹴りで、幽鬼は錆びた刀を駆使し、互いの技をぶつけ合う。
「くっ……」
(この刀、錆びてるくせに硬すぎる。一切壊れる気配がない)
そこで気づいた。
(まさか、刀もこいつの一部なのか?)
ここで弥勒は刀の破壊を諦め、攻撃を避けつつ、隙を狙って弱点を突く方針に変えた。
幽鬼の剣は、ただただ実直。今まで積み上げてきた剣術で順調に、目の前の敵を追い詰めていくだけ。
上からの振り下ろし、そのまま振り上げ。袈裟斬りからの逆袈裟。フェイントを挟みつつ、横一閃。そして一歩踏み込み強烈な突きを放つ。
それは弥勒の鳩尾に直撃し、彼を吹き飛ばした。
勢いのまま後ろの木に激突する。薄暗い森に鈍い音が響き渡った。
「グッ……」
弥勒は痛みをグッと噛み殺し、吐血しつつも立ち上がった。
(刀相手だと間合いが違い過ぎて幽鬼に近づけない。このままだと負ける)
彼の頭の中に“敗北”の二文字が思い浮かんだ。もちろんこの状況において、敗北とは死を意味する。
(負ければ孤児院の皆の仇も取れないし、焔も探しに行けない。それだけは絶対駄目だ)
「ふぅ……」
(やっぱり妖術の撃ち合いで片を付けるのが一番だな)
弥勒は呼吸を整え、作戦を振り出しに戻した。
〈風ノ参-刃風〉
三回戦目である妖術の撃ち合いが始まってから約三十分後。
余裕そうな幽鬼に対し、弥勒は息を切らしながら術を唱えていた。
「ハァ、ハァ……」
(参の術を撃ち続けているせいで、妖力が涸渇寸前だ)
幽鬼が参以上の術を放ってくるので、それを相殺するために弥勒も参の術を撃ち続けなければならなかったのである。
再び弥勒の頭の中に二文字の言葉が思い浮かんだ。それは“逃走”の二文字。
(このまま戦って死んだら、それこそ全てパーだ。しょうがない、後で師匠に謝ろう)
彼は残りの妖力を全て纏い、その場から逃げ出した。
だが忘れてはならない。
幽鬼の霧は、弥勒を中心に発生しているのだ。わかりやすく説明すると、彼はマーキングされているので、霧が発生した時点で逃走は不可能なのだ。
これは初めからどちらかが死ぬまで終わらない戦いなのである。
(あそこから大分離れたのに、なぜ霧が晴れないんだ?)
疑問を持ちつつも、ルートを逆走する。妖力だけでなく、体力もほとんどない。もし追いつかれれば戦うこともできずに、あっけなく殺されてしまうだろう。
弥勒は額を流れる汗を拭いながら、がむしゃらに走った。
(よし、逃げ切れる)
だが嫌な予感がし、ふと横を見た。すると。
「ニガサナイゾ……」
錆びた刀身で頭を殴られ、派手に吹き飛んだ。
彼は地面を削りながら転がり、やがて止まった。頭からは血を大量に流し、息も絶え絶えである。そして朦朧とする意識の中で、幽鬼の方を見る。
「ニ、ニガサナイ。コロス。コロシテ、クッテヤル。ヒヒヒヒ……」
厭らしい笑みを浮かべた幽鬼が、ゆっくりと近づいてくる。
(身体はもう動かない。妖力もほとんどない。師匠もいない。本当にここで死ぬのか?皆の仇も討てず、弥勒とも会えず、こんなところで妖怪に喰われて死ぬのか?)
「ハァ、ハァ。それだけは、駄目だ。み、皆の仇を、ほ、焔も探しに……」
弥勒の脳内に、孤児院事件や、焔の事が走馬灯のようにフラッシュバックする。
悲しみ、怒り、焦り、恐怖、怨み、後悔、絶望、憎悪…。そして殺意。
沢山の感情が混ざり合い、視界が黒に、いや闇のような漆黒に染まっていく。あの日、血の海で家族を抱き上げた時のように。
「ア“ァ”ァ“ァ”ァ”ァ“ァァァァァァァァァ!!!!!!!」
弥勒の目が紅色から、漆黒に変わる。
そして身体の中心から妖力でも霊力でも無い、第三の“力”が溢れ出す。
彼は徐に立ち上がり、呟いた。
「《大禍時(オウマガトキ)》」
刹那、下界全体が闇に包まれた。
~~~~~~~~~~
日本の古い言い伝えによると、安倍晴明が数多の陰陽師を束ねるように、下界にも全ての妖怪を束ねる『王』が君臨していたらしい。
それは天に闇を降ろし、人智を超えた術を行使する。
それはふらりと現れては災を起し、いつの間にか姿を消す。
それは百鬼夜行を発し、上界を滅亡へ導く。
その妖怪の名は【空亡】(ソラナキ)。
妖怪王、又の名を≪災厄の妖怪≫と呼ぶ。
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