弐-本来住まうべき世界

 日が完全に沈む前に、弥勒は神社に到着した。

いつも通り石階段を上った後、鳥居を潜る。そして。

「おーい、焔。今日も来たぞー」

暫く返答を待つが、結局返ってこなかった。


(やはりいないか……。じゃあ焔も事件に巻き込まれた可能性が高いな)

彼はここに十年間ほぼ毎日のように通っていた。ここを訪れれば、焔は絶対に顔を出してくれた。だがあの事件の日、初めて顔を出さなかった。これで無関係というのはさすがに無理がある。


(お前は絶対に生きていてくれよ、親友。絶対に迎えに行ってやるからな)

弥勒は強く決意を固めた。


帰路に就こうと思ったその時。

「ん?なんか違和感があるな」

彼は神社の向こう側に“何か”を感じた。

(これは神社の境内というよりは……裏山だな)

「よし。行ってみるか」


弥勒はここに通い続けて十年経つが、実は裏山に入ったことが無い。入ろうとすると、焔がとても嫌がるからだ。

(思っていたよりも草木が邪魔で歩きにくい)

茂みをかき分けつつ、違和感を覚える場所へ順調に進んで行く。

丁度山のてっぺんに着いたタイミングで日が完全に沈んだ。


(あの辺りだな)

違和感と暗闇が相まって非常に不気味だが、一歩ずつ目的地へ近づく。初めは暗くてよく見えなかったが、目が慣れて視界がハッキリとしてきた。


「洞穴?」

違和感の正体は、謎の洞穴だった。

(ちょっと怖いから、暫く様子見するか)

とか思いつつも、弥勒にはこれが何の穴なのかほぼわかっていた。

(まぁ、妖怪が“本来住まうべき世界”って所に繋がっているんだろうな。そりゃ焔も、俺がここに近づくのを嫌がるわけだ)


顎を手で摩りながら悩む。

(はぁ、悩んでも仕方ない。俺の予想だとこの入り口はいつでも開いているが、それは絶対ではない。明日には閉じてしまう可能性もある。要するに帰るという選択肢は無いってことだ)


彼は一度深呼吸した後、彼が“本来住まうべき世界”へ足を踏み入れた。



ここは魑魅魍魎が住まう世界。数多の妖怪達が暮らす、弱肉強食の世界。

弱きモノ共は自然と淘汰されていく恐ろしい世界。

そんな場所に、十六歳の青年【神楽坂弥勒】は足を踏み入れた。否、踏み入れてしまった。


弥勒はこちら側の世界に入って早々、天を見上げた。

「空が……赤い?」

(元の世界とは少し違うのか。『夜』という概念が無いのかもしれない。それか元の世界とは昼夜が逆転している可能性もあるな)


こちら側の洞穴は、あちら側と似たような小山のてっぺんに繋がっていた。

(特にここらで生活していた痕跡は見当たらない。ということは、焔は基本人間側の世界で暮らしていたのかもしれん。それか、近くに妖怪の集落的なものがあるかの二択だな)

弥勒はとりあえず山を下りることにした。


(ふむ……。空は赤いが、生えている草木は一緒なのか)

この世界を慎重に調査しながら、歩みを進める。山自体は小さめなので割とすぐに下山することができた。


とその時、近くの木の裏から獣型の妖怪が顔を出した。犬と猪を混ぜたような不気味な見た目である。

「ケケケケ……」

「!?」

弥勒がそれに気づき驚いた直後、妖怪は突進してきた。

すぐに回避しようとしたが間に合わず、それをもろに食らってしまった。

一応両腕をクロスさせ致命傷は避けたものの、衝撃で数メートルは吹き飛ばされた。


「ケケケ……」

名も知らぬ妖怪はニチャアと口を開き、鋭い牙を覗かせた。

涎を垂らしながらゆっくりと近づく。

(こりゃマズいな。アイツの速さ的に、洞穴の方へ逃げても余裕で追いつかれる)


弥勒は絶体絶命の状況で考える。

(あの時の力があれば、たぶん倒せる。思い出せ、思い出せ、思い出せ!)

彼の雰囲気が変わった。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」

視界が真っ赤に染まる。全身から力が溢れ出し、気分が高揚していく。

そんな姿を見て、妖怪は一歩下がった。

「ケ……ケケェ……」


だがその瞬間、息ができない程の圧力が両者に降りかかった。それは物理的な力に変わり、弥勒と妖怪は地面に這いつくばった。

「カハァッ、ハァッ、ハァッ」

(く、苦しい。なんだこれ……)

重い体を必死に動かし、顔を横に向けると。




「やぁ少年。調子はどうです?」



(んなこと聞かれても、答えられるわけないだろう。てか苦しい……)

謎の男はパチッと指を鳴らした。

刹那、件の妖怪がグチャリと潰れ、ただの肉塊となった。

「これで邪魔者がいなくなりましたね」

すると少しずつ圧力が解けていき、肺に空気が戻った。

「ふぅ……。調子は最悪だ」


弥勒が落ち着いたタイミングで男の表情がガラリと変わり。

「単刀直入に聞きます。少年、貴方は一体何者ですか?」

「何者って聞かれても……」

「嘘ついたら殺しちゃいますよ?」

弥勒はその言葉を聞いて、少々考える。

(そんな事言われても本当にわからないんだよな。なんと言うべきか……)


暫く経ち、ようやく口を開いた。

「たぶん、人間では無いと思う」

「うーん。陰陽師ってことですか?こんな辺鄙な場所にいるくらいですし」

「いや、陰陽師でもないかな」

「アハハッ、確かにそうですね」


男は肉塊を指さしながら続ける。

「もし少年が陰陽師なのであれば、こんな雑魚に手を焼くはずがありません」

(この少年は本当に何者なのでしょう。先ほど一瞬だけ妖力を感じましたが、現在は一般的な人間に見えます。不思議ですねぇ)


そこで会話が途切れ、両者無言で見つめ合う。

「……」

(あ、これ進展ないと殺されるやつだ)

「……」

(これ以上の問答は意味が無さそうですね。危険分子か否かわからない以上、今殺してしまうのが一番効率良いかもしれません)


弥勒の見立てでは、この謎の男には逆立ちしても勝てない。息をするよりも簡単に命を奪われてしまうだろう。

(でもこの男は陰陽師では無さそうだし、どうせ死ぬくらいなら全部話してみるか?俺の勘だとコイツは一応誠実なタイプだから、ある程度情報を晒して危険分子では無いことを証明すれば、なんだかんだ見逃してくれる気がする)


ついに弥勒が沈黙を破った。両手を上にあげ。

「はぁ……。降参だ、降参。信じて貰えるかはわからないし、話すと少し長くなってしまうけど、聞いてもらえるか?」

「ふむ。いいでしょう」

(これは相当訳アリのようですね。とりあえず話を聞いてみましょうか)


弥勒は意を決し語り始めた。


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