ソニア
「さて、と……状況の説明くらいは、しておこうか」
「…………」
街の住民達の奇異の視線に晒されながら、俺は拠点としている宿屋の一室にソニアを招き入れていた。彼女にはこれから先、酷な命令を課すことになる。だから、自分がどういう状況かくらいは知っておいて欲しかった。
「これから先、君には俺と一緒に魔物と戦って貰う。当然、死ぬ可能性もあるだろう。それが、今の君に求めることの一つだ」
「…………」
「まぁ、今すぐ討伐に同行しろって話じゃ無い。まずは、連れて行っても足手まといにならないレベルになってもらう。ここまでは良いか?」
「…………」
「……だんまりじゃ、なんも分かんねぇ」
彼女は俺をジッと見たまま、うんともすんとも言わない。喋らない、とは聞いていたが、身振り手振りすらもしてくれないとは……
「とにかく、話はそれだけだ。手当てをするから、こっちに来い」
「…………」
「はいはい……俺から行きますよ」
彼女の瞳からは生気が感じられない。生きることを投げている様な、そんな調子だ。
身体を軽く洗いながら治療をしていると、終わったのは夕日が沈む頃になってからだった。この時間になると、後は飯を食べて寝るだけだ。
「飯だ。ちゃんと食えよ」
「…………」
「はぁ……頼むから食べてくれ」
放っておけば、ソニアはサブクエストの時の様に、人間を憎むようになる。それだけは絶対にダメだ。どうにかして、彼女の人間不信を直さなければならない。
「俺はこっちで寝る。ソニアはベッドで寝ろ」
結局、俺が食い終わっても、ソニアは食事に手を付けることは無かった。俺は毛布を一枚取って、床で寝た。
起きると、ソニアは端っこで眠っていた。食事は、綺麗に平らげられていた。
2
それからは、ソニアの育成に力を入れていった。この世界には、ステータスなんて便利なものは存在しない。スキルや魔法だって、使えるかどうか知るのすらタダでは無いし、いずれも習得するにはそれなりの時間が必要になる。
俺がソニアに求めていることは全部で三つ。
一つ目は、俺と同等、理想を言えばもう一段階高位の回復呪文が使える様になることだ。
理由としては、灼熱の短剣のデメリットにある。この武器、装備しているだけで手が焼け付く。イメージとしては段々と熱されるフライパンの様で、耐熱仕様のグローブはマストである。
灼熱球を放つ時なんて、耐熱グローブすら貫通して火傷を負う始末だ。主人公達はこれを素手で使っても問題ないのだから、やはり化け物染みている。
そんなわけで、俺の戦い方は怪我ありきの戦い方なのだ。今までは傷薬や自前の回復呪文で何とかしてきたが、それにも限界がある。もし、魔族とやり合うことになれば、灼熱球の10発や20発では到底倒しきれない。だからこそ、火傷を瞬時に治せるくらいにはしておきたいのだ。
二つ目は、最低限の自衛が出来ることだ。まぁ、これについては心配していない。ソニアは、俺なんかよりも遙かに強くなれる。
最後に、これは願望に近いのだが……人間を憎んで欲しくない。
もし、俺が死ねば、彼女は独りで生きていくことになる。闇商人には多少の便宜を図らせるが、それだって完璧では無い。
半魔族の彼女がこの世界で生きて行くには、辛く厳しい。けれど……それでも、ソニアには、ゲームの様に悲惨な最期を迎えて欲しくないのだ。
だから、俺は今日もソニアに自分が知っている全てを教えていく。
「今日は回復魔法を教えるぞ。分かったか?」
「…………」
「おし、じゃあ行くぞ」
ある日は俺の魔物狩りに同行させ、灼熱球の反動で焼けた俺の手を実験台にして、回復呪文の練習をさせたり……
「今日は模擬試合をする。殺す気で来い」
「…………」
「ぬおっ!? おまっ、不意打ちは卑怯だぞっ!」
ある日は刃を潰した木剣で近接戦を体感させたりもした。初日からやられそうになったのには、性能差に軽く絶望したものである。
そして、一ヶ月が経った頃だろうか。いつも通り、魔物狩りに同行させ、回復魔法の練習をさせる。街に帰れば、軽く身体を洗って飯を食う。後は寝るだけ、という時のことだった。
「回復魔法、上手くなってきたな。傷の治りが早くて助かる。明日もこの調子で――」
「…………ね、ぇ」
「たの、む……」
今まで、一言たりとも話さなかったソニアが、声を発した。掠れて、耳を澄まさないと聞こえない声量だったが、確かに喋ったのだ。
「な、なんだ? 何か、嫌なことがあったか?」
「ち、がう……わか、らない、の」
「分からない……? 何がだ?」
「どう、して……わた、しを、いかす、の?」
どうして、生かすのか。理由を出せば、キリが無い。このまま行けば主人公達に殺されるとか、単に戦力が必要だったからとか、都合が良かったとか、色々ある。
でも、やはり一番に浮かぶのは――
「生きていて、欲しいから」
「……ぁ」
その一言が、しっくりくる。俺は、ソニアに生きていて欲しいのだ。それだけの、簡単な理由だった。ソニアが闇堕ちせずに生きているのは、俺がこの世界に来て成し遂げられた唯一の成功と言って良い。
「わた、し……いき、てて……いい、の?」
「当然だ。むしろ、生きて貰わないと困る」
「そう、なんだ……」
ソニアは俺にとって、破魔の鍵を守るために必須と言っても良いだろう。現状、灼熱の短剣という武器の性能で俺が一歩リードしているものの、今のソニアは俺よりも強い。精神衛生的にも、彼女が生きている方が良いに決まっている。
「そっか……じゃ、あ、いきる」
「そうしてくれ。明日も、よろしく頼む」
「うん……あと、ね」
「何だ?」
「ベッド……わた、し、つかわ、ない」
「……そうか」
俺はその日、一ヶ月ぶりにベッドで睡眠を取った。この日から、ソニアは少しづつだが、俺と会話してくれる様になったのだった。
3
ソニアと出会ってから三ヶ月が経った。相変わらず、レベリングに毎日を費やしている。しかし、やっていることは同じものの、嬉しい変化はあった。
「おはようございます……ご主人様」
「おはよう、ソニア。今日もよろしく頼む」
「はい、承知しました」
痩せこけ、今にも死んでしまいそうだったソニアはもう居ない。銀色の髪は艶があり、光に当たると宝石の様に輝いて見えるほどだ。
表情筋は相変わらず動かないが、人形の様な美しさを持つソニアにとって、それはミステリアスな印象を深めるだけだった。
小柄なその体躯も相まって、ラトリアでもちょっとした有名人である。そのせいで、俺はまだ幼い少女を魔物と戦わせ、自身のことをご主人様と呼ばせるサディスティックな変態として更に有名になってしまったが……ほぼ事実なので、何も言い返せないのが辛いところだ。
「はぁっ!!!」
「#######!!!!」
魔物との戦闘においても、ソニアはラトリアでも上位に食い込む強さである。素早く動き、いくつも魔法を展開しながら強襲するそのスタイルは見事としか言いようが無い。流石、完全二回行動は動きが違う。
「良くやった。もうこの辺の魔物じゃ敵無しだな」
「ありがとうございます。これも全て、ご主人様のご教授による賜物です」
俺の教えたことなんて、初歩の魔法とちょっとした小技くらいで、後はソニアが独学で強くなったのだが、彼女は頑なに俺のおかげだと言う。ともあれ、この短期間でここまで強くなったのは嬉しい誤算と言えた。
「ご主人様、お手の方を見せて下さい。私が治療します」
「いや、帰ってからで良い。精神力を残しておけ」
「ダメです。今すぐ治療します」
「……分かった分かった。分かったからそれを奪うな。灼熱の短剣が無いと、俺は何も出来ん」
だが、困ったところもある。このところ、ソニアが言うことを聞かなくなることが多々あった。
今だって、俺の手の火傷はそこまで酷く無い。精神力のことを考えれば、後2,3発は撃ってから治療した方が効率が良いに決まっている。
にも関わらず、最近のソニアは戦闘が終わると、すぐに俺の手を治療する。明らかに非効率なので毎度反対をするのだが、大抵は今の様に灼熱の短剣を奪われたり、我慢比べで負けたりと、結局俺が折れることが多い。
「ご主人様。その武器を使うの、辞めませんか? ご主人様がソロで魔物狩りをしていた頃ならいざ知らず、今は私が居ます。無理をしてこれを使う意味は――」
「ソニア。何度も言うが、この方針を変えるつもりは無い」
「……そう、ですか」
「ありがとうな。俺の身を案じてくれたんだろう? それだけで、俺は十分だ」
「……っ。承知、しました」
ソニアの言うことは正しい。精神力のことを本当に考えるのなら、俺は灼熱の短剣を使わない方が、燃費は良いだろう。
しかし、それでは魔物狩りの効率が落ちる。魔族がいつ来るか分からない以上、俺は出来る限り強くならなければならない。そのためには、もっともっと戦わなければ。
「治療、終わりました。次、行きましょう」
「……あぁ」
分かっている。彼女がその顔を僅かに曇らせるのは、決まって俺の傷を見るときだ。俺がソニアに生きていて欲しいと願うように、ソニアもまた、俺に傷ついて欲しくないのだろう。
いつぞや、破魔の鍵のことについて話したときも、ソニアは泣いていた。あの子は俺が考えている以上に、俺のことを想ってくれている。精神力が上がるからとあげた指輪を、毎日大切そうに磨いているその姿から、それは容易に分かった。
それでも、俺は立ち止まれない。一度止まってしまえば、俺はもう、走れなくなってしまうだろうから。
ソニアの不安そうな視線を無視しながら、俺は魔物狩りに集中した。
4
どれだけ、自分の出生を恨んだろう。
どれほど、この理不尽を憎んだろう。
どれくらい、こんな世界を壊したいと願っただろう。
それでも、私は、貴方に出会えた。
貴方は、私に生きろと言ってくれた。それが、どれだけ嬉しいことだったか。
貴方は、私を必要としてくれた。それだけで、どれだけ救われたことか。
貴方は、私が守ると誓った。そのためなら、どれだけ犠牲を払っても構わない。
なのに、貴方は自分を大切にしない。何かに怯えるように、自分を痛めつける。
私はそれが許せない。貴方は半魔族の私より脆くて、弱くて、簡単に死んでしまうのだから。
私はそれが許容出来ない。貴方が居なくなれば、私はどうすれば良い?
私はそれが恐ろしい。そんな世界を、想像したくも無い。
「っ……」
ズキリと、胸が痛んだ。ここ最近、ずっとそうだった。ご主人様のことを思うと、嫌な感覚が私を苛むのだ。ご主人様が傷つくと、それは尚のこと深くなっていく。
「ご主人様……」
ベッドの上で眠るご主人様を見る。貴方が必要としてくれるから、私は強くなった。なのに、どれだけ強くなろうと、貴方は自分を傷つける。どうしたら、貴方が傷つかずに済むのだろう。
もし、ご主人様に何かあったら……考えたくも無いことをイメージしてしまって、余計に不安になってしまう。さっきから、ずっとこの調子だった。
「嫌だ……行っちゃやだ。どこにも行かないで……」
不安を掻き消す様に、ご主人様に抱きつく。恥ずかしくて、ご主人様が眠っていないと出来ないが、本当は何時でもご主人様に触れていたい。もっともっと、貴方に愛して欲しい。
「それもこれも……こんなものが、あるから……!」
ご主人様の胸元にかかった、青色の鍵を睨み付ける。ご主人様曰く、それはとても大切なもので、これを後2年間、守り続けなければいけないらしい。
本当に忌々しい。その使命を話している時のご主人様の顔を、今でも思い出す。辛そうで、押しつぶされてしまいそうで、今にも消えてしまいそうな、普段のご主人様からは考えられないその表情。見ているこっちまで悲しくなるものだった。
ご主人様は、あまり強くない。状況判断と咄嗟の瞬発力は素晴らしいけれど、それだけ。他は凡庸で、脆弱で、拙い。灼熱の短剣と呼んだ武器が無ければ、この近辺で魔物狩りなんて、到底出来ないだろう。
それでも、ご主人様は戦うのを辞めない。いつか、鍵を奪いに来る誰かが来るから、その時までにもっと強くならなければならない。そうご主人様は言っていた。
だから、どれだけ手が焼けようと戦い続け、その毎日を鍛錬につぎ込んでいるのだ。
「私は心配なのです。貴方は、必要無いと判断したことは話してくれないので」
ご主人様の大きな手を触りながら、ご主人様の香りを堪能する。そうしても、私の邪推は止まらなかった。
どうして、その鍵を手に入れたのか。どうして、それを奪いに来る何かが来ると分かっているのか。どうして、小さな農村でその存在を隠されていた私を、助けられたのか。いつもジッと見つめれば何だってしてくれるのに、それだけは教えてくれない。
「いっそのこと……あんなもの、無ければ」
私の中で黒い何かが囁く。私のご主人様を傷つけるあれを壊せと。敬愛すべきご主人様を苦しめる元凶を、今すぐ排除しろと。
そうだ。壊してしまえば良い。初めて見たときから、何となく不快だったのだ。あれさえなければ、ご主人様が悩むこともなくなるだろう。
やれ、やってしまえ。きっとご主人様はいつもみたいに、「よくやったな」って、褒めてくれる。お前はご主人様の特別になれる。だから、壊せ。壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ――!
「っぅ……! うる、さいっ……!」
自分の尻尾までもご主人様に絡めながら、その身体にしがみつく。こうしていないと、本当にその考えを実行してしまいそうで、怖いから。
「どうすれば、良いの……?」
ご主人様に傷ついて欲しくない。でも、あの鍵がある限りご主人様は傷つく。その重荷が無くなるのは2年後で、それまでの間は気が休まる事は無い。この状況で、どうしたらご主人様は救われるのだ。何度考えても、その答えは出ない。
半魔の私を、ご主人様は救ってくれた。人間からも魔族からも忌み嫌われる私を、ご主人様は愛してくれた。生きる意味のない私に、生きていて欲しいと言ってくれた。だから、私はご主人様のために付き従う。ご主人様のために生きる。
私の生きる意味は、ご主人様とあの言葉だけ。それ以外、何にも要らない。そのはず、だった。
「私は……欲張りだ」
ご主人様の身体を全身で抱きしめながら、その温もりと鼓動にゾクゾクとした快感を感じる。私は、ご主人様から生きる意味以外にも、ご主人様の全てが欲しいと思ってしまっていた。
あの鍵を投げ捨てて、私だけを見ていて欲しい。魔物狩りを辞めて、私のためだけに時間を使って欲しい。私のご主人様に不名誉な渾名を付ける奴らも、私のことを外見だけ見て持て囃す奴らも居ない場所で、二人だけで暮らしたい。
……分かっている。それは私の我が儘だ。大恩あるご主人様にそんなこと、口が裂けても言えない。
でも……それでも、あの鍵を守り切った暁には、ご主人様を好きにしても良いのかもしれない。私のご主人様も、きっとそれを望んでいるだろうから。
「ふふっ……今はまだ、我慢します」
右手にはめられた、白色の指輪を眺める。私がこの辺りの魔物と戦えるくらいになった時、ご主人様がくれたものだ。僅かに魔法の力が感じられるそれは、きっと高価なものなのだろう。
あの時は頭が爆発してしまいそうなほど嬉しかった。眺めるだけで、幸せな気持ちで一杯になるし、今みたいに不安で堪らなくなったときには、これを見るだけで安心する。
だから、今はこれでいい。本当はもっとご主人様が欲しいけれど、我慢できる。でも、いずれはきっと……
いつか、その日が来るまで。私は今日も、幸せな妄想をしながら、静かに意識を落とした。すぐ近くに、不穏な影が迫っていることに、全く気づきもしないまま。
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