主人公補正は無い
毎日、ズキズキと痛む手のひらを眺めながら、どうしてこんなことになったのかを考える。しかし、その答えはやってこない。ただ、俺の元には世界の命運を握るキーアイテムがあり、これから先の展開を知っている俺にとって、それはただの地雷でしか無かった。
あれから、約一年が経った。正確に言えば、一年と一ヶ月11日である。それほどの間をこの世界で過ごし、俺は当初の見積もりがかなり甘かったことを痛感していた。
まず、レベリングが想像以上に困難であったことだ。よく考えてみれば当然であるが、少し魔物と戦っただけで強くなれるわけが無かった。
毎日鍛錬や筋トレをし、魔物と命がけの戦闘をして、それを数週間行ってようやくレベルが一つ上がる様な感じだ。効率が悪いなんてものじゃない。それに、最近は自分の実力が上がりづらくなっているのが明らかだった。
さらに、そこへソロの限界が見えてきていた。
今の俺は、灼熱の短剣ありきの戦闘スタイルだ。距離を取って、ひたすら灼熱球をぶつけて、相手が疲弊したところで近接戦を行う。危なくなったら緊急離脱で逃げ、とにかく命を大事にで戦っている。
それでも、死にかけたことなんて両手の指じゃ足りないくらいだった。緊急離脱が無ければ、俺はとっくに死んでいることだろう。一番初めの戦闘ほどでは無いが、今だって魔物に手を掛けるのは罪悪感が湧くし、命を賭けるのは怖くて仕方が無い。
もう、限界だった。いつ来るかも分からない敵に怯えながら、必死に魔物を刈る毎日は。こんな実力では、とてもじゃないが約二年も破魔の鍵を守ることは出来ないだろう。
だから、俺は仲間を作ることにした。この案自体は、最初期から考えていたものではあったのだ。
けれど、考えてみて欲しい。仲間を作れば、必然と手の内を晒すことになる。傍から見れば、俺は希少な武器を手にしておきながら、その武器頼りの戦い方をする雑魚なのだ。
灼熱の短剣は、俺の実力では無い。それ故、奪われればそれでゲームセットだ。その場で殺されるかもしれないし、どうせ後ほど破魔の鍵を盗られて殺される。
誰が敵なのかも分からない状況で、俺は出来るだけ人と関わらない様にこの一年を生きてきた。そしてその方針は、今も変えるつもりは無い。
では、どうするのか。この街、ラトリアで人との接点が乏しく、尚且つ俺の秘密を絶対に喋らない。そんな人物を仲間に引き込めば良い。
そして、俺はそんな条件を満たす事が出来る人材を知っている。ソニア、という少女だ。彼女は主人公一向に倒され、その生涯を終える運命を背負ったサブキャラクターである。捜索自体は、初日から行っていた。
正直、見つかるかどうかは分からなかった。ラトリアの近くに居ることはゲームの知識で知っているが、正確な位置は知らない。そんな条件だから、あいつも見つけるのに一年もかかってしまったのだろう。
「それで? 見つかったのか?」
「半魔族の少女など、その辺に何人も居るものではありませんので。時間さえかければ、造作も無いことです。まぁ、秘匿されていたおかげで面倒でしたが」
全身真っ黒で、頭にはガスマスクの様なかぶり物をした変人。ゲーム内では闇商人としか説明されていなかったキャラが、俺の目の前には居た。こいつは、ゲーム内で時々出現する、レアアイテムを売買してくれる商人だ。
メインキャラでは無いとはいえ、出来るだけゲームに登場する人物とは関わりたくは無かった。しかし、今回はこいつの手を借りる以外、方法が思いつかなかったのだ。
「私としても、今回の仕事は危なかったのですよ? なにせ、半魔族を庇うことは重罪ですので」
「魔族への恨みはそこまでか……あの子には何の罪も無いだろうに」
「お優しいことで。私、泣いてしまいそうですよ」
くぐもった声で、稚拙な泣き真似をする闇商人。その芝居がかった様子に、流石にイラッとしてしまう。馬鹿にしやがって。
「本当、理解できませんよ。私は依頼料さえ貰えればそれで結構ですけど……どうして、半魔族の少女を攫ってこいなどと?」
「……さっきも言ったはずだ。彼女に罪は無い。それに、直接彼女の生活を見たお前なら分かるだろ? あのまま放っておけば、ろくな事にはならない」
「そんな理由で、精霊結晶を差し出したのですか? 本当にそれだけ?」
「俺には必要の無いものだ」
「だったら売れば良いでしょうに……本当、酔狂な人です」
半魔族。文字通り、半分魔族の血が混じっている者のことだ。そして、魔族と人間は戦争中である。そのため、人間の住む国で半魔族はとてもじゃないがまともに生活することが出来ない。
彼女……ソニアも、そんな境遇の中生きてきた。サブクエストの一環で対峙することになる彼女は、それまで受けてきた理不尽な差別により、人間を憎んでいた。そんな彼女を殺し、後味の悪い中終わるというのが、そのサブクエストの内容だ。
ゲーム内で、彼女について言及されているのはほんの数行だけだ。それでも、俺はこのサブクエストがずっと忘れられなかった。
『私だって……普通に、生きたかったよ』
最後、そういって死んでいく彼女の姿は、子供の俺には惨すぎた。だから、ネットに転がっている裏技で彼女が仲間に出来ると知れば、躊躇いなくそれを試したし、大人になった後もそのことを覚えていた。
理由なんて、そんなものだ。それに、彼女は単騎で主人公組と渡り合える実力がある。それが欲しいから、という打算もあってのことだった。
「見た目は人間そのものです。ただ、尻尾が生えているので、そこだけはお気をつけ下さい。年齢はおおよそ、14,5歳と言ったところでしょう。怪我と衰弱が酷いので、ケアは必須でしょうね」
「…………」
ソニアの状態を聞きながら、路地裏の薄暗い道を進む。まだ、子供じゃ無いか。そんな子に、どれほど酷いことをしたのだろう。どうして、そんなことが出来るのか。
「言語を理解することは出来ますが、ほとんど喋ることはありません。まぁ、彼女なりの防衛術なのでしょうね」
「そう、か……」
「嘆かわしいです。流石に、私ですら同情してしまいました」
下水道近くの、人気が皆無な街の端っこ。そこに、ひっそりと扉があった。中に入ると地下に繋がっており、風を切る音が不気味に響いていた。
降りた先は、小さな一室になっていた。真っ暗なそこに闇商人は火を灯すと、俺にその部屋の全容を見せた。そしてそこには、一人の少女が居た。
薄汚れた銀髪に、赤い眼を暗く濁らせた少女。その身体は服の上からでも分かるほど痩せており、今にも朽ちて死んでしまいそうな危うさを孕んでいた。それに、至る所に巻かれた包帯からは血が滲んでいて、痛々しくて仕方が無い。
「もう少し遅ければ、死んでいたでしょう。最低限の治療はしてありますので、ここから先はダン様にお任せ致します」
「…………」
「ダン様?」
言葉が、出なかった。分かっていたつもりだった。酷い扱いを受けていた、の一文だけしか書かれていなくても、その悲惨さを知っているつもりだった。
でも、違った。俺は、何にも分かっていなかった。状況は深刻で、彼女が人間を憎む様になった理由は、あの数文字で表せるほど生易しくは無かった。
「いけませんよ、ダン様。目を背けてはいけません」
「っ……!」
「この子をあそこから連れ出したのは貴方です。そして、貴方はその責任を負わなければならない」
「……あぁ、分かってる」
「結構です。では、受け渡しを行いましょう」
あの日、灼熱の短剣と同時に手に入れたアイテム、精霊結晶。ゲームでも非売品のレアアイテムであり、来るべき時に使えば強力な武器なんかを作れるのだが、今の俺には不要なものだ。だから、闇商人に依頼をするとき、これを報酬にした。
「はい……確かに受け取りました。これで私も、億万長者ですねぇ」
「…………」
「……はぁ。私は、ダン様の行いを賞賛しますよ。ダン様が自分の行動をどう考えていようと、貴方は正しいことをした。貴方は、間違っていない」
「慰めか?」
「えぇ、そうです。ですが、本心でもあります。混じっているとはいえ、同胞を救ってくれたことを、私は感謝しています」
「そう――待て、今なんて」
振り返ると、そこには誰も居なかった。最初から居なかったように、闇商人は消えていた。
「……マジか」
後に残ったのは、虚ろな目をしたソニアと、呆けた顔をした俺だけだった。
約一年。俺はそれだけの時間を過ごし、ついに目的の一つを達成した。それが本来のシナリオにどう影響するのか。今はまだ、分からない。
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