秋月さんの初体験 4

 翌日の昼休み。

 私は豊瀬先輩の教室へと足を運ぶ。

 二年生のフロアということもあって、かなり居心地が悪い。なんか目立っている。まあ、一年生がここに来たら否が応でも目立つってものだ。

 それはわかっているのだけれど、やっぱり嫌なものは嫌なわけで。

 さっさと豊瀬先輩を見つけて連れ出そうと思う。


 「ひらひらひら」


 教室にちょこんと顔を出すと、後ろからそんな暢気かつ陽気な声が聞こえてくる。

 振り返ると、そこには笹森先輩がふわふわと柔らかく手を振っていた。

 見知っている人がいて私は表情を綻ばせる。

 不安の中に突如差し込んだ光とでも言えば良いだろうか。とにかく安堵する。


 「お、見覚えのある顔」

 「既視感のある顔ですか」

 「そうそう。ニヒヒ」


 笹森先輩は軽く笑うと、くるりとターンをして、教室に入る。


 「それよりも用事でしょ」


 教師を指差しながらこてんと首を傾げる。


 「はい」

 「ちょっと待って」


 私が頷くと、笹森先輩は手のひらを前に出す。待ってろ、とジェスチャーをする。


 「あ、は、はい……」


 困惑しつつも、従う。

 笹森先輩は指を顎に当てて、むむむ、と私のことを見つめる。

 そしてわざとらしくポンっと手を叩く。


 「わかったぞ。あれだな、あれ」

 「あれですか」

 「そうあれ」


 そらそうよ、おーん。なにがですかね。あれって。


 「春香に会いに来たんだな」


 脇腹に手を当て、むふんとドヤ顔を見せる。


 「そうです」


 私はこくりと首肯する。


 「呼んできてあげよう」


 笹森先輩はすらすらと転がるように教室の奥へと進んでいく。窓側の一番前の席へと向かう。本を読んでいる女性の肩をとんとんと叩く。あれが豊瀬先輩だったかあ。ちょっとここからじゃわからないな。本を読んでいるのなら尚更。

 顔をあげた豊瀬先輩と目が合う。ひらひらと手を振る豊瀬先輩に対して私はこくりと会釈をする。

 笹森先輩は豊瀬先輩の耳元でなにかを話している。豊瀬先輩は眉間に皺を寄せる。

 その反応を見せながら、こちらへやってくる。

 わからないけれど、しょうもないことを言ったのだろうなあと思う。


 「秋月さん。どうかしたのかしら」

 「ちょっと話したいことがあったので」

 「そう……それじゃあ……」


 豊瀬先輩は教室を見渡す。


 「外に出た方が良さそうね」

 「そうですね」

 「時間もあるし、ちょっと歩きましょうか」

 「わかりました」


 お弁当持ってきたのだけれど、もしかして食べない感じかな。なんかそんな気がする。

 お昼どうしようかなあと思いながら私たちは歩き出した。

 二年生のフロアをぬけて、ラウンジへと辿り着く。そのままさらに人気の無い方へと歩く。

 具体的にどこへ向かっているのかはわからない。問うこともできない。ただ、黙って着いていくだけ。


 「他学年のフロアに来るのは校則違反よ」


 前を歩く豊瀬先輩は私に苦言を呈する。


 「そうですね」


 そういえばそんな校則もあったなあと思い返す。でも、注釈もあったはずだ。えーっと、なんだったっけか。あ、そうだ。


 「用事も無く他学年のフロアに入るのが禁止なだけですよね」

 「そうね」

 「私は豊瀬先輩に用事があったので。決して用事がなかったわけじゃないです。問題ないんじゃないですか」

 「そ、それもそうね」

 「まだなにかありますか」

 「ないわ」


 むふん。勝ちました。じゃなくて。


 「この辺なら人気なさそうですね」

 「そうね」

 「もうちょっと歩きましょうか」

 「そうね」


 なんだか余所余所しい。嫌われてしまったのだろうか。揚げ足取りばかりする人間は嫌われるからね。自重しなければならない。


 「なんか他人行儀じゃないですか」

 「そうかしら……そうね」


 足を止めて少し考え込んでから、豊瀬先輩はこくりと頷く。そしてまたこつこつと歩き始める。私はその後ろを追いかける。


 「気になるのよ。付き合っているという部分が。校則に反しているというのもそうなのだけれど。それ以上に、付き合っているのならやっぱり深く関わらない方が良いのではと思ってしまうのよ」

 「そういうことですか」


 嫌われたわけじゃなさそうだ。あくまでも先輩が私に配慮してくれているだけ。

 昨日ああ言って納得してくれたと思ったのだけれど。

 一晩経過して考えが戻ってしまったとかなのだろうか。もしそうならば、夜にかなり悩んだことだろう。申し訳ないことをしたなあと思う。


 「それも含めた話がしたいんです」


 私がそう言ったのと同時にとある場所へと辿り着く。生徒会室だ。


 「ここなら人気もないし、秋月さんはお弁当食べられるわね」

 「ああ……わざわざすみません」

 「良いのよ」


 豊瀬先輩はそう言いながら、生徒会室の鍵を開けてくれる。


 「先輩は食べないんですか。お昼ご飯。さっきも本読んでいて、ご飯食べているようには見えなかったんですけれど」


 早弁とかしちゃうタイプなのだろうか。うーん、そういうことをするような人には見えない。


 「機能性食品……わかりにくいわね。栄養バー一本食べたから大丈夫よ」

 「お腹空かないんですか」

 「学校じゃああまり動かないから、そこまでお腹空かないわね。それに夜しっかりと食べるから大丈夫よ」


 私の心配を他所に、豊瀬先輩は生徒会室に入る。

 そういう食生活をしているから、そのすらっとした華奢な体型を維持することができるんだなあ、と感心する。

 もっとも今の返答の感じから考えるに、そこまで意識しているとも思えないのだけれど。


 「食べながらで良いわよ」


 豊瀬先輩はお弁当を指差す。


 「えーっと」


 本当に良いのかなあと不安になる。先輩はバー一本しか食べていないのに、私はもぐもぐしていて良いのか。私の中にある、私なりの常識に照らし合わせてみれば、答えはノーになるのだけれど。でも、先輩が良いって言っているし。私服で来てくださいといいつつ、求めているのはオフィスカジュアルみたいな面倒なビジネスマナーみたいなことをしてくるとも思えない。

 やはり、ここは素直にお弁当を食べてしまった方が良いのだろう。

 定位置に座って、弁当を机の上に置く。そして、お弁当をしゅるしゅると開ける。

 お弁当特有の香りが生徒会室に広がる。


 「それじゃあ……いただきます」


 申し訳ないなあという気持ちがチラチラして落ち着かない。


 「それでお話とやらを聞かせてもらっても良いかしら」


 お弁当をジーっと見つめながら促す。

 その他にすることがなく手持ち無沙汰だからお弁当を凝視しているのか、それとも純粋にお弁当の魅力に惹きつけられているのか。かなり判断に困る。

 とはいえ、食べますか、と聞いたら食べたくても、そうでなくても「いらない」って言われそうだし。聞くだけ無駄だよね。


 「わかりました」


 からあげを頬張って、胃に流してからそう答える。


 「単刀直入に言いますね」

 「どうぞ」

 「昨日の言ったことは間違いです。輿石とは付き合っていないです。付き合っていないんですが、でも付き合っているんです」


 自分自身でもなにを言っているのかわからなくなってくる。口を動かせば動かすほど脳みその中身がこんがらがる。


 「……?」

 「そうなりますよね」


 不思議そうな表情を浮かべる豊瀬先輩を見ながらそう思う。

 わけわかんねぇよなあと思う。一度思考を止めてなにを言ったのか考えてみてもやっぱりなにを言ったのかわからないし、わかるわけないよなあと思う。

 あと、私は色々思いすぎだなあとも思う。また、なにか思っているし。まあ、これも私の個性ということで。


 「輿石とは付き合っているんですよ」


 絡まった紐を解くように、丁寧に触る。


 「でもそれは本当の恋愛ではなくて、恋人ごっこのようなものであって」


 豊瀬先輩はうんうんと頷く。ここまでは理解できているらしい。


 「表面上は付き合っているということになっている……というか、そういうことにしているんですけれど」


 うむ。私もここまで理解できている。

 やはり、一つ一つ丁寧に整理していくというのは大切だなと再認識させられる。


 「ですけど……」


 続きを早く、とそれっぽく催促してくる。

 途中なのに満足してしまっていた。良くないね。


 「実際は付き合っていないんです。付き合っているように見せているというか、皆に嘘を吐いているというか。こっちの方が正しいですね。しっくりきます」


 あれこれそれらしい言葉を並べてきたが、結局は嘘を吐いている、ということなのだ。綺麗な言葉を並べようとするから訳が分からなくなるのであって、真面目に配慮せずに説明するのならば非常に簡単だった。


 「付き合っているけれど、付き合っていない……ってことなんです」

 「なるほどね」

 「わかりましたか」

 「わかったわ。要するに恋人同士を演じているということなのね」

 「そうです、そうです。そういうことです」


 良い表現に私はなんども頷く。今度からそれ使おう。

 嘘吐いているっていう罪悪感も抱えなくて済むし。


 「でも、それはわかってのだけれど」

 「はい?」

 「昨日と今日でなんでガラッと考えが変わったのかしら」

 「考えが変わったですか……」


 豊瀬先輩が指す考えが変わったというのは具体的にどういうことなのか。ちょっと考えてみたのだけれど、わからない。


 「変わったじゃない」


 自覚無く変わったのだろうか。


 「どこかです」

 「え、ほら。昨日は付き合っているって言って、今日は本当のことを話してくれたでしょう。どういう心境の変化なのかなあと思って」

 「あー」


 たしかに豊瀬先輩からしてみれば考えが変わったと見ることもできるだろう。

 実際はそんなんじゃないのだけれど。


 「私の心境は変化していないですよ」


 どう説明すべきか悩むという考えから、輿石からもらった答えを提示するという考えに変化はしたけれど。心境は変化していない。というか、なにかを考えていたわけでもない。心境もなにもないが正解かもしれない。


 「輿石に豊瀬先輩と笹森先輩には真実を言っても良いと言われたので、素直に言ってしまおうと思っただけです」

 「そういうことなのね」


 納得したように頷く。その納得したような表情の中には安堵のような感情が混じっているような気がする。


 「秋月さんがそれを提案したわけじゃないのね」

 「この偽の関係ですか」


 私の問いに豊瀬先輩はこくりと頷く。


 「提案は輿石からですよ。校則違反をしたいんだそうです。なんか紆余曲折あって私も加担することになってしまいましたが」


 言ってから口を滑らせてしまったなと反省する。明らかに不必要なことを口走ってしまった。

 まあ、もう言ってしまったわけで時すでに遅しというやつだ。


 「まだそういうことしているのね。あの子」

 「していますね。かなり」


 他にも、ピアスとか開けていますよとか言ってやろうかと考えたのだけれど、流石にやめておく。輿石になにか恨みがあるわけでもないし。


 「とにかく。そういうことなので。仲良くしていきましょう。先輩」


 私は手を差し出す。

 豊瀬先輩は私のお弁当から目線を動かす。

 最初こそ困ったような顔をしていたのだが、すぐに握手をしてくれる。


 「友好の印に。からあげ食べますか。あげますよ、からあげ」

 「え」

 「いらないのなら私が食べちゃいますけれど」

 「じゃあ、もらっても良いかしら」

 「わかりました」


 私は残り一つのからあげを箸で掴んで、豊瀬先輩の口元まで持っていく。

 豊瀬先輩は口を開けることなく、ただただ吃驚したような表情を浮かべ、目線をからあげと私の間で往復させる。


 「なにしているんですか。口開けなかったら食べられるものも食べられないですよ」

 「本当に良いの?」


 最後の一個なのに私がもらっても良いのだろうか、ということだろう。

 お弁当見ればそれくらいすぐにわかっただろうに。

 まあ、私はすでにからあげ二つ食べているので満足感はある。ありがたい配慮だとは思うけれど、そんな心配は無用だ。

 笑顔で頷く。


 「先輩行きますよ」


 私がそう声をかけると、先輩はこくこくと小刻みに首を縦に振る。なんだか小動物みたいな動きだ。


 「はい、あーん」


 そう思いながら、私は豊瀬先輩の口元にからあげをいれる。

 年上にあーんをするっていうのはなんだか新鮮な気持ちだ。

 人生って本当になにがあるかわかってもんじゃないなと感じる。年上の女性にあーんをする未来がやって来るだなんて、過去の私は想像しただろうか。していないだろうなあ。

 豊瀬先輩はもぐもぐする。一回一回真剣に味わうように噛んでいる。

 とても美味しそうに食べている。恍惚な表情が美味しいと物語っている。

 そう思ってくれるのは嬉しいなと思う。

 そのからあげ冷凍食品なんだけれど。

 まあ、冷凍食品のからあげは普通に美味しいし、気持ちはわからないこともない。

 というか、そんなに美味しそうに食べるのなら、お弁当用意すれば良いのではないだろうか。バー一本しか食べていないから空腹なんだよ、きっと。お腹空いて当然だ。


 「美味しかった」


 ふぅと満足そうだ。


 「そりゃ良かったです」


 お弁当用意した方が良いと思いますよ、って言おうと思っていたのだが言えなかった。余計なお世話だって言われる未来しか見えないし。


 「私からもなにか……」

 「大丈夫ですよ。気にしないでください」


 バー一本丸々渡されても困るのでさっさとお断りしておく。

 そうこうしているうちに、昼休みは終わりに近づいていたのだった。

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