秋月さんの歩み 5

 生徒会室は小さな教室を改造して作られたようで、ところどころに教室として使われていた名残がある。

 ホワイトボードの裏にある黒板であったり、黒板消しクリーナーであったり、床にあるシール跡が主な例だ。


 「ようこそ~生徒会室へ」


 笹森先輩は楽しそうに笑う。


 「ほらほら、座りな」


 すぐに椅子を差し出してくれる。輿石はすでに座っていた。馴染んでいる。


 「そんでアタシを生徒会に入れてくれるんすか」


 足を組み、膝上に肘を乗せている輿石は不貞腐れたように問う。というか実際に不貞腐れているのだろう。

 募集を見て足を運び、顔を合わせて、即入会拒否される。これまでの行いを鑑みれば、拒否されるのも詮無きことなのだが、それはあくまでも第三者視点の話。本人からすれば突然拒否されたも同然だろう。いいや、流石にそれだけのことをしたという自覚はあるか。

 気付いていたとしてもそうでなくても、本人としては気持ちの良いものではないということには変わりはないはずだ。

 輿石の態度を咎めるべきではない。一方で、豊瀬先輩の態度を咎めることもできない。どちらも正しく、またどちらも間違っているのだ。どちらにとっても己なりの正義であって、同時に悪なのだから致し方ない。


 「大丈夫。入れるよ。生徒会は誰でもウェルカム。カム、トゥ、セイトカイ……? まあ、なんでもいいか。とにかくそういうことだから大丈夫」

 「副会長が勝手に決めるな」


 豊瀬先輩は笹森先輩の後ろまで回ってぺしっと軽く頭を叩く。

 叩かれて頭を押さえる。いてー、と軽い口調で笑っている。


 「春香はそんなに嫌なんだ。この子と一緒にやんの」

 「まあ」

 「でもこのままだと生徒会志願者ゼロ人かもしれないよ。あー、そしたらどうなっちゃうかな。こわこわ」

 「……」

 「生徒会の仕事二人で回すことになっちゃうなあ。あーあ、こりゃ私過労死確定だ。とりあえず遺書書かないと」

 「それなら問題ないわ。秋月さんが我が生徒会のメンバーになってくれるもの」


 豊瀬先輩から強烈な視線を送られる。熱視線とはこういうものなのかと痛感するほどに眩しく、熱く、鋭い視線だ。


 「いや、検討するとは……たしかに言いましたけれど、絶対に入るだなんて一言も言ってないですよ」


 慌てて否定する。なあなあで流すと、生徒会に無理矢理入れられるぞ、と私の本能が叫んだ。

 だから曖昧な答えではなく、はっくりとノーと突きつける。

 私の答えに豊瀬先輩は顔を顰める。だが、すぐに表情は明るくなった。


 「あー、わかったわ」

 「なにが」

 「秋月さんが生徒会に入ってくれるのであれば、輿石さんの生徒会入りを認めることにするわ。ね、秋月さん入ってくれるわよね」


 そんなのずるい。卑怯だ。輿石を選ぶか、私の気持ちを選ぶか。後者を選べば私は輿石を見捨てたということになってしまう。

 生徒会長のくせに小賢しい。


 「おお、だってよ秋月。アタシのためにアタシと一緒に……って、すげぇ嫌そうな顔すんじゃん」

 「いや、生徒会とか嫌だし」


 目立つことは嫌いだ。本当に嫌いだ。人前に出たところでなにも良いことはない。

 生徒会なんて目立つとかそう域すらも超えている。

 目立つのは嫌だけれど、見捨てた薄情者って思われるのも嫌だ。ワガママだなあとは思うのだけれど、ってなんで私がこんなに悩んでいるのだろうか。ワガママなのは私じゃなくて輿石と豊瀬先輩だ。


 「秋月、生徒会やるそうっすよ」


 輿石は真面目な顔をして堂々とした嘘を吐く。良くもまぁ、そんな顔をして嘘を言えるなあともはや感心してしまう。って、感心している場合ではない。


 「は、ちょっ……そんなこと一言も」


 すぐさま否定する。


 「だって無理矢理じゃないとやらないっしょ、これもう」

 「やりたくないし」

 「ということなので、秋月はやるそうっすよ」

 「日本語ついにわかんなくなっちゃったのかな。おーい」

 私は輿石の目の前に手のひらを持ってきて、上下に動かす。


 「うーん、それじゃあ仕方ないなあ。秋月さんが入るのなら、輿石さんも入れるしかないね。約束だもの」

 「約束もなにも、その約束まだ果たされてないんですよ」

 「そうっくね、約束は果たしてもらわなきゃ困りますからね」


 豊瀬先輩と輿石は立ち上がって、がっちしと握手をする。


 「へへへ、こししちゃんかーなりいい性格してんじゃん」


 輿石と豊瀬先輩は利害一致しているし、笹森先輩はこの混沌とした状況を楽しんでいるしで、私の味方はここには一人もいなかった。

 嵌められた。私は嵌められた。知らないうちに逃げ道を塞がれていた。


 「こししちゃんって誰すか。もしかしてアタシすか」

 「そそ。こししちゃん」


 しょうもない会話をしている二人を流し目しつつ、私はため息を吐く。

 ここに居る以上、私は三人が敷いた線路の上を走ることしかできない。私が生徒会に加入するという駅に向かってただ真っすぐと進むことしかできない。寄り道をすることも、後ろに向かって逃げることも私には許されないのだ。


 「はあ……わかりました。わかりましたよ」


 私がいくらごねても変わらない。嫌だと嘆いても時間の無駄でしかない。彼女らの中ではもう決定事項で覆すことすらない。


 「生徒会に入りますよ。入れば良いんでしょう」


 私は投げやりにそう答えた。

 こうして、私は心底嫌だった生徒会役員の一メンバーになってしまった。。入学式当日には考えもしなかった未来が待ち受けていた。本当に人生とはわからないものだ。



 私は生徒会役員になった。

 百合百合ノ華女学院は全員がなにかしらの部活に所属しなければならないというルールがある。しかし、免除される場合もある。それは生徒会役員、外部のクラブ活動しに所属している者。このどちらかに該当する者は部活動に所属しなければならいという校則は適用されない。無論、あくまでしなくても良いであって、部活動に所属するにはなにも問題ない。もっとも、私は所属していないのだが。生徒会をしつつ、部活動は時間的に結構厳しいものがある。少なくとも運動部に所属することはできない。放課後は基本的に生徒会活動で時間を取られてしまうから。なにか所属したい部活等があったわけじゃないので良いのだけれど。


 「っし。今日も行くか」


 私の机の前までやってきて、机の上に座る。そして、私の頬をむにむにと撫でるように揉むのは輿石樹里だ。

 入学式のこともあり、その上で金髪という目立つ要素しかなかったのだが、約一ヶ月もすると流石に皆慣れてくるようで、悪目立ちしなくなっていた。輿石本人も、無理に目立つ必要がなくなったからか、執拗なアクションを起こすこともない。ステージ上で演説を始めたり……ね。

 神々しささえあった輿石の金色の髪の毛はくすみ始めていた。黒色も混じっていて、プリンみたいになっている。そろそろ染めるなら染め直した方が良いんじゃないのという感じだ。まあ、校則違反だから提案はしないのだけれど。


 「ん、どうかしたか」


 輿石の髪の毛を眺めていると、不思議そうにこてんと首を捻る。私はなんでもないよと首を横に振った。

 彼女と生徒会室へと向かう。私と輿石が生徒会室に到着すると、他のメンバーは先着していた。と言っても、メンバーは私と輿石を入れて四人しかいないのだけれど。

 生徒会長と副会長、あとは雑用二人。本来は細かく役職分けをするようなのだが、メンバーが集まらなかったので雑用という役職を与えられた。

 で、輿石はせこせこと書記の仕事を全うしている。いつも輿石はノートに会議の内容を纏めており、偉いなあと思う。

 一方で私はなにもしていない。ぼけーっと会議を聞いているだけ。意見を発することもない。

 入った経緯が経緯なので、こう我関せずでもなにも言われない。やめろって言われたらやめると思われているのだろう。もしかしたら無理矢理加入させた後ろめたさがあるのかもしれない。


 「それじゃあ私は職員室行ってくるわね」

 「おー、それじゃあ着いていこう」

 「職員室行くだけだけど」

 「うむ、大冒険だ」

 「茉莉は学校のことなんだと思ってるの。迷宮か何かだと思ってたりするわけ」


 と、言いながら豊瀬先輩は生徒会室を後にする。続くように笹森先輩も部屋を出る。

 私と輿石は残される。まあ、いつものことなのだけれど。


 「アタシは笹森さんのラフさ真似した方が良いんかな」


 輿石はシャーペンを机に置いて、ポツリと呟く。

 いや、真似する必要はないんじゃないかな。というか、あの自由さは真似したい……でできるものでもない気がする。適当さと自由さが綺麗に噛み合わないとあんなになれないだろうし。


 「そういえば……」


 私はずっと気になっていたことがある。それは豊瀬先輩が最近熱中している本だった。

 持ち歩いて、暇さえあれば読んでいるのだが、なにを読んでいるのか聞いても教えてくれない。もしかして小説に見せ掛けた漫画なのではないだろうか。ブックカバーで隠してるんじゃ、と思い通りすがりにチラッと見たのだが、ダーッと字面が並んでいた。だから漫画ではない。

 じゃあなんで隠すんだろう。教えてくれて良いのに。と、さらに疑問は深くなる。


 「どうした」

 「いや、ちょっとね、気になって」

 「気になって……あー」


 私の目線の動きで気付いたのか納得するように頷く。


 「本か」

 「そう。本。なに読んでるのか教えてくれないし」

 「やべぇーのでも読んでんじゃねーの」


 やべぇーの。そういう抽象的な表現。ヤバい本とは具体的にどのようなものなのか。どういうのがヤバい本なのだろうか。そんなことをグルグル考える。


 「官能小説とかサイコパスとか自己啓発とか。そういうのは見られたくないんじゃね。いや、アタシはあんま本とか読まねぇーし知らねーけど。漫画は読むけどな。活字がだーって並んでるようなヤツは読まんから」


 本。それはある種のプライベート空間。そう思うと、他人に覗かれたくないとか考えるのは至極真っ当なのかもしれない。恋愛ものであったり、ファンタジーものの作品であったり、世間一般的に普通とされるようなジャンルであったとしても、だ。全裸を見られるような感覚に陥るのかもしれない。


 「てか、見ちゃえば良いんじゃね」

 「それはマズイでしょ」

 「本覗いたくらいで怒るような心の狭い人じゃないっしょ。あの人も。またアタシのことは嫌いっぽいけどな」


 それはたしかに……そうかも。どっちもそうかも。

 見ちゃいけないもの。私の中で豊瀬先輩の本はそういう存在になっていた。禁書的な感じ。

 そうなっているからこそ、なにを読んでいるのか知りたい。好奇心がもりもりと湧いてくる。

 そして、隣で読めば良いじゃんと囁く悪魔……じゃなくて、ヤンキー。

 辺りをキョロキョロとわざとらしく見渡す。豊瀬先輩も笹森先輩も居ないことを確認して、すっと豊瀬先輩の文庫本サイズの本を手に取る。

 そしてペラっと捲る。

 目次の隣のページには『私の先輩は天真爛漫さんでわたしの後輩は生真面目ちゃん』という文字がどどんと書かれている。文字の大きさ的に多分この本のタイトルだ。文学に疎いのもあって知らない作品だ。まあ、知っている文学作品の方が少ないのだが。だから、これが有名作品なのか、それともマイナー作品なのかさえ良くわからない。

 さらにペラペラとページを捲る。ちょっとタイトルだけじゃどんな内容の本なのかわからないし。恋愛小説っぽいタイトルだとは思うけれど。ファンタジー作品だよって言われても、あー、そうっぽいかもと思えるタイトルだ。


 「おい、どうだった。官能小説とかか」

 「わかんないけれど多分違う」


 なぜか嬉々とした様子の輿石。私は一応否定しておく。


 「ちぇーっ。官能小説ならむっつり豊瀬さんって馬鹿にしようと思ってたのに。つまんねぇーの」


 嬉々としていたのはそういうことだったのか。とりあえずどんな内容であったとしても、輿石には見せないようにしよう。

 そう思いつつ、私はさらにページを捲り進める。結構軽い文章量だなぁと思いつつも、所々に堅苦しい文章が紛れており、ライトな文芸なのか、ガッチリとした文芸なのか判断しにくい。

 あんなのでぶつくさ文句を言いつつ嘆いていた自分はかなり甘えていたのだなと自覚する。そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな、って過去の自分を嘲笑してやりたい。

 一行目は余裕だーっ! となるのに、三行くらい読んだらもう疲弊する。文字を読むということに対する体力があまりにもないからだろうか。

 こういうのは、あれだ。序盤を見てもわからない。やっぱり終盤で判断すべきだよね。どういう内容なのかを。

 私は適当に最後の方のページを開く。


 『わたしたちの関係は、花が咲き誇る庭のように美しく、儚いものでありながら、その美しさは永遠に続くように感じられた。彼女は彼女になり、こちらも彼女になる。微かに芽生えた百合の蕾は、開花し咲き誇っていた』


 と締めくくられている。

 ふーん。ふーん。ふーん。これって恋愛小説だよね。内容的にはそんな感じだ。でも、違和感もある。これって女の子と女の子だよね。序盤中盤をすっ飛ばして、最終章の最後の一部分だけしか見ていないので、もしかしたら違うのかもしれないけれど。

 小説という形態に精通していない私からしてみれば、女の子同士の恋愛模様を描いたもののように感じられた。文脈からそう読み取れる、よね。

 私の脳内に電撃が走る。今まで開いたことのなかった新しい扉を思いっきり開いてしまったような気がする。扉を閉めようと思っても立て付けが悪くて閉まらない。

 私の中に存在していた常識というものが大きく覆される。こういうのもあるのかと。


 「ほーん。おー、なるほどなあ」


 輿石は私の肩に顎を乗せて、本を読む。あっ……と気付いた時にはもう時すでに遅し。見せないようにしようと、心の中で密かに誓った思いは一瞬にして無に返す。


 「わっ……帰ってきた」


 とんとんという足音が廊下から聞こえてくる。輿石は逃げ足だけは早く、颯爽と座っていた席へと戻る。私もスーッと本を元の場所へと戻して、なにもしていませんよ。というような態度と表情を見せる。

 豊瀬先輩は真面目な顔をしながら、事後報告を行う。


 「――というわけで、行事事の人員補充に関しては部長会に支援を求め、その都度足りない人員を確保していく。という方針になりました。改めて、この方針に関して異議のある人はいますか」


 優等生っぽく、淡々と状況説明を行う。

 しかし、頭の片隅にさっきの小説がちらちらと過ぎる。ああ、好奇心に負けて読まなきゃ良かったと後悔する。

 こんな顔をしていて、ひっそりと女の子同士の恋愛小説を嗜んでいるんだよなあと。良くない思考が巡る。


 「秋月さん。なにか」


 生徒会長モードに入っているので若干圧を感じる。その裏側にはただ心配するような。そんな優しさも見えた。そんな気がする。気のせいかも。


 「なんでもないです。それで問題ないと思いますよ」


 特に意見なんて持ち合わせていない。だから、そんな微妙な反応をすることしかできない。

 せめて、私の思考が見透かされなきゃ良いなと願いながら。

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