第13話 あなたは私のもの

 お見合いの場でもある昼食の場は、思っていたよりも早く終わった。

 俺はキッチンで食事が終わった後もブルーノとしばらく話し込んでいた。

 普段、一度に何種類も肉を食べることはそうはないし、俺の家の一般庶民的な料理とは別次元の料理だったので、俺は上機嫌になってブルーノと武器の手入れの話だとか、剣を使っての戦い方に関してだとか、更には、主であるアントーニオに関するちょっとしたうわさの類で盛り上がった。


 階上で給仕をしていたものが食器などを下げてきていたが


「お開きになった」


 の大きな声で、片付けを手伝うために休んでいた何人かの使用人が立ち上がった。

 上から来た使用人と彼らの間で何やらヒソヒソと言葉が交わされているのだが、聞こえてきたのは


「アントーニオさまが、本当にひどかった…」


 とか


「完璧なはずのマナーが、まるで野蛮人のようだった」


 とか言う声だった。

 ブルーノと俺は目をみかわして、戻ってきた給仕に声をかけた。


「この後、アントーニオさまを送らなくてはいけないんだが、どんな感じだったか様子がわからないと、どう対応したら良いのかわからない。何があったのか教えてくれないか?」


 上から来た使用人は持っていた皿をのせたお盆をおくと、こちらに寄ってきながら、長い溜息をつき、肩をすくめてみせた。


「食べ方が汚い、音をさせながら食べる、そのあたりに食べかすを投げ捨てる、つばを吐く、歯の間の詰まりものを取るふりをしてシーシーする、鼻をほじる、大声で話す、乱暴にものを扱う、人を殺したとか物騒な話を平気で楽しげにする、女性をばかした発言をする、筋肉バカな発言を繰り返す……もう、思いつく限りの無教養、無分別、下品で、愚かな男の典型のような……」


 俺の脳裏には、少し前にアントーニオの家で食事した時の様子が思い出されていた。

 テーブルでの彼は食事に招待したその家の主として、非の打ち所のないほど気が利いていたし、親切だった。もちろん、それ以上に、マナーは完璧であったし、立ち居振る舞いは伊達に貴族の血をひいているわけでは無いと惚れ惚れさせるほど優雅だった。


「それは……やっている方もいやだろうな……」


 俺は少し前のアントーニオの洗練された様子を思い出しながらつぶやいたが、ブルーノは笑い出した。


「いえ、あの方は楽しんでますよ、多分。あの帽子みました? あれは、ジェンマの甥のもので、古いものなんですよ。どこかでその帽子を見かけて、借りてきたんです。で、指輪も周りからとにかく趣味が悪いのを集めろって……」


「ああ、あれは本当にひどい」


「それで、バリオーニの女性もひいてしまって。もちろんあちら側はもう一度考えたいと。なにせ、あちらは本当は誰でもいいからこちらの家に嫁がせたいのですよ。同盟を結ぶのが目的ですから。だから、アントーニオさまだけじゃなくて、独身で見た目が麗しいといえば本家に三男のグリエルモさまもいらっしゃいますからね。しかし、終了後、父君が激怒されていて……」


「ジョヴァンニさん、今日はこの後、荒れると思うので、もうお帰りいただいて大丈夫です」


 ブルーノが椅子から立った。

 お開きになったということだろうから、帰宅するために俺も立ち上がった。

 しかし、忘れてしまう前に、懐から先ほどもらった剣の代金の入った革袋を取り出し、ブルーノに差し出した。


「これは、もらいすぎだろう。一度全部返しておく」


 彼はうなずきながら革袋を受け取って懐に納めた。


「では、後日、また直接お支払いに伺います」


「そうしてくれると嬉しい。それから、依頼を受けていた剣の作業を週明けくらいから始めると思う」


「アントーニオ様ににそうお伝えします。今日は騒ぎに巻き込んでしまいましたが、あなたなら許してくれるだろうと、主はおっしゃっていたのです」


 アントーニオに頼られた、ということなのだろう。


「いや、滅多に食べられない豪勢な食事をいただいたから、貸し借りはゼロかな。それには見ものだった」


 ブルーノは宮殿の入り口まで俺を送るためについてきた。


 宮殿の入り口を出たところで、どうやらアントーニオの見合い相手の女性とその両親、そして護衛としてついてきている親族らしい何名かがそこに立っているのを見た。

 誰かがまだ宮殿の中にいるのを待っているらしい。

 俺はそのわきを通り過ぎながら、アントーニオの見合い相手の女性の様子を観察した。


 色白の肌に青い瞳で、少しくすんだ金髪をリボンで結って、上から薄いヴェールをかぶっていたが、今はそれをあげているので顔がよく見えた。

 少しふくよかな感じが経済的な豊かさを感じさせる。

 服装はお見合いの席ということもあり、おしゃれをしてきたのだろうが、濃いめの赤に近いローズピンクにところどころ刺繍のあるゆったりしたチュニックに貴石のついたビーズの飾り紐でウエストのあたりを締めていた。

 かわいらしい感じの女性だったが、お見合いが予期していたものとは全く異なっていたためか、不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 それを隣に立つ母親らしき女性が慰めるように話しかけているタイミングで、俺はその横を通り過ぎた。


 通り過ぎながら、その女性がアントーニオの横に立って、<妻>と呼ばれる立場になっていたかもしれなかったことを考えた時、俺の胸の奥の方でチクリと針が刺さるような不快な感覚がするのに気が付いた。



 ――――――――――――



 愛の女神アフロディーテの神殿に色とりどりの花の籠を捧げる。

 火がつき煙の出ているお香がおわん型の器の中に入っているが、それを捧げ持つアンティノウスがそれを私が置いた花の籠の隣に置く。


「アフロディーテ・パンデモスよ、俺たちの愛が永遠に続くよう守り給え……」


 アフロディーテの像の前で祈る。

 一通り祈った後、二人並んで神殿を出る。


「君はアフロディーテの神殿に属しているんだっけ……」


「そうね、といっても、お金を納めるとか、奉仕活動をしたり、お祭りの時に手伝いをしたり。保護を受けているようなものだから」


 神殿の外に出て、二人で参拝者のためにおいてあるベンチに並んで座った。

 その時間、参拝に来る人は多く、目の前を老若男女を問わず通り過ぎてゆくのを眺める。

 と、そこに神殿に続く階段を13、4、5歳ほどの適齢期の少女たち数名が、年配の女性に連れられて上ってきた。彼女たちは明るく朗らかな笑い声をあげながら、楽しそうに軽やかな足取りで神殿へと向かっていた。

 手に手に花籠や香やお菓子などの捧げ物を持ち、アフロディーテ女神に祈願をするためにやってきているのだろう。

 家族に守られ、人生の荒波にまだ揉まれたことも無いような、そんな純粋無垢そうな朗らかな笑顔がまぶしく、私たちはそれに目を引き寄せられた。

 まだ若くて、希望にあふれている、そんな感じだ。

 アンティノウスがその少女たちの方を見ているので、肘で彼の脇をつつく。


「かわいいわよね」


「そういう目で見ていたんじゃないよ。ああ、でも嫉妬してくれたのかな?」


 私が嫉妬したことを期待して、彼は弾むような声ときらきらする目で見返してきた。私はつれなく首を横に振る。


「私、あまり嫉妬しないのよね。でも、なんか夢がありそうでいいわよね」


「育ちがよさそうで、だれかふさわしい相手に嫁ぐことを夢見ているような?」


「そうそう。豊かで、地位があって、賢くて、強くて、ハンサムな、優しい人が夫となるように。幸せな結婚、幸せな家庭」


「でもさ、彼女たちがどんな相手と結ばれようと、俺たちほど幸せなカップルではないはずだよ」


 私はちらっと彼の横顔を見た。

 本気でそう思っている表情だった。

 かどうかは、彼と私では見解が違うかもしれないけれど、それは口に出さなかった。


「でも、残念だな、君に嫉妬してもらえたらいいのに。私が誰かに目を向けることにすら、ドロドロしたどす黒い気持ちになってしまう、それくらい君に嫉妬されたらどんなに嬉しいだろう。私と同じ感情を君に味わってもらいたいものだよ」


 私は視線を落として、自分の手を見下ろし、つぶやいた。


「だけど……本当はあなたは私の手の及ばない高貴な人のものでしょう……嫉妬すること自体が許されないような気がするわ」


 膝の上に組んでおかれている私の手に、彼の手が乗せられた。その手が私の手をきゅっと握った。


「二人きりの時ぐらい、そんな風に思ったっていいんだ。だって、君は俺の妻なのだから。あの人がそうしたのだから、君は私を君のものだと思っていいんだよ。いや、むしろ、俺はそう思ってもらいたい」


 手から彼の顔に視線をあげると、とても真剣な目をして私を見つめていた。


「俺は君が『あなたは私のもの』と言わないのが楽しくない。君は『私はあなたのもの』っていうけれど、君は決して同じことを俺に求めない。だから、俺が君を想うように君は俺を想っていないように感じてしまうんだ」


「どうしたらいいのよ」


「だから、『あなたは私のもの』と言って欲しい。俺が君のものであると。それを君が望んでいるのだとわかるように」


 彼の手の親指が私の唇を撫で、そう言うように促す。


「あなたは私のもの…」


「そうだよ、俺は君のものだ」


 彼は眼を閉じて、私の言葉をかみしめるようにうなずいた。



「私はあなたのもの、あなたは私のもの…」


 心の中でつぶやく。

 遠い遠い記憶、遠い遠い昔の出来事。


 夢うつつ甘くやわらかな愛し愛される感覚の余韻に浸りながらまどろむ。

 夢から覚めてしまえば、すべてが煙のように消えてしまうのに。


 どうして覚えていられないのだろう。


 そうしたら愛している、と、あなたが求めていた言葉をかけてあげることが出来るのに。



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