第11話 トレビュシェットの投石訓練

 アントーニオの縁談の話を聞いてから数日後。


 城壁外の空き地で工兵団の市民が集まって訓練をしていた。

 いざ軍事行動を取るとなったとき、攻城兵器は戦場で組み立て、使用できなくてはいけない。

 攻城兵器は、敵の街や城塞を包囲し、攻略する目的で使うから、包囲戦の現場で運搬した資材を使って組み立て、作り、使う。

 組立作業に慣れておく必要があったし、それ以上にどう使うのか、また、兵器の調整作業をどうやるのか、など、攻撃の精度を高める練習もして工兵が慣れておく必要もある。


 戦争で、直接的な武力衝突があって、戦い、勝敗を決する、それが戦争だと想像するものは多いが、中世の戦争は、合理性を追求するなら敵を殺すことが目的ではない。

 戦争の目的は、敵の支配する都市や城を落とし、敵の勢力を削ぐこと、自陣の勢力を広げ、伸ばすことにある。

 そのため、直接の決戦を避け、包囲戦に入ることは多かった。

 そして、包囲戦で、明らかに負けるとわかっている場合には、あっさりと投降することも多かった。

 投降をして、明け渡せば、命を奪われないことの方が多かったからだ。


 そもそも、封建的な専制政治を行うイギリスやドイツやフランスなど北部ヨーロッパとは状況は異なる。

 イタリアでは市民が政治に関わり、より自由度の高い共和制を取ることも多い都市国家が多かった。したがって、王家などに対する忠誠心は、育ちにくい。

 また、そこでは、経済が優先されることが多く、損得を天秤にかけて、損ならば、生き残ることを優先させる合理性が生まれる。


 トレビュシェットを敵の城壁外で組み立て始めるのを見せるだけで、降伏するような場合もあるのだ。


 しかし、その日は、トレビュシェットトラブッコの投石での訓練をしていたのだった。


 トレビュシェットは、軸の片側の箱型のカウンターウェイトの重さを利用し、軸の反対側に取り付けたスリングから投擲物を遠方に投げ飛ばす攻城兵器だ。

 制作のコストはかかるが、包囲戦では重要な兵器だった。

 籠城している街や城の城壁や門を、投擲した岩などで破壊することや、敵の戦意を挫く目的で敵が不快に感じるものを投げ込むのに使ったりもする。


 トレビュシェットにまつわる歴史上有名なエピソードとして、1345年黒海沿岸クリミア半島のジェノヴァの植民市カッファの包囲戦があげられる。

 カッファを包囲していたモンゴル軍内でペストが流行した。

 モンゴル軍は撤退する際にカッファの城壁内にペスト患者の死体をトレビュシェットで投げ込んだ。

 そこから、ジェノヴァの船によって疫病がヨーロッパ全域の港街へ持ち込まれ、数年のうちにヨーロッパ全土に黒死病ペストが蔓延した。


 また、ボローニャでは、市内で教皇派が籠城戦を行った際、包囲していた側が戦死した聖職者の儀式用の帽子をロバの死体に被せて教皇派の立てこもる城に投げ込んだという話もある。

 疫病を流行らせる目的かどうかはともかく、死体を投げ込むとか、汚物を投げ込むというのは、籠城している側を侮辱する目的や、戦意を喪失させるためによく行われることだった。


 しかし、投擲物の飛行距離や高さが足りなければ、目標には届かず、破壊にも、何かを投げ込むにも使えない。

 そのため、ターゲットに合わせて調節する作業が必要だった。

 その調節と打ち出しの手順に慣れる必要があったのだ。


 トレビュシェットは長い木の軸の片側に重りとしての役割を持つ石などを詰めた箱カウンターウェイトがある。

 投擲前には、カウンターウェイトを上げた位置でフックで止める。


 カウンターウェイトと反対側の軸の先に、二本の綱を取り付けるが、一本は固定、もう一本は金属製の杭に引っ掛ける。

 二本の長い綱の先には、スリング状の二つ折りにした革や布が取り付けられていて、その間に石などの投擲物をセットする。

 スリングは、まっすぐにトレビュシェットの軸の下に伸ばして置かれる。


 そして、軸を固定しているフックを外すロープを遠くから引く。


 そうすると、カウンターウェイトが自重で下がる。

 当然、反対側が回転しながら周り、投擲物をセットした綱は弧を描いて、上へと上がる。

 固定されていない綱は、杭から抜け、投擲物が飛んでゆく仕組みだ。


 それらの手順を一つ一つ確認しながら、50キロほどある岩をスリングにセットした。


「離れろ〜!」


 射出する瞬間、万が一、トレビュシェットに何らかのトラブルがあれば、そばにいるのは危険だ。

 重量のある石や木材を使っているが、そうしたものが、機械が壊れ、分解されて飛んできたり、倒れて下敷きになったら即死しかねない。


 そばで作業をしていた皆が離れたのを見て、指導していた熟練工兵が掛け声をかける。


3、2、1、いけ!トレ、ドゥエ、ウーノ、ヴィア!


 皆が声を揃える

 いけ!で、フックのロープを外すと、カウンターウェイトが下がる。

 金具の音、木材の軋む音、スリングが空を斬る音をさせて岩が飛び出す。


「ヒャッホー!」


「おお〜!」


「いけぇー!」


 俺を含め、それぞれ興奮気味に叫んでいる。

 石は200メートルほど先の地面に重い音と砂埃を上げて落下した。


「岩回収に行ってくれ。あと部品の確認!」


 係が分かれているので、それぞれが役割で動く。

 俺は金具の破損や緩みや外れがないかチェックをするために、トレビュシェットに向かった。

 トレビュシェットには簡易はしごが作られていて上って作業がしやすくなっていた。


 工兵として参加しているのは、木工職人もいたが、部品の一部は鍛冶職人を必要とする。

 俺は主にその部品担当をして、手すきの時は他を手伝う役割だった。


 それに巨大な機械式の武器を扱うことに興味を持っている市民が数名志願して参加しているが、岩を飛ばすことを娯楽的に考えているメンツばかりだった。

 もちろん、俺もその一人だ。


「的に向かってさっきよりは少し距離が伸びたが、まだ距離と高さが必要だ、スリングの杭の角度を調整するか? あと、もう少し重りも入れて、調整しよう」


 実戦ではトレビュシェットの飛行距離や高さの調整で、2週間位かかることもある。

 また、カウンターウェイトの重さを変えれば、飛行距離や飛ばすものの重さも調整することができた。


 トレビュシェットの金具を高いところに上がって確認していた俺の目に、街とは反対の街道の方から馬に乗った人影が近づいて来るのが見えた。


「誰か、こっちに来る」


 皆がそちらを見た。

 近づく騎影だけでなく、街道の方にも何騎かいる。

 外に出かけた帰りで、街に帰還する途中のようだ。

 みんな一旦手を止めて、近づく三騎を待った。


 やがて、顔まで判別できる距離に近づいて、先頭がアントーニオで、後ろに侍従と彼の部下らしき人だとわかった。


「やあ。帰り道に岩を派手に飛ばしてるのが見えてね。ちょっと見に来た」


 アントーニオが言うと、指導者の年配の工兵が前に出た。


「なかなか調子がいいですよ。見回りですか?」


「殺人未遂事件でちょっとした暴動があってね。その鎮圧というか、仲裁に出ていた」


「どこです?」


「サンジャコモだ」


 少し離れた村で、俺達の街に属している。


「ああ……ご苦労さまです」


 有力者の家系の間でのいざこざはよくあることで、格上のアントーニオの一族が間に入ってとりなした、というところだろう。


 アントーニオは会話中、トレビュシェットの方を、正確には、それに登ってる俺の方をジロジロ見ていた。


「なにか気になることでも?」


「いや、特にないが……しかしまあ、隣とのいざこざで少しきな臭くなっているし、攻城兵器の訓練は必要だな」


「いつでも隣街に犬の死体を贈ってやれますぜ」


 不敵な笑みを浮かべながら、指導工兵が手を揉み合わせるジェスチャーまで見せた。

 犬の死体を贈るのは、自軍の優位を誇示し、侮蔑の意味を込めたメッセージになる。

 それをやるのを本気で楽しみにしているように見える。


「それは心強い。ところで……ちょっと、ジャンニと話をしたいんだが。私の剣を依頼していてね」


「あ、どうぞ。ジャンニ!」


 名前を呼ばれ、トレビュシェットから降りて、前に出た。

 アントーニオは、馬上のまま


「お前、自分が打ったマシな剣、あるか?」


「マシな剣って……」


 彼の方に歩み寄って、すぐ脇から見上げた。


「やはり、剣が完成する前に不安を感じる剣を使っているのもなんだろう。それまでの間をもたせるために、お前が作った剣で適当なのがあれば使おうかと思って」


「それなら、親父が作ったので良いのがあるんじゃないかな……俺はミラノで作ったのはあっちで売ってしまったし。こっちは日が浅いし、親父の助手の方が多いから、俺メインで打ったのは今俺が使っているのしかない」


「まあいいか、お前の父親ので」


 アントーニオは顎のあたりをなでながら何か考えているような表情だ。


「まあいいかって、親父のは十分素晴らしい剣だぞ。それは熟練鍛冶師に対して失礼だぞ」


「すまん、バカにしたわけじゃない。いい剣ならそれは願ってもない。それ、買い上げるから、明日、昼前に実家に持ってきてくれないかな」


 アントーニオの言葉を聞いて、彼についてきた侍従と部下がぎょっとしたような顔をした。

 彼らの乗っている馬が、反応して神経質に体をはげしく動かしたのを、なだめる。

 なぜ、そんな反応をするのかよくわからなかったので、説明が欲しくて彼らを見るが、彼らは俺から目をそらす。

 アントーニオはその反応を横目に眺めているが、妙に気まずい空気が漂う。


「なにか…あるんですか?」


「なんでもないさ。ちょっとマシな剣が必要な行事があってね」


 アントーニオは軽い口調だが、二人の連れは目を見合わせて、妙な表情をしていた。


「なにか、嫌な予感がするんだが……」


「とにかく、明日、昼前に剣を持ってきてくれよ。金もその時渡す」


 それだけ言い残して、アントーニオはさっさと馬の首を返して、もと来た道を戻っていった。彼の連れもその後に従う。

 しかし、連れの妙な様子に、翌日、なにか普通ではないことが起こりそうな予感が残った。


 訓練が終わってから、鍛冶場に立ち寄り、父親に事情を説明して売らずに保管していた剣を預かった。

 そのまま、すぐに使えるように手入れをすることにしたが、その最中に、横から父親に


「剣の代金について話したのか?」


 と、問われてはたと気づいた。


 アントーニオは、明日、剣と引き換えに金を払うと言ったが、剣がいくらか、の話はしなかったし

 聞かれなかった


 ということに。

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