第10話 貴族の義務と抵抗

 散々な夜だった。

 一度呼び起こされた性的な興奮は簡単にはおさまらないし、アントーニオの捨て台詞のせいであらぬ想像を忘れることができず、朝まで悶々として過ごした。


 <一体あいつはどんなつもりで、思わせぶりな言動を取るのか。かと思えば、急に冷たく突き放すような態度へ変わる。俺の感心を引きたい目的でやっているとするならば、まんまとあいつの思惑に乗せられてしまってる>


 なのである。


 朝方、自宅に戻ったところで、母の詮索する視線が絡みつくのを感じたが、無意味に徹夜をした睡眠不足の状態だったので、昼まで自分の部屋で眠った。


 その後、昼食を取りながら、アントーニオの剣の制作の依頼をスティレットの依頼とセットで受けたことを家族の前で報告した。

 昨夜、アントーニオの家に泊まったのは、新しく作る剣の要望を聞いていたから、という言い訳ができたのは良かった。

 でなければ、実際に何が起こったのかを知ったら、大騒ぎになるのは目に見えていた。


 剣を打ち、鍛え、研ぐには、父の手伝いもいる。繁忙期には引退した祖父も簡単な作業ならば手伝いに来ることもあったが、俺の家のチームが引き受けられる仕事量にも関わってくるから、報告は必須だった。


 しかし、急ぎの農機具の修理の依頼が入っていたので、まだ詳細の決まっていないアントーニオの剣の仕事にすぐにとりかかることはできなかった。

 農機具の修理にはたいして時間がかからなかったが、それが終わってすぐ、対となる剣とスティレットの造り、サイズ、デザインなどを決めて、それをもとに見積もりを出した。


 剣のグリップは木を使うが、ガードグアルディア柄頭ポーモロに彼の家の紋章などの装飾をいれて、少し凝ったつくりにするつもりだった。


 アントーニオは、今までは誰かから贈られたお下がりの剣や、鋳造された量産型の剣を使っていたらしい。

 良い職人の手による高品質のものを使ってはいるが、しかし、剣はステータスシンボルでもある。

 地位が上がるに従って、それ相応のオーダーメイドの自分の剣を持つことが必要な場面も増えてきたという。

 他の都市からの使節の出迎え、公的な行事の正装時など、剣としての機能とステータスシンボルとしての機能の両方を備える剣の必要性を痛感する場面が増えていた。

 そうなると専門の鍛冶師にオーダーメイドするしかない。

 俺と知り合ったのは、そういうタイミングだった。


 改めて、見積もりと、デザイン案を持ってアントーニオの家に出かけた。

 夕方に行けばまた泊りがけになりかねないので、あらぬことを避けるため、午前中にアポイントを取るのは忘れない。


 約束の時間にアントーニオの宮殿のライオンのノッカーを叩いたが、しばらく待っても反応がない。

 訪問する予定は入れているはずだから、音が聞こえなかったのだろう。

 もう一度ノッカーを強めに叩いたところで、下男がドアを開けた。

 開けた瞬間に、上の方から


「ふざけるな、冗談じゃない!」


 アントーニオの怒声と、その後にかなり汚い罵声が続いた。

 いつも落ち着きがあり、鷹揚と貴公子然としている彼とは思えないような激しさだった。なにか彼の逆鱗に触れることがあったのは疑いようがない。


 俺のためにドアを開けた下男が、階段の上の方を困ったように見上げ、肩をすくめた。


「かなりお怒りのようだな。一体、どうしたんだ?」


「今、上に行くのはよろしくないと思います。こちらで少し……」


 と、下男がキッチンの方に案内しようとしたところで、かすかに女性の声が聞こえてきた。 何かを必死に訴えかけているようだったが、内容はわからない。

 しかし、それがアントーニオの怒りに、火に油を注いでしまったようだった。

 俺が口にするのもはばかられるような、さらなる罵声が続いていた。

 下男はため息をついた。


「ご主人の母君がいらっしゃっているんです」


「出直したほうがいいかな?」


 下男が何かを言いかけたところで、ドアが開く音がして、上の応接室から人が出てくる音がした。


「私は絶対に行かないからな!」


「本当に顔を出してくれるだけでも良いのよ、先方の顔をたてなくてはいけないし、お願いだから」


「本家のグリエルモがいるじゃないか、なんで私なんだよ!ふざけんな」


 アントーニオの怒りの声を背中に、先に壮年の男性が降りてきて、その後に女性が続く。

 二人は、入口の近くで下男と並んで困り顔で立ちすくんでいる俺に気がついた。


「あら、お客様だったのね。トーニオの耳汚しの言葉を聞かせてしまったわね、ごめんなさいね」


 俺は一礼した。

 女性の方がアントーニオの母親だろう。連れの男性の様子からは、母親の護衛のようだった。


 女性は年は取っているが、その割に若々しく上品な美しい女性だった。

 俺の母親は小太りなのだが、それと比べて、ちょうどよい肉付きで、気品といい、別の種族の人間のように感じる。それが生まれ育ちの良い貴族というものなのだろう。

 そして、アントーニオの母親だけあって、どことなく目元や口元が似ている。


 彼女の後ろからアントーニオも出てきて、俺に気がついた。


「ジャンニ!」


「ジャンニっていうの? お友達?」


「彼の剣の制作の依頼を受けた武器職人です」


「まあ。鍛冶場の若いマスターね。噂は聞いているわ」


 俺はもう一度宮廷風の礼をした。


「トーニオにいい剣を作って上げてね。よろしく頼むわよ」


 彼女はほほえみを残し、護衛と一緒に家を出ていった。アントーニオの怒りとは対象的な態度だった。

 アントーニオはそれを階段の途中から見送って、舌打ちをして、俺を手招きした。


「挨拶が遅くなったが、おはよう」


 と、声をかけると、アントーニオは怒らせていた肩からガクッと力を抜いてため息を付いた。


「おはようと言いたいが、朝から胸糞が悪い」


「体調が悪い…わけじゃあなさそうだな」


「ああ」


 俺は階段を上がってアントーニオと一緒に応接室に入った。


「母君と喧嘩をしたのか?」


「喧嘩ならまだマシだな。」


「何があったんだ?」


 アントーニオはさっきよりも長いため息を付いた。そして、椅子の上にどっかりと腰を下ろし、脱力した。


「さあ、何が起こったと思う」


 まだ立っていた俺に向かい、彼はひどく獣じみたような、狂気を帯びた目をして、同時に自虐的で皮肉っぽい笑いを口の端に浮かべる。


 俺は彼の向かいに座った。


 こんなに怒るなんて、よほどのことだろうと思ったが、なんでそんなに怒るのか想像もつかなかった。


「想像してみろよ」


「いや、想像もつかない。なにか家のことだろうか?」


 アントーニオは片手で目を覆って、その下でクックッと笑い声を上げた。それが次第にアハハに変わるが、笑い声が狂気じみている。


「これが笑い話以外の何だと思う? 私に結婚話を持ってきたんだよ」


「え?」


「父親の考えそうなことだ。結婚したら、女の良さがわかって、病気が治るだろうときた。家庭を持って、子供ができたら、変わるんじゃないかと」


「それは…まあ、そうかもしれない」


「は? 何言ってるんだ? できるわけないじゃないか。たとえ、万が一、間違って結婚したって、指一本触れるはずがないんだから」


 鼻で馬鹿にしたように笑った。なんだか、その態度が小憎たらしく感じられた。


「しかし……貴族の家にとっては、家と家の結びつきとか、勢力拡大とか、同盟関係を強化するとか、いろんな理由で結婚というのが義務なんだろう。子供を作ることも義務なんじゃないか?」


 小馬鹿にされたのにやり返したくなってしまって、あえて、アントーニオが嫌がりそうなことを言ってみたくなったのだった。


「それをしないために命を張って、嫌な仕事も喜んで引き受けて、憎まれ役になったというのに?」


「それが、同時にあなたの価値を高めてしまったのはある。不敗の騎士とか、負け知らずとか言われてしまったら……」


「面倒な。この街を出て、傭兵にでもなって、ドイツかフランスにでも行けばいいかな。少なくとも家絡みで結婚を迫られなくはなる」


 先程から、縁談を持ち込まれたことは話として出ているが、相手が誰なのか気になった。


 <相手はアントーニオの噂を知っているのだろうか?>


 そう思ったからだった。


「でも、相手は誰なんです?」


「バリオーニ一族の女だが、妾腹だ」


「ああ、今、関係を強めておきたい同盟市の。それは、完璧に政治的な……」


「政略結婚と思うだろう。ところが、この間のサッサイオーラで私を見て、惚れて、父親にごねたらしい」


「へぇ、モテるんだな。確かに、あなたは見た目だけはハンサムで、強くて、かっこいいから」


 アントーニオは目の上に置いた手を弾けるように外して、俺を睨みつけた。


「見た目だけは? 見た目だけは、っていったのか?」


 一瞬、脇を見て、小さい声でだったが、汚い言葉を吐き捨てた。


「最悪だ。自分が落としたい奴を落とせないのに、落としたくもない女を落としてもしょうもないだろう」


 落としたい奴というのは、先日来の言動を見る限り、俺以外の何者でもないのだろう。だが、アントーニオがそれを匂わせ、何気なく爆弾を投下している事実に、俺は気が付いていないふりをした。


「あっちも、あなたの一族も、同盟関係を強化したいから、話を進めたいんだろうね。だけど、あなたに一目惚れしたっていう、その女性は……その、あなたの性癖を知っているのかな……知らないとしたら、不幸な婚姻関係になる」


「そう、知らないならば、この話を進めるのは不誠実だ。が、実際の所、知らなかったが、今は知っている。それでも良いらしい。どうかしている」


 アントーニオは苦虫を噛み潰したような、不快極まりないような表情をしていた。


「私を矯正できると思っているらしい。かわいそうな私を目覚めさせることができると、神の前に、信仰心を持って、そう信じているらしい」


「わお!」


「ふざけるなよ。それ以上、信仰心と私の性的嗜好に関してなにか口にしたら、殺すからな」


 アントーニオは不機嫌の極みにあった。

 俺がその縁談話を肯定的に捉えているのもその不機嫌さの原因でもあった。

 しかし、俺は彼がそんな反応をすることが、今まで彼に振り回されてきた分、密やかに加虐的な悦びと感じてもいた。


「話を聞く限りでは、あなたの父君が進めているようだけど、いっそのこと、このまま流れに乗って結婚して、家庭を持って、子供を作ったら、変わるかも? あなたが男が好きと言っても、世間にはそういう性癖でも家庭を持つ例はいくらでもあるし。その方が波風が立たないだろうし」


「私は夫に一度も触れられることのない女ができることを憂慮する。正直に言わせてもらえば、これは世の中に不幸な人間を二人生み出すことにほかならない。その女と私だ。最初からうまく行かないのがわかっているのだから、不幸を回避すべきだ」


「でも相手は乗り気なんだろう? 鍛冶師の私には、政治とか家の利害とか、そんなしがらみはほとんどないからその点では神に感謝をしなくてはいけないかな。まあ、でも、もしも俺にそんな話があったら、ちょっと考えてしまうかもしれないな。そんなに好きになってもらえるなんて、そうそうないかもしれない」


「……モテない男はそういうのかもしれないが、私を好きになる人間といちいち結婚なんてするわけないだろう」


 前半が嫌味ったらしい。


「誰かに好きになってもらえて、そこまで想って貰えるなら、幸せかもしれないし。俺もいつかは結婚するかもしれないし」


 アントーニオが歯をギリッとさせる音が聞こえた気がした。こめかみのあたりに血管が浮いている。


「もういい。私の縁談の話もお前の結婚の話もどうでもいい。剣のことで話をしにきたのだろう。聞こうじゃないか」


 ようやく本来の目的に入ったわけだが、アントーニオはその後もずっと不機嫌だった。


 普通なら、家が定めた縁談を断ることは難しいし、それが自分の立場や地位の安定につながるから、個人的な好き嫌い、感情は抜きに受け入れるのだろう。

 だが、アントーニオはそうするつもりは微塵もないようだった。

 一体、どうやって彼にとっての危機的状態を回避するのか、俺は興味を持った。

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