第8話 サッサイオーラ

 俺の眼の前で、俺のチームの一人のピエトロがアントーニオの拳を見事に顎に食らって、地面に沈んだのを見た。

 その拳が決まる直前に、ピエトロはすでに数発の拳を顔面に、腹には蹴りも食らっているのを目にしていた。

 その攻撃は容赦なかった。


 サッサイオーラはトーナメント形式で競われる。

 一回戦を勝ち抜いた俺達は、二回戦でポルタ・サンタンジェロと当たっていた。


 試合開始前、両チームが対峙して、試合会場になっているカンポ・バッタリア戦場広場に立っていた。


 俺のチームのポルタ・サンタンジェロは赤と白に聖ミカエルの旗で、選手の服も赤と白だった。

 連覇を狙う昨年の優勝地区ポルタ・レオーネは赤と黒に金のライオンの旗で、選手の服は赤と黒だった。

 それぞれの地区の陣には、地区の旗が立てられている。


 両チームとも、中間地点を挟んで、第一陣が投げ手ランチャトーリ、第二陣が攻撃陣アルマーティと並び、試合が始まるのを待っていた。


 フィールド周囲にはそれぞれの地区の住民が老若男女を問わず観戦に詰めかけ、それぞれのゴールに陣取っているので、地区の色で塗り分けられていた。

 その場外からも激しいやじが飛んでいた。


 サッサイオーラでは身分はほとんど関係のない実力勝負、無礼講状態になる。

 それが都市内でのガス抜き的な役目を果たしてもいた。


 試合開始前の時点で、互いに挑発し合うような好戦的な雰囲気が出来上がり、熱気が高まり、二つの地区の興奮は頂点に達していた。


 昨年、優勝したポルタ・レオーネは今年の最有力優勝候補であったから、そのチームを倒すことは、俺達にとっては優勝に一歩近づくことを意味している。


 街のお偉方のありがたい言葉の後、ファンファーレが鳴り、試合開始の合図とともに、各チームが動いた。


 俺は守備チームにいて、敵がポルタ・サンタンジェロ陣に近づいて岩を打ち込むのを阻止する側にいる。

 守備チームは陣に敵の攻撃チームが近づかないようにフォーメーションを組んで壁を作っていた。

 敵のポルタ・レオーネもフォーメーションを組んで襲いかかってきていた。


 アントーニオは攻撃側の要を担っているようだったが、それを迎え撃ったのは、子供の頃から軍事訓練をこなしてきてそれなりに腕に覚えのあるはずの騎士階級のピエトロだった。

 アントーニオは自分の前に立ちはだかったピエトロに拳と蹴りを叩き込んで安々とダウンさせた。体格にはさほど違いはなかったのだが、アントーニオの動きはキレがよくて、話にならないほどあっけなくピエトロは倒れてしまった。


 その後、アントーニオは攻撃すべき守備陣にさっと目を走らせた。

 そして、近くにいた俺に気がついたが、口の端にからかうような笑みを浮かべた後、俺ではなく別の選手の方へ攻撃を開始した。

 余裕の態度だった。


「ふざけんなよ、クソ野郎!」


 普段は口にしない汚い言葉を叫んでいたが、試合が始まってから、その場の雰囲気で俺もテンションが上がって興奮していたのだった。

 とにかく俺を無視して別の選手へと攻撃の矛先を変えようとするアントーニオにムカついた。


「ジャンニ! 左手に加勢してくれ!」


 アントーニオの方向に動こうとした時、後ろから叫ぶ声が聞こえた。

 アントーニオの率いている攻撃グループを警戒しすぎて、少し離れたところで守りが薄くなった守備陣の壁を別の攻撃グループが切り崩そうとしていて、そちらの攻撃が激しい。

 ポルタ・レオーネは、アントーニオがマークされるのを見越して、別のグループに攻撃力が強いメンバーを配置したようだった。


 俺は端の方にいたから、そちらに移動がすぐにできる。

 すぐにそこから離れて、その時、攻撃が激しくなっている守備陣に加わる。俺の近くで、余裕があったものもついてきた。

 盾同士のぶつかりあいがあって、激しく入り乱れて、拳や肘や膝で攻撃をし合う。


 俺は体格が大きい方で、その上、仕事上、筋肉が発達していたし、ミラノへの修行に伴って、旅行中の護身術として多少は格闘技も習っていた。

 それがサッサイオーラでは有利に働いていた。


 一方、俺の隣に立っていた味方は、近所の商人の息子だったが、やわな体格をしていて、敵の攻撃の激しさに盾を取り落とし、そこに相手の盾で殴打されてよろけた。


「うわあぁぁ!」


 バランスを崩したところを、みぞおちに膝を入れられそうになった。

 俺は片足を上げたそいつを蹴り飛ばしたが、少し前に出過ぎた。

 瞬間、俺の眼の前にいた別の敵が、俺の顔を狙って肘を張り出しながらジャンプをしてきた。

 避けるには遅く、そのまま行けば、俺の顔面に肘の直撃を受けそうだった。

 まずい!と思って目を閉じた瞬間、肘鉄を顔面に食らわせようとした敵が紙一重で吹っ飛んだ。

 味方が助けてくれたのかとホッとしかけたが、敵の列の少し後ろに別の赤と黒のポルタ・レオーネの服を着た攻撃手が立っていて、そいつが蹴り飛ばしたようだった。


「おっと、狙いが狂った、悪いな!」


 と吹っ飛んで地面に投げ出された味方に声をかけたのはアントーニオだった。

 いつの間にかもとのグループから、こちらの攻撃グループに移動をしていたのだった。

 まさか同じチーム内でそんな荒いプレーがあるとは思わなかったから、俺は息を呑んだ。

 アントーニオは吹っ飛んだ男がいた位置に入ってくると、俺の顔面にパンチを食らわせるふりをして、至近距離に入ってきた。


「鼻を折らずに済んでラッキーだったな」


 そう俺にしか聞こえない声で言うと、俺の隣に立っていた俺の仲間を殴り倒した。

 確かに先程の攻撃をもろに受けていたら、肘が鼻に激突してとんでもないことになっていただろう。


「おい、そこ、もっと本気出せ、殺すぞ! そんなんで、勝てると思ってるのか!」


 俺はアントーニオに肩でぶつかり、殴ろうとしたが、彼は俺の拳をいなしながら、少し離れた彼の味方に叫んだ。

 どうも、彼の部下がそちらにいるみたいだった。

 その部下がアントーニオのグループとは別のこちらの攻撃グループを指揮していた。


「こっちの壁が厚いんですよ!」 


「そっちに行く。じゃあな、ジャンニ!」


「なんなんだよ! あんた!」


 アントーニオはさらなる俺の攻撃を避けて、すっと後ろに下がって、先程声をかけた方に向かった。


 その後もしばらく戦いは膠着状態が続いていたが、着実にポルタ・サンタンジェロの選手は負傷などで脱落していた。明らかにポルタ・レオーネのほうが有利な情勢になりつつあった。


 もともとサッサイオーラはよほどのことがない限りポルタ・レオーネが優勝することが決まっている出来高レース的なところがあった。

 なぜなら、ポルタ・レオーネは貴族が多く居住する地区だ。

 貴族は何かあればまっさきに剣をとり、戦いに赴く責務があるいわゆる職業軍人が多くいたし、そのために子供の頃から戦闘訓練を受けている。もともとの戦闘能力に差があった。

 それに、経済的な豊かさの恩恵を受け、一般市民よりも衣食住に恵まれている。


 都市部に住む一般市民の食糧事情は経済状態に左右されるから、一部の裕福な市民を除けば、肉を口にすることは稀で、それが体格の差にも如実に現れてしまう。

 代々に渡って培われた肉体的な優位差は、いざという時に貴族階級が容易に市民を制圧することを可能にしていた。


 実のところ、唯一、ポルタ・レオーネに対抗できるかもしれない地区は職人と商人が住み、比較的経済的に裕福なものが多いポルタ・サンタンジェロとポルタ・ソーレかもしれなかった。

 実質上、今までポルタ・レオーネがほとんど優勝し、稀に番狂わせとして、ポルタ・サンタンジェロかポルタ・ソーレが優勝する程度だ。


 俺は最後の方まで脱落しないで戦っていたが、ポルタ・サンタンジェロの守備がほとんど崩された頃に、再びアントーニオが現れた。


「うん、そろそろ引導を渡してやろう」


 などと、傲岸不遜な態度ともの言いで俺の前に立った。一対一での戦いの態勢に入ったので、周囲はそれを見守っていた。


「は? 何言ってるんです?」


「これ以上、抵抗して、骨を折られたり、今以上に顔がぼこぼこになられてもな……」


 それまでの間に、俺は敵と殴り合いをして、顔が腫れていた。

 自分で顔を見ることはできないが、傷や後日青たんへ変わるような赤みが出ているはずだった。

 体も打ち身や怪我が何箇所もあって、節々が痛かった。


「俺のこと、舐めてます?」


「そんな風に見えているなら、謝るが……」


「いや、十分見えてますよ」


「すまないな」


 そういいながらも、言葉と反して、相変わらず不敵で自信過剰な態度は何一つ変わっていない。

 俺は半分キレかけながら、数歩進んで間合いを詰めた。

 脇を締めて、殴るタイミングをはかりながら、アントーニオを睨むが、彼は楽しそうに笑っているだけだ。

 それが俺の神経を逆なでした。俺は憤激して、アントーニオの顔を狙って、殴りかかった。

 彼は俺の腕に盾をぶつけて軌道をそらさせながら、利き手で俺のみぞおちを下の方から殴りかかってきた。

 それをかろうじて避けたはずなのに、俺のみぞおちに衝撃があった。

 アントーニオの右膝がみぞおちに入っていたのだった。

 俺は呼吸が一瞬止まって、気が遠くなりそうになりながら、地面に倒れ込んだ。血の香りと埃の味が口の中に広がった。


 結局、試合はポルタ・レオーネが勝った。

 しかし、試合終了後、アントーニオの不可解な行動を振り返り、それが気になって仕方がなくなってしまった。

 一つはポルタ・サンタンジェロの他の参加者に対する戦い方と比較して、俺に甘いような気がしたこと。

 もう一つは、やたらに俺に突っかかってきたのだが、それでも、大きなダメージを与えることなく、俺を早く戦力外にしたがっているようだったこと。

 しかし、彼が俺に対してだけ特別扱いにしたのだと考えるのは、うぬぼれすぎのように思えた。

 そもそも、地区対抗の勝負の場でそんな行動を取るなんて、考えにくい。

 そうでありながら、彼が他の人間を冷たくあしらうのを目にしているのに対し、俺には親切であったり、かばうのには、何か特別な意味がある気がして、俺の内面は平穏なものではなくなっていた。

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