第6話 負傷には『良きサマリア人の軟膏』
夏になると毎年、
サッサイオーラは街を5つの門からなる
競技は、各地区から選抜された屈強な若い男たちでチームを組み、敵陣地にどれだけ自分たちの地区の岩をいれることができるかを競うものだった。
チームは岩を投げる
武器の使用は禁止されているが、重装歩兵役はヘルメット、革の鎧、すね当て、小型の盾の装備は許される。役割としては自陣と投げ手を守り、同時に敵チームを牽制、攻撃もする。
投げ手はその名の通り、岩を敵陣に投げ入れる役割を持つ。
岩の数は決められているが、それぞれ大人のこぶし大から子どもの頭ほどの大きさはあるので、重さがある。
岩は、投石用のベルトを使って投石する形になるが、それでも相手陣地にある程度近づかないと陣地内にいれることができない。
この競技が危険なのは、岩を使って相手を攻撃するプレイをするものがいたり、敵味方問わず、投げられた岩に命中して負傷する可能性があるからだ。
時には死者も出るため危険な競技だった。
実質上、地区別での戦争をシミュレートしたゲームであり、祭りの目的として民兵の軍事訓練の意味合いもあった。
非常時に全市民が戦闘員と化す都市国家においては、祭りを通して団体行動や戦闘力を磨き、連帯意識を高める必要があるのだ。
この模擬戦闘の競技は古代から各地で続いてきた競技だが、岩を使うのは珍しい。
俺達の街は傭兵を輩出し、街出身のものは残虐などと周辺都市から揶揄されることもあったが、この祭りは俺達の街の性質をよく映したものだった。
俺の住む地区は街の防壁を守護する聖ミカエルに捧げられた教会、サンタンジェロ教会が名前の由来である
サッサイオーラの数ヶ月前から、ポルタ・サンタンジェロの若者は城壁外の空き地に集まり練習に勤しんでいた。
俺の家の男は代々サッサイオーラに出場して強さを知られていたし、教会や地域への貢献で一目置かれていたから、出場対象年代である俺以外にも、祖父も参加して、いくつかあるグループのひとつを指導していた。
開催日が近づいてきたその日は、二手に分かれて模擬戦を行った。
本番ではないし、試合前に負傷しては元も子もないので、投げ手は岩を投げる真似だけする。
俺は武装側のグループに加わっていた。
「オラオラ、いけ~、押せ~!」
投げ手を守って、敵陣へ迫るグループにいたが、敵陣の近くで敵の壁にあたる。
木で作られたサッサイオーラ用の盾で相手グループの守備兵の壁を押して前進しようとする。
一瞬強く押してから、力を抜いてフェイントをかけ、相手がバランスを崩したところを盾で殴打する。
転びかけたところをとどめで更に殴る。
「そっち、引けてるぞ! 投げ手が空いちまう!」
岩を投げるのは、投げ手だから、投げ手を戦闘不能にすれば、有利になる。
攻める側は投げ手になんとか迫ろうと守備兵と激しくもみ合った。
そのうちにわずかにあいた守りの壁から相手チームの守備が緩み始める。
「今だ、一気にやれ~!」
両方が入り乱れて、無我夢中の殴り合いの状態だった。
そんな練習を数時間続けた後、ようやくお開きになって、皆でバラバラと帰宅し始めた。
俺はコーチ役で参加していた祖父と並んで歩いていた。
「ああ、すっかり腹減ったよ、じいちゃん。今日の夕食なんだろうな」
「そうだなぁ、なんだろうなぁ。こんな空腹なら何を食っても、うまいだろうなぁ。お前の母さんが食事の準備はしてくれているはずだから、すぐに食べられるだろうよ」
「ああ。本当に楽しみだ」
空きっ腹をさすっている俺に祖父は笑ったが、俺の顔を指さした。
「しかし、お前、血が出ているぞ。頬に怪我をしたな」
「ああ、さっき揉み合いになった時に、殴り合ったから、その時に切れたんだろう」
指さされたところ、頬に触れると、傷の痛みとは別の痛みがあった。
「あざができそうだな。色男も形無しか。ま、サッサイオーラじゃ、よくあることだ。祭りが終わるまでは生傷が絶えんのは覚悟せにゃな」
祖父はサッサイオーラ経験者だから、軽い怪我やあざは怪我のうちに入らない勘定であった。
痛みを感じる部分を指でなぞると、指先に引っかかる感じがあって、見てみると乾きかけの血がついていた。
「帰ったら、母さんに手当をしてもらうことだ」
城門が見えるところまで戻ってきたところで、後ろから複数の馬の蹄の音が近づいてきた。振り返ると、馬に乗った一団がやってきていて、その先頭にいたのはアントーニオだった。
彼は、前を歩く俺に気がついて、片手を上げて馬上から挨拶をしてきた。
俺も立ち止まって、会釈を返す。
アントーニオは俺達を追い抜いた後、城門の中に入ってから馬を止め、同行していた彼の従者や部下に声をかけた。
「お前たちは今日はもう先に帰って良い。また、明日、城塞で」
「わかりました。また、明日!」
彼らはそのまま先に進んで行ったが、アントーニオは馬から降りた。
「じゃ、わしは先に帰っておるよ」
祖父はアントーニオが俺に近づくのを見て、邪魔になると思ったのか、アントーニオに挨拶をしてから先に帰っていった。
アントーニオは馬の手綱を持ったまま、俺の前に立った。
「あなたにも従者がいたんだな……」
先日、アントーニオの家を訪れ、宿泊した際に、騎士なのに住み込みの従者がいないのを、不思議に思っていたところだった。
それで、去ってゆくアントーニオの従者の後ろ姿を見送りながら、そう言っていた。
「ああ、四六時中周りをウロウロされるのは好まないから、自宅から通いで越させている。外に出る時だけ、身の回りのことをさせているんだ。私は秘密主義だからね」
アントーニオはシニカルに笑いながら、馬上で乱れた髪をかきあげ、その髪を整えながら俺をやたらに凝視した。
<無駄に色っぽいな>
そんなことを頭のなかでつぶやいていたが、唐突に、アントーニオが片手を伸ばして俺の頬の負傷に触れたので、その痛みでびくっとした。
「怪我をしている」
眉間にしわが寄って、なぜだか不機嫌そうだった。
「サッサイオーラに出るんだろうが……訓練で怪我をしたな」
「ああ、そうだけど……なんでもないさ」
チッ…
と、気のせいか、脇をむいたアントーニオが舌打ちをした…気がした。
彼は馬の傍らに戻って、鞍にぶら下げている革袋をとり、その中から小さな陶器の器を出してくると、それを投げてよこした。
「これをやる。家に帰ったら、傷を洗って塗ると良い。打撲や切り傷に効く
「え?」
「荒事が多くて生傷が絶えない私に母が持たせたものだ。さほど日持ちしないし、サッサイオーラのためにもう一つ渡されたところだからやる」
「あ、ありがとう……」
<家族の仲が悪いとか匂わせながら、母親からは愛されてそうだよな……>
礼を伝えながら、そんなことを思ったが、口には出さなかった。なんとなく、家族のことを口にするべきではない気がしたからだった。
アントーニオは俺の礼を聞いて、一瞬満足げな笑いを浮かべて、頷いた。でも、すぐにもとの不機嫌そうな顔に戻り、顎のあたりを撫でながら、俺の顔を更に穴のあくほど眺めた。
「なにか?」
「私も、出る」
「……そうでしょうね……」
「
アントーニオは貴族の多いポルタ・レオーネ地区に住んでいて、俺とは別の地区だった。
昨年は俺はまだミラノにいたので、サッサイオーラをこの目で見た訳では無いが、ポルタ・レオーネが優勝していたのだった。
「知ってますよ。サッサイオーラでのあなたの悪評は聞いてますけどね……」
「困ったな」
アントーニオは何か考え込んでいる。
俺は少し前に地区での練習中に、ポルタ・レオーネを優勝に導いた立役者の一人が彼だった聞いていた。
ここ数年のサッサイオーラで、一人で何人かの選手を試合続行不能にさせてきた張本人がアントーニオであり、俺達がポルタ・レオーネと対戦する時の最重要注意人物として伝達されていた。
「困ったって、まさか…試合で当たって俺と戦うのを想像して言ってるんじゃないでしょうね?」
「うん」
妙に素直な返事があり、しかも、俺と戦うようなシチュエーションで俺に気を使っている風なのが意外だった。
「うっかり腕の骨でも折って、自分で私のスティレットを打つ人間を不能にしかねない。いや、力が余って殺してしまうかもしれない」
何気なく物騒なことをさらっと表情も変えずに口にしている。
「いやいやいやいや、あなたが困ることって、それですか? さすがに俺もそんな簡単にやられませんよ。今年はうちがサッサイオーラで優勝するんだから」
アントーニオは肩をすくめた。優勝するという俺の言葉をまったく歯牙にもかけていない感じだった。
「うちも当然ながら連勝を狙っている」
「そちらのリオーネと当たらないことを祈りますけど、勝負は時の運ですからね……手加減はいりませんよ、真剣勝負でいきましょう」
……なんて余裕をかまして言ったことを、しかし、俺は試合当日に後悔した。
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