第5話 初めての朝帰り

 アントーニオの勧めるままに陰干ししたぶどうから作られた甘いデザートワインヴィン・サントまで飲んだ。

 が、それで終わりでなく、棚の中から薬草を漬け込んで作る食後酒のアマーロまで出てきた。かなり度数が高いが、薬草の成分のせいか、悪酔いすることはない。


 それを二人で飲みながら話は続いていた。


「そういえば、攻城兵器が好きだとかいう話……」


「ああ、あれは面白い。石だったり、何かを機械仕掛けで投げる。で、的、城壁だったりするけど、壊す。一投でどれだけ被害を与えられるか、どれだけ距離を伸ばせるか、精度を上げられるか、そういうのって面白いと思わないか?」


 それは子供が木でできた積み木を積んで城を作り、そこに別の積み木をぶつけ、いかに派手に壊すか。そんな子供が楽しむ遊びのような感覚だったのだ。


「職人ってのは、そういうものなのかな……」


「そうだな、街を落とす、城塞を落とす、戦いに勝つなんてことは本当のところどうでもいいんだ。でも、今ある機構の、例えば素材を変えるとか、少し大きさを調整するとか、形を変えるとか、なにかの工夫でどれだけ変わるのか、改良、改造をして今あるよりも優れた結果を出したいっていう感じかな」


 アントーニオは戦いに勝つことはどうでもいい、という発言に苦笑いをした。

 彼は戦いに出れば前線に立ち、軍の勝利のために尽力している立場だからそれも当然のことかもしれない。


「どうでもいいというのには複雑な気持ちになるが、まあ、戦いに出るだけが国のためになるわけじゃない。君の場合は、武器職人だしな。それで、この街で君は攻城兵器に何か関わっているのか?」


「実は言うと、時々、そっちの職人のところに手伝いに行っているんだ。まあ、今は平時だから、大してやることはないんだけど、組み立て作業を覚えたり、操作を練習もするし、古い文献を読んだりはしてる。今のところ、実戦になったら、工兵として駆り出される要員だろうけどね。最近は、郊外で工兵としての訓練で試し打ちしてるよ」


「しかし、バリスタあたりは、対重騎兵向けには使えるが、それ以外は最近は出番はないな。なかなかご近所との戦いで包囲戦まで持ち込むのは……」


「小競り合いで終わることは多いから、実戦ではなかなかね。聖地奪還の戦いにでも従軍すれば違うんだろうけど」


「まあまあまあ……」


 アントーニオはふざけて両手を広げた。度重なる十字軍で失敗が続き、十字軍に加わることが名誉であると考えるものの数は減っていた。ましてや、アントーニオには宗教的な情熱が欠如しているから、冗談にしか取られないだろう。


「いくら信仰心があったとしても、それは過ぎる。あんな地獄の泥沼みたいな場所……」


 俺もそう言ってはみたものの、そもそも、戦いそのものに自ら加わろうと思ったこともない。


「俺だって、命は惜しいしね。聖地で俺が捕虜になっても、身代金を払うものはいない。異教徒の奴隷にでもされるのが関の山だ」


「なら、君に聖地に行かれる前に、捕虜になるのを見越して、君を私が買うのはどうかな。それで、私専属の武器職人にでもするか」


 アントーニオはウィンクをしてみせた。もうそろそろ少しは慣れてきてはいるが、笑うととっつきにくい端正な顔が途端にチャーミングになる。

 そのギャップが激しい。


「ああ、いいね、好きに剣を打ちたい放題できるなら。日用品のメンテナンスの、鍋底の穴とか、欠けて切れなくなった包丁の直しとか、しばらく続くとさすがに悲しくなる。いや、生活に欠かせない家財道具を馬鹿にしてるわけじゃないよ。だけど、わざわざ武者修行までして身につけてきた鍛冶の技を全く使えないのもね」


 おどけて答える俺に、アントーニオはつられて笑った。


「じゃあ……ちょっとまってくれ」


 アントーニオは席から立って、応接室の方へ歩いていった。そして、外出から帰ってきたときに、応接室のソファーの上に置いた剣とスティレットのうち、スティレットの方を取って、それを持って戻ってきた。


「これなんだが……もちろん、どうやって使うかはわかってると思うが」


 スティレットは先の尖った細身の短剣だが、刃はない。鎧の隙間から刺殺するための武器として知られる。しかし、都市部での実戦では、盾がわりに敵の剣を受けたり、マントなどの衣類で動きを予測できないように隠し、片手の剣で戦いながら、隙をついて相手に致命傷を与えるために使われたりもする。

 時には暗殺用としてブーツの内側に隠して持ち歩く場合もある。

 また、武器としての用途だけでなく、外での食事の際に、食べ物を刺して食べる用途もあった。


「ブレーシアのものだね」


「ああ。これは騎士になった頃から使っていて、適当に見繕ったものをそのまま使い続けてきたんだが、そろそろ変えてもいいんじゃないかと思っていたんだ」


 アントーニオが騎士になった頃からとすると、10年近くは使い続けてきたと思われる。


 手渡されて、蝋燭の光の下で眺め、指で表面をなぞってみると、剣を受けたときにできたであろう傷が多数あり、先端も作られたときよりも摩耗しているように思われる。


「随分と使い込んできたみたいだ」


「それで命を救われたことは幾度とあるし、敵の命を奪ったことも何度もある。随分と助けられてきた相棒だな。ただ、そろそろ代替わりをしてもいい頃合いだ」


「そうだな、今、預かっている剣が終わったら、すぐに作業に入ることはできる」


「じゃあ、それで」


 ちょうどその時、大聖堂の鐘の音が響いてきた。

 大聖堂の鐘楼は、1時間おきに鐘がなる。ミサを知らせるだけでなく、時報代わりにもなっていて時の分だけ鐘が鳴る。


 アントーニオと俺は話を中断し、鐘の音を、数を数えながら聞いていた。


「十時か……」


 平日の日没後、食事を済ませると、照明用の油の節約のためにすぐに寝る人も多く、外は静まり返っていた。


「遅くなってしまったな。これから帰るには、少し物騒かもしれない」


 夜道は暗い。

 特に城壁内は防衛上の目的で入り組んだ細い路地が多く、夜には死角となる暗がりが多い。

 アントーニオの家の周辺は比較的安全な地区だが、俺の住む地区に隣接する地区は貧しい住民も多く、場末の飲み屋や宿屋もあるため、治安が悪い。

 アントーニオは立ち上がって、ドアの方に移動し、そこから階下に向かって大きな声で呼びかけた。


「ジェンマ!」


 階下から女の召使い返事の声があって、すぐに姿を見せた。

 女の召使いはジェンマというらしい。


「客間の用意をしてくれ」


「承知しました」


 召使いはすぐに上の階へと消えた。


 一階から三階は宮殿のようにやや広い建物で、一階は玄関ホールとキッチンと使用人の使う部屋があるようだ。

 今いるのが二階で応接間とダイニングがある。

 三階部分に書斎や客間があることが予想できた。

 塔の部分にも部屋があるのだろうが、一番安全な場所が主人の部屋であろうから、塔にアントーニオの私室があるのだろう。


 俺が何かを言う前に、アントーニオは手を振って俺の言葉を遮った。


「気にするな。君が帰宅途中で暴漢に襲われて、身ぐるみ剥がされてしまったら、後味が悪い。かと言って、用心棒として私が送って行ってもいいが、残念ながら用心棒の私の方を暗殺したいやつもいる。私への刺客から私は身を守れるが、うっかり君が死んだら洒落にならない。スティレットが出来るまで、生きていてほしいしな」


「あなたを殺したいなんて」


「ま、何人殺したかもう覚えてないが、復讐したいと恨んでいるものはいるだろうし、我が一族には敵も多い。夜道を一人で歩くのは、襲ってくださいと言っているようなものだ」


 食事に誘われたときにも断りにくかったが、これまた断りにくいものいいだった。


 それに、妙に他人事のように物騒なことをサラリと言う。


 アントーニオは不敗の騎士とか、負け知らずとか呼ばれ、戦いの場で活躍しているだけでなく、彼の一族の中で何か暴力で解決しなくてはいけない事件があったとき、一番最初に駆り出される立場にある。

 多くの恨みを買っているというのも事実であろう。


「なあに、たまーに、親のいないところで羽目を外したいと、兄や妹が泊まりにくるから、いつでも使えるように客間を用意しているんだ。ちょっと見るか?」


 アントーニオは召使いのジェンマの後を追って階段を上っていった。


 階段を上ったところにドアがいくつかあって、一番手前のドアが開いたままになっている。


 ろうそくの光の下で、ジェンマがベッドの上に上掛け代わりになるカバーを広げていた。

 部屋にはいってすぐにそれだけ部屋が整っているから、いつ客が泊まりに来ても大丈夫なように、常にシーツは張ってあるのだろう。


「ベッドはそこで、窓のそばに椅子と机があるだろう。ここにクローゼットもあるから、上着は後でかけておくといい」


 窓と言っても、小さな換気用の開口部で外が眺められるほどの大きさではない。


「今、俺が使ってる部屋より広いな……快適そうだ」


 アントーニオは俺の言葉を聞いて、満足気にうなずいた。


「それは良かった」



 結局、その後、更に数時間、酒を飲み交わしながらもよもやま話は続いた。


 しかし、翌朝、俺は仕事場に早く出る必要があったので、早い時間に起床した。

 その時、アントーニオはまだ彼の部屋で就寝中であったので、召使いに声をかけ、彼の家を後にした。


 大聖堂の前の広場では朝市が開かれるから、そこへと荷物を運ぶ人や、買い物客の人混みができていた。

 昨夜とは変わって、騒々しくなり始めた街の中を

 抜け、城門の近くの自宅まで坂道を下って戻った。


 我が家の玄関を入ったところ、待ち構えていたのか、すぐに入り口のそばの台所から母が出てきた。

 見ただけで興奮しているのがわかる。


「ジャンニ、まあ、あなたったら、朝帰りなんて、どれだけ心配したか!心配すぎて寝れなかったじゃないの!!」


「マッドンナ・サンタ!(マンマ・ミーアと似たような並びの言葉)どんな悲劇がまってるってんだ、大げさだな」


 詮索されるのが嫌で、何も言わずに服を着替えるために自室に向かおうとした。その後ろにピッタリと母はついてきて、小言が続いた。

 母の早口の興奮した声を聞き、ダイニングで朝食を取っていた父も廊下まで出てきた。

 父と母に廊下で挟まれる体勢になった。

 どうやら、追求からは逃げられなさそうだ。


「母さん、ジャンニだって、男なんだ。鍛冶場以外で、初めての朝帰りなんて、祝杯を上げてもいいんじゃないか? 大人になったもんだ。それで、夜の武勇を……」


「何いってんだよ、なに? 娼館にでも行ってきたと思ってるのか? そんなわけないだろ!」


「じゃあ、どこにいたんだ。恥ずかしがることはない、とうとう女に目覚めたんだ……嫁探しも近いか」


「負け知らずのアントーニオの家にいたんだよ」


 興味本位な好奇心から興奮気味にまくしたてようとしていた父が急に口をつぐんだ。


「いや、ちょっとまて、アントーニオって、剣の修理の?」


「ああ。見積もり持って行って、城塞の武器庫を見に行った後、夕食をごちそうになって、遅くなったから泊まった」


「いや、まて、その、お前、大丈夫だろうな」


「大丈夫ってなんだよ」


「いや、何もないならいいんだが……」


「何もないって?」


 父と母は顔を見合わせて、ひどく困惑した顔をした。

 気まずい空気がしばらく流れた後、


「あの人は、その……噂でな、女には興味がなくて、…男がその……。お前に言っておいたほうが良かったんだろうが……。あまり二人きりで親しくならないほうがいいかもしれないな……。妙な噂が広まりかねない」


 父のひどく言いづらそうな口調と表情から冗談を言っているようには思えなかった。


 そして、それまでのアントーニオとの会話を思い出して、そう言われてみると、それを匂わせるような言葉があったようにも思えた。


「そうだとしても……今のところ、彼はとても親切だし、別に変な振る舞いもないし、大丈夫だろう。それにスティレットの制作依頼を受けたんだ」


 制作依頼という言葉を俺から聞いて、そして、俺がその言葉を嬉しそうに言うものだから、アントーニオの性癖を心配していた両親は彼らの心配を杞憂だと思うようにしたようだった。


 父は笑顔に戻り、俺の肩を叩いた。


「そうか、身分のあるものから依頼を受けて制作するのは、この街に戻ってきてから初めてだったな。仕事に出るなら、着替えてから、朝食を取りに来るといい。俺もまだ朝食を終えてないから、ダイニングで話そう」


 父がアントーニオのことを男色の噂があると示唆したことで、俺は自室に戻るために階段を上がりながら、アントーニオとの会話を振り返らずにはいられなかった。




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