第4話 強さの理由

 武器庫の見学を終え、城塞を出ると陽は傾き始めていた。思ったよりも長い時間を武器庫で過ごしていたが、あと一時程で完全に日が落ちるような時間だった。


「良ければ、うちで夕餉を取ってゆかないか?」


 石畳の坂道を並んで歩いていたが、おもむろにアントーニオが口にした。


「お誘い頂いて嬉しいですが、それはさすがにずうずうしいかと……」


 知り合ったばかり、仕事の依頼をしてきた貴族の客に誘われるまま、食事に呼ばれるのは厚かましい行動に思われる。


「ああ、知ってるかどうかしらないが、私は独り身でね。このままだと、家に帰っても、一人で食事をすることになる。だから、食事の間の話し相手になってくれると、少しは食事がうまくなるんじゃないかと思ってね。大した料理はないが」


 そうまで言われると断りにくくなる。


「では、喜んでお邪魔します。ありがとうございます」


「……というか、歳もさほど変わらないのだから、そろそろ敬称はやめないか。名前で呼び合うので構わない」


「アントーニオ?」


「ああ、トーニオでもいいし。ジョヴァンニは、ジャンニ?」


「ですね。でも、トーニオ……あの家、宮殿に一人で住んでるんですか? 住んでいる?」


 まだ、敬語で話しているのに気がついて言い直す。敬語を聞いて、険しい顔をしたアントーニオは、俺が言い直したのでニッコリと笑った。

 真顔とは対照的で、一瞬であたりがぱっと明るく感じられるような魅力的な笑顔だった。


「俺以外は使用人がいるが、今日遣いに出した下男と、料理人と召使いが住み込みだな」


 アントーニオの両親は健在で、彼は一人っ子ではないので、兄弟がいるはずだった。彼らは別の宮殿に住んでいる。そのことは知っていたのだが、彼だけが別居していることをその日まで俺は知らなかったのだ。


「数年前に今の家の方へ、私だけが移ったんだ。一人のほうが気楽だろう?」


 俺が街に戻ってきてからまださほど日は経っていないから、そういう状況を俺は知らなかったのだ。彼は俺の反応を見て、何を考えているのかを察したらしい。


「気楽ではあるが、食事の時間はただ生きるための栄養を摂取しているだけの時間になって、味気ない」


「我が家は祖父と両親と弟と、食事の時間はにぎやかで、騒々しいくらいだから、対象的だ」


「まあ、親や兄弟と一緒でも、さほど会話が盛り上がるわけでもない……」


 その口ぶりと別居していることから、彼は家族とはあまりうまく行っていなさそうだな、と感じた。

 最初はややくだけた話し方に抵抗感はあったが、話してゆくうちに、少しずつそれにも慣れてきた。


 大聖堂の広場まで戻ってきたあたりで日没前のミサを終えて、大聖堂から人々が出てきた。そのまま立ち止まって雑談をするものもいたし、まっすぐに家へと向かう人々もいる。

 アントーニオと二人で彼の家の方向に広場を横切っていると、彼にも俺にも遠くから挨拶の声をかけてきたり、近寄り話しかけてくるものがいた。

 広場は社交の場でもあるから、そこで、後日、会う予定を決めたり、情報をやり取りするのは日常的なことであった。

 広場を抜けるまでの間に、俺の友人たちが何人も声をかけてきたので、アントーニオは広場から彼の家の方へ曲がる小道の手前で俺を待たなくてはいけなかった。

 ようやく最後の友人が離れて、俺はアントーニオに追いつくため、小走りに歩み寄った。


「友人が多いのだな」


 アントーニオはマントの埃を気にしたように、腕のあたりを払いながら、伏し目がちに声をかけてきた。なぜだか、その言葉に棘を感じたが、表情は見えない。

 彼が歩き始めたので後を追った。


 彼の家に入ると、まっすぐに、先程、案内された応接室に続いているダイニングに行く。

 ダイニングと言っても、大人数をもてなすような広さではなく、質素な家具が備えられているだけで、装飾品などはない無機質な空間だった。確かにその部屋で一人で食事をするのは寂しいかもしれない。


 部屋の中のダイニングテーブルの上には、すぐに食事が始められるようにカゴに入ったパンやチーズやサラミが置かれている。


 俺たちが席につくと、中年女性の召使いがお盆にあたたかいスープの入った皿を乗せて入ってきた。

 眼の前に置かれたスープは野菜や豆の入ったものだった。


 貴族とは言っても、毎日、贅沢な食事をしているわけではなく、庶民が食すようなものが並んでいた。

 週末には一族が集まって贅沢な食事を囲むのだろうが、普段は簡素な食事で済ませのだろう。特に、アントーニオの場合は独身の一人住まいだ。


 召使いは皿を置き終わると部屋を出ていったが、部屋が無機質なのと同じくらいに、そっけなく、空気のように存在感がない。

 下男も無口な方だったが、どういう選択でそういう召使いをそばに置いているのだろう、と、少し不思議に思った。


「じゃあ、頂くか」


 と、アントーニオが声をかけた。


「天にまします我らの父よ、願わくは御名をあがめさせたまえ……」


 俺はごくごく当たり前に、目を閉じ、手を組んで、食事の前の祈りを捧げ始めたが、アントーニオの反応がないどころか、目を開けて彼を見ると、ぎょっとしたような表情をしているのに気がついた。

 なので、残りを急いで唱える。


「…アーメン」


「アーメン」


 最後だけとってつけたように、声を合わせてきた。俺は十字を切って、食事を始めた。

 俺の家では食事の前に祈ることは自然な流れだったが、彼はそうではないのだろう。

 そんなことをスープを口に運びながら考える。味は悪くなかった。


 アントーニオはテーブルに乗っている大きなパンを引き寄せ、ナイフでそれをざっくりとスライスした。それを俺の方に渡してくる。


「それで、一人暮らしは寂しくはないのか?」


 パンを受け取りながら、先程から浮かんでいた疑問を口にする。


「一人でいることは嫌いではないし、気楽だ。ただ、時々、食事をしながら誰かと話をしたいときもある」


 聞いて良いのかどうか、少し迷いつつ、口に出す。


「あなたの家だったら、家と家との関係を作るために誰かとの婚姻が求められるんじゃないかな。奥方ができたら、少しは変わるんじゃ?」


「あははは…」


 と、乾いた笑い声を上げ、アントーニオは片手で目のあたりを覆った。笑い声がしばらく続き、肩が小刻みに震えている。


「私は、独身主義者なんだよ。次男で、家を継がなくてもいいしね。そもそも、本家ではないから、そんなには縛りがあるわけじゃない」


「でも、例えば、子供がほしいとか、自分の家族がほしいとかはないのか?」


「私の血を残すことに意味があるとは思っていないものだから、私の血を引いた子供なんておぞましいとすら思うよ」


 アントーニオは目の上を覆っていた手の指を広げて、指の間から俺の顔を見る。その瞳は楽しそうに笑っていた。楽しそうではあったが、自分自身を皮肉っぽく笑い飛ばしているのがわかった。


「そうかな……あなたの子供だったら、剣の才能がありそうだし、頭も良くて、ハンサムだろうに」


 うへぇと声を上げて、彼は気持ち悪いとつぶやいた。


「不敗の騎士と言われてるあなただったら、花嫁候補者は掃いて捨てるほどいるだろうし、結婚の圧がありそうだな……」


「だから、不敗なんだよ」


「?」


「独身が許されるには、誰にも脅かされることのない、自由を許される強さが必要なんだ。私が自由であるためには、力が必要だ。弱いということは、強いものに支配され、自由が許されない人生を強いられるのだから。私が多少のわがままを言っても、それが許されるほどの存在理由があればいい。私が私であることを妨げると言うなら、傭兵として、どこかに行ってしまうと脅すことができれば良い」


「脅すって……。それで不敗であるって、誰もがそんな才能を持っているわけじゃない」


「そうかもしれないが、力を得るために、私はなんでもしてきた。私の努力が報われたとも言えるんだろう」


 アントーニオはスープを飲み終わったので、サラミを手に取った。外側の薄皮をむいて、カッティングボードの上でそれをスライスした。それから、そのカッティングボードごと、俺の前にそれを押し出した。


「イノシシのサラミだ。そういえば、ワインを出してなかったな。悪かった」


 彼は立ち上がって、彼の後ろのキャビネットの上に置いてある瓶とグラスを取った。

 グラスに瓶からワインを注いで、俺に手渡す。

 軽くグラス同士を触れ合わせて乾杯してから、口に含むと、まだ若いワインだったが、俺の家で普段飲んでいるワインよりも遥かにうまかった。


「これはおいしい!」


「うちの荘園の赤ワインだが、サラミやチーズとよく合う。さっき切ったサラミを食べてから、ワインを飲んでみると良い」


 アントーニオは上機嫌に、今度は、ホールの山羊のチーズペコリーノチーズを切り分けて、俺の前のカッティングボードの上に、サラミと一緒に並べた。


「イノシシは私が狩って、荘園のものがサラミにしたんだ。サラミの次は、チーズを試してみると良い」


「戦いだけでなく、狩りも才能があるのか……」


 イノシシなど、ジビエは貴族だけが狩ることを許されているので、庶民の食べ物ではない。それが食卓に当たり前にあるのが、彼の身分をあらわしている。 

 一方のチーズは、庶民の食べ物であり、あまり地位のある貴族は食べない。

 チーズをかじって、ワインを口に含む。ワインの味が変化し、花のような香料のような良い匂いに変化していた。


「まあ、狩りは戦いのシュミレーションみたいなものだからな。で、君はどうなんだ?」


「え、何がどうだって?」


「職人の家だから、技を継ぐ子孫を残すことを求められるんじゃないのか?君だって、安定した収入の職人として女にとっては良い結婚相手だろうから、引く手あまただろう」


「俺はまだ結婚は考えていないし、そもそも、家業は弟に譲って、継いでもらおうと思っている。そのうち、技術を磨くために旅をしてみたいと思いもするし、そうなると嫁さんをもらうのは面倒だと思ってしまうんだ」


「へぇ~」


 アントーニオはワインが空いた俺のグラスに赤ワインを注ぎ、自分のグラスも満たした。俺がそれを美味しそうに飲むのを見て、彼は自分のグラスを揺らしながら、中の赤い液体を覗き込むようにしてじっと眺めていた。

 少し沈黙が続いたあと、不意に立ち上がった。


「確か、棚の中に菓子が入っていたな。デザート・ワインヴィン・サントもあるからいるか?」


 アントーニオは俺の返事を聞かずに、棚の中から菓子の乗った皿を出してきた。


「ああ、遠慮しないでくれ。先日、母が押し付けていったんだ。パン・ペパートっていうらしいが、私はあまり甘いものは食べないから、持て余していたんだ」


 それもナイフで切り分けて、俺の方によこしてくる。


「なんでも、どこかの修道院で作っているのを仕入れてきたらしいが、東方のスパイスを使っているのでかなり高い贅沢品らしい……私はフルーツを食べているほうがいいし、これはあまり好きじゃない」


 菓子は黒っぽいが、胡椒をはじめとする不思議なスパイスの味と香りがする以外に、俺がわかる範囲で小麦粉、砂糖漬けの果物、蜂蜜、干しイチジク、くるみや松の実などのナッツを加えたもののようだった。形は小さなパンのようで、少し硬い。


「そんな貴重なものを……」


「しかし、私は食べないから、食べたいものが食べるのが一番いい」


 がっついて食べるのがはばかられ、遠慮がちに食べている俺を、アントーニオはテーブルの上に肘をついて、笑いながら見ていた。

 パン、サラミ、チーズと彼自身が切り分けて提供し、スープやワインも出され、貴重なデザートまで出てきたこと、それが、ふと、俺には彼に餌付けされているような、うまく懐柔されようとしているような、そんな気分にさせた。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る