第3話 武器庫にて。
アントーニオの剣のメンテナンスを引き受けたのは良いが、彼の手には合わず、そして傷んだ柄の部分をどう作り変えるのかは素材や造りをどうするのか決める必要があった。
それによって報酬額は変わるし、材料の手配の問題もあった。
そのため、翌朝までにはいくつかのプランを用意していた。
アントーニオから使いが来るということだったが、翌日の朝に彼の屋敷で働く下男がやってきて、午後にアントーニオの屋敷を訪問するように言付けを残していった。
街は標高六百メートルほどの高さの丘の上に作られていて、城壁に囲まれているが、最も高い地点には城塞が、その下に街の大聖堂やプリオリ宮(政庁舎)があり、その前には街の政治経済社交の場でもある広場がある。
その周辺は支配者階級が多く住む区画だった。
俺の家は城壁に近い地区にあり、どちらかというと商人や職人が多く住んでいる。
午後、昼食後に少し休んでから、家を出た。
そこから細い迷路のような坂の多い道をたどり、アントーニオの住む地区に向かう。
彼の屋敷は街の中心の広場から脇道に入ったところにあった。
塔を備えた石造りの小さな宮殿で、その区画には、他にも彼の一族が塔のある家に住んでいる。
非常時には一族の塔と塔の間に橋を渡して、その橋を通路にして行き来したり、敵に対して攻撃するための足場にする。塔を建設するには金がかかる。そのため、塔を持つ家に住むというのは権力と富を表すステータスシンボルでもあった。
入り口の木の扉のドアノッカーを叩くと、少しして、朝方、俺の家に遣いとしてやってきた下男がドアを開けた。
そのまま中に招かれる。
中に入ってみると、表から見えるよりも広さがある。塔の階段を上って、上の階へ上がってゆくと、応接間であろう部屋があった。
応接間には暖炉やソファーが置かれ、壁には肖像画が飾られている。
続きの部屋にダイニングがあるようで、入り口からテーブルや椅子が見えている。
応接間に入ってゆくと、上の階からアントーニオが降りてきた。おそらく上の階に書斎や寝室といった私的な空間があるのだろう。
彼は着ていたシャツの紐を結んでいないので、かなりくだけた雰囲気だった。
それでも、家の中にいるというのに腰には革ベルトがあって、武器を帯びていた。体側面に片手剣、背中に近い位置にスティレット(先の尖った細身の短剣)があった。
「挨拶は良い。よく来たな、とりあえず、そこに座ってくれ」
指し示されたソファーに座り、持ってきたメモを出して、目の前のテーブルに並べた。
「仕事が早いね。いいことだ」
彼は顎に手を当てながら並べられた剣の柄のプランをざっと眺めた。
「いくつか考えたので、説明を……」
「これでいい」
説明を始めようと構えたところで、言葉を遮られたが、彼はテーブルの上に並べた紙の上から一枚を拾い上げて手渡してきた。
「は?」
「説明を聞かなくてもいい。これでいい。じゃ、行こうか」
座ったばかりなのに、説明もなくすぐに決まったことにあっけに取られ、アントーニオを見上げた。
部屋の入り口に近いソファーにマントが置かれていて、彼はそれをさっさと身につけた。ちょうど、マントでスティレットが隠れる長さだった。武器を帯びていたのは、すぐに出かけることを見越してのことだったのだろう。そんなことを確認しながら、部屋を出ようとする彼の後を追う。
「ちょっと待って欲しい。そんな決め方で……」
「ちゃんと見たよ。それでいい。で、武器庫に行くんだろう?城の方には許可を得ている」
屋敷を出て、さっさと城塞の方へと歩き出すアントーニオの後を追った。
「それで、君はミラノの方で修行をしたのだっけ?」
唐突に話題を振られ、誰からそれを聞いたのだろうと思いながらも頷く。
「ええ……」
「私は行ったことがないんだが、どんなところかな」
城塞に向かう途上、ミラノの話題と俺の修行時代の話が続いた。
城塞にやってくると、衛兵が武器庫へと先導して案内した。前もって話はついているらしく、スムーズに奥へと導かれる。
武器庫の扉を開けて中に入ると、多種多様な武器が種類ごとに分類されて並べられていた。
「槍や斧や鈍器類、弩、剣類、あっちの部屋には防具の類も揃ってるが、切断系の武器が好きなんだろう?剣や短剣は表に出ているもの以外にも棚の中にしまわれているものもある。開けてやろう」
入口近くにある槍の列を見て目をキラキラさせている俺を見て、アントーニオは先に立って剣の並ぶ一角に先に立って歩いていった。
そして、棚の扉を開けた。
俺が遠慮してためらっているのを見て、促すためにそうしたのだった。
外側には特色のないよくある感じの剣がいくつもあったが、棚の中には儀式目的のものや名のある職人の手による剣が納められていた。
「おお~」
などと感嘆の声を上げて、興奮気味の俺の横に立って
「出して、手にとって見てもいいんだぞ」
とアントーニオは笑いながら言う。
俺は剣を取り出して、隅から隅まで触れたり、角度を変えて眺めたり、構え、振ってみたりした。
アントーニオは壁の方へ移動して、壁に寄りかかって俺がしばらくぶつぶつ言いながら剣を棚から出したり入れたりしているのを眺めていた。
「それで、剣好きというのはわかったが、親父さんの助手をするだけで、自分では剣を打たないのか?まだ、助手のままなのか?」
「いや、ミラノの工房でマエストロとして独り立ちを認められている。ただ、こちらに戻ってきて、さほど経ってないし、父の方がここでは認められているからね。若い私に依頼をするものがまだいないんだ。それに……」
アントーニオは顎のあたりを撫でながら、何かを考えているみたいだった。少し間があってから
「それに?」
「剣を打つのは好きだけれど、少し前から攻城兵器に興味があって……鍛冶師とはジャンルは違うんだろうけれど……」
「攻城兵器に?」
俺は手にしていた剣を置いた。その先を話して良いのか、言いにくさを感じていた。
「ミラノで
「それで?」
「その後、トラブッコ(トレビュシェット)とか、カタプルタ(カタパルト)みたいな兵器は面白そうだから。なんかこう、重いものを投げて、城壁を壊すとかっていいなぁって。何か頑丈なものを壊すってワクワクするっていうか。木工職人の仕事なんだろうけれど、攻城兵器を作っている職人を手伝ったり、彼らに勧められて、ローマで使われていた攻城兵器に関する本のデ・レバス・ベリシスを読んだり、文献を色々と調べたりもしたしね……」
アントーニオは俺の言葉を半分くらい聞いたところで、寄りかかっていた壁から体を離したが、デ・レバス・ベリシスと聞いて、目を丸くした。
どうやら彼もその本を知っているらしい。
本は希少なものであったし、多くの場合、文字を読めるものは特権的な階級のものだけに限られていた。そんな中で、専門技術を記録した本や、評価が高い技術書を持つ工房や、教会の蔵書の中にあるときもあった。
俺はミラノではそんな工房に出入りをしていたのだった。
「ラテン語がわかるのか?」
「あーいや、わかるっていうほどじゃないんだけど。いつも行ってる教会の司祭に頼んで訳して貰ったんだ」
教会、と、聞いて、ほんの一瞬、アントーニオは苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「ラテン語の翻訳を頼めるほど、教会の司祭と親しいのか?」
国の内部で、ギベッリーニ(皇帝派)とグエルフィ(教皇派)に分かれて権力争いをしていて、今はギベッリーニのアントーニオの一族が強い力をもっている。
彼の一族は、ギベッリーニだから、俺が教会の司祭と親しいのは不快と感じるのだろうか?と俺は単純に考えた。
「普通にミサには出るし、告解もするし、信徒としての付き合いで親しくなったんだけれど」
「へぇ……なるほどね……」
アントーニオは背中を向けて、槍の並んでいる棚のところに歩いて行った。その中の槍を触れながら選ぶような素振りで確かめていたが、そうしていると背中しか見えなくて、どんな表情をしているかはわからない。
「敬虔な信者なのだな。私は教会は居心地が悪くてね。……もう七、八年、一族の義務として必要に迫られてゆく以外は、教会に行っていないな……」
「私的に教会にはあまりゆかないというのは、そんなに珍しくはないかもしれない。でも、祈ったりはしないのか?」
「私は自分の道は自分の力で切り開くものだと思っているし、神頼みは好きじゃない。それに、俺はきっと地獄に堕ちるだろうから、生きている間に自分の思うように生きるだけだ」
時々、アントーニオが自虐的に話すことにはその時には気がついてたが、その時の俺は、その言葉を、アントーニオがたくさんの人間を殺したせいだからだろうと想像した。
が、彼が匂わせたのはもっと別のことだったと、後からこの時のことを振り返り、思ったのだった。
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