第2話 不敗の騎士との出逢い
父の助手として城の鍛冶場で働き始めて、仕事にも馴染んできた頃のことだった。
その日は父と俺は貴族から依頼された長剣を納品したばかりだった。
次の作業までの合間で手が空いていたので、作業スペースの掃除と整理をすることになった。
父は作業に使う道具をチェックし、手入れし、俺は作業場を掃除して次の作業に必要な材料や消耗品を補充する作業をしていた。
鍛冶場は高温で作業する環境であるから、火災を防ぐために、城壁外に設けられている。
職人は刀剣よりの武器職人である父と俺以外にも、防具を作る職人と助手、見習いが他に4名いる。
全員が常に武器や防具を作っているわけではなく、手すきのときには依頼次第で農機具やナイフやハサミのような道具類、鍋やカップや皿のような日用品も制作していた。そうした日用品の制作で受け取る工賃が領主からの収入以外のエクストラの収入だった。
俺たちの隣のスペースでは、そうした依頼を受けた別の鍛冶師が、穴の空いた古鍋の修理をしていたり、農機具の鋤の制作をしていたので、金属を打つ音が規則正しく絶え間なく響いてもいた
炉はいくつかあるが、俺たちが掃除している炉以外にも火が入っており、作業場は高温になっていた。
俺は朝から高温の炉が稼働している鍛冶場のなかで片付けをしていたので、滝のような汗をかいていた。シャツが肌に張り付き、ベタベタとしてきて気持ちが悪いので、人目もはばからず着ていたシャツを脱ぎすて、上半身裸で作業を続けていた。
気心のしれた男ばかりの職場だし、周囲には民家はない環境であったから、人目は意識していなかった。
重い石炭の詰まった袋を運び込み、定められた保管場所に置いたあと、途中で袋からこぼれ落ちた石炭を拾っていたところで、誰かにじっと見られているような気がした。
本能的に振り返ると、鍛冶場の入り口に男が立って、俺の方を見ていた。
それもただ見ているという感じよりも、上半身裸の俺の体を品定めするように眺めている、そんな感じに思えた。
その男と目が合った。
目が合った時に、目をそらすことができず、見つめ合うが、心の内側、奥底まで見透かされているように感じた。その不躾な目線に、かすかな動揺が走る。
「どこかでこの男に逢ったことがあっただろうか?」
そんなことを思ったが、もしも一度でも会っていたならば、男の存在感は圧倒的でそれを覚えていないことなどありえないだろう。
父も男の存在に気がついて、作業を中断して、入り口の方、男へと歩み寄った。男も鍛冶場の中へ数歩踏み込んだ。
そのおかげで今まで逆光だった容貌が見えるようになったが、整った男らしい顔立ちで、年齢的に俺よりも数歳上の若さに見えた。
おそらく貴族で、俺たちよりも立場が上なのだろうが、手を差し出して、父と握手をしようとした。が、父は両手を振って、一歩下がった。
「お久しぶりです。片付けをしている最中でして、手がとんでもなく汚れているんで、握手は遠慮させていただきます」
そう言うのが聞こえた。
次いで、父は軽く片膝を折って、珍しく貴族風の挨拶で返した。
一つうなずいて、男は笑った。
男の真顔では冷ややかで近づきにくい印象は、その笑顔一つで人の視線を奪い、魅了するような不思議なカリスマ性を感じさせる。
服は清潔感が漂い、乱れがなく、上質で、ある程度の身分であるのは一見してわかる。白いゆったりとしたシャツの上ピッタリとしたパンツ、その上に黒い上着を着て、腰には革のベルトを締めてそこに長剣を帯びている。
ブルネットの髪は短く、ひげはない。背は高く、体を鍛えているのか余分な肉はなく、筋肉質であるのが服の上からもわかった。
歩き方や身ごなしには迷いも無駄もなく、優雅でもあり、それを見るだけで騎士階級以上なのは見て取れる。
男は父に向かって何かを話しかけているが、腰に帯びていた剣を出して、それを作業台の上に乗せた。
剣のことで何かを依頼するために来たのだろう。
俺は男が剣を出してきた段階で、好奇心がむくむくと湧き上がっていたが、男と父の様子を横目に観察し続けた。
父は男から話を少し聞いてから、出された剣を見て、すぐに俺の方を指さして何かを言った。
自分が何か話に上がったことで、初めて俺は二人の方へ歩み寄った。
というより、俺は男より、男が台の上に置いた剣が気になって気になって仕方がなかったのだった。
その剣はパッと見で名工が制作したものののようだった。長さも形も優雅でありながら、兵器としての機能を十分に発揮できるような無駄のない美しさがあった。だが、剣には歪みと刃毀れがあった。
「やあ、君がジョヴァンニかな、君の父君から君に私の剣を見てもらうように言われたんだが、私はアントーニオだ」
男は俺の前までやってくると声をかけながら、片手を出そうとして、先程の父との会話を思い出したのか、そして、俺の手を見て、笑いながらその手をおろした。
俺は剣の方ばかりを見ていたが、慌てて父がやったように挨拶を交わす。
かがんだ後に、目線を上げ、その時に男の顔を初めて正面から間近に見た。
鼻筋の通った整った顔立ちで、いわゆるギリシャ鼻というやつだった。眉は筆で描いたように美しく、黒い瞳は自信に満ちて輝いている。歯並びは良く、口元が魅力的で、男らしいセクシーさのある容姿だった。
アントーニオと私が話を始めたのを見て、父は彼への応対を俺に任せ、先程までの作業に戻っていった。
「良い剣ですね。手にとっても?」
「かまわない。そもそもそれを手入れしたくて持ってきたのだから」
最初に心の中を覗かれるような感覚を覚えた、それはその時も変わっていなかった。正直に言えば、理由は分からないが、目を合わせることを怖いと感じる。
正体不明の恐怖心を隠しながら、台の上の剣を取り上げた。
剣を実際に取ってみると、すぐにアントーニオに対する恐れの感覚は消え、目の前の剣に対する興味がむくむくと持ち上がってきた。
剣を動かしながら顔を近づけて全体を詳細に見る。それから剣の柄に近い部分に銘印が入っているのを、読み取る。
「ドイツのものか……」
「かなり前に下賜されたんだが……先日少しばかり酷使してしまってね。歪みをなんとかしてほしい。それと、じつはいうと柄の部分が微妙に手に合わない。前の持ち主が小柄だったみたいでね。柄のしつらえの問題なんだが、なんとかできないかと思ったんだが」
「なるほど、ちょっといいですか」
俺は剣を持って鍛冶場から外に出た。そこで剣を構え、実際にそれでいくつかの型を試して使い勝手を確認した。
「おや、君は剣術もできるのか?」
「作る以上はそれを扱えなくては、使う立場に立った剣は作れないですからね。自分の身を守る程度の訓練はしてますよ」
「ふうーん」
アントーニオの目は俺の剣の腕前を見ているようで、その実、服を脱いで上半身裸になっている俺の体を見ているような気がした。そのせいで妙な居心地の悪さを感じる。そもそも人前で裸を晒すのは恥と思われるような社会だから、上半身裸で貴族の前でうろついている自分が悪い。。
だが、シャツは鍛冶場の中に脱ぎ捨てているから今更だ。気にせず、もうしばらく剣を振った。
「どんなに俺が訓練しているとしても、あなたほどの腕ではないと思いますけど」
「まあ、それは当然だな」
驚くべきほど素直な傲慢さで笑いながら同意をされたので、一瞬あっけに取られたが、納得もした。
俺はアントーニオとは出逢ったことはなかったが、彼を知っていた。
最初に彼の身なりや持ち物、そして、父の様子を見たときから、彼がこの街を支配している一族に属しているか、その重鎮であろうというのは想像がついていた。しかし、名前を名乗ったときに、その名をもつその年頃の人間は一人しかいないがため、彼が誰であるかを即座に理解していたのだ。
この街を支配している一族の傍流にあたるが、騎士として現在の
彼の自信に満ちた振る舞いはその実力を背景に自然に身についたものだったのだ。
そして、私は彼が名を上げたこの十年ほど、修行のためにミラノに出ていたから、彼のことを直接知る機会はなかった。
しばらく剣を振った後、アントーニオに手渡して、同じように剣を振るうところを見せるように目配せする。彼はそれを自分の体の一部であるかのように攻撃の型を見せた。空を斬る音がかすかに響くが、その流れるような素早い動きを見るだけで、かなりの手練であることがわかった。
都市国家間の戦争やちょっとした小競り合いはしょっちゅうだから、騎士が戦いで人を殺すのはよくあることではあったが、ふと彼の瞳の奥の暗さを思い出して、「この人はどれだけ人を殺してきたのだろうか?」と思った。
そんな疑問を飲み込んで、自分の仕事を思い出す。
「手に合わないと言っていたか……具体的にはどんな風に?」
彼は私の方へ歩み寄って、近い距離で持ち手の部分とそれを握る自分の手を見せながら説明を始めた。
それで、鍛冶場の中にそのまま二人で歩いて入って、作業台の上でメモをしながら、剣や彼の手の長さをあちこち測った。
「片付けが終わったら、剣の刀身の部分の作業はすぐに入れますが、柄の部分は希望によって納期が変わるかな……。この柄のここ、木材で作られていて、傷んでるし、いくつか案を考えてみたいな」
メモをしている間に、名工の手になる剣をこれからしばらく思う存分触りたい放題にあるという事実が嬉しくて満面の笑みになっていた。そして、現在の手に合わないというしつらえをどんな風にするのか想いを巡らせ始めていた。それで、アントーニオの顔を見ず、剣ばかりを見ていた。
「君はよほど剣がすきなんだな。報酬の話が全く出ない」
笑いを含んだその言葉でようやく依頼主の方に目を向ける。
「あなたが踏み倒すとは思えませんし。それに剣というのは芸術、だと思うんですよね。そうですね、きれいな美しい奥方を持った人は奥方をかわいがって、きれいな宝石や衣装で飾りたいと思うかもしれない。俺にとっては、そんな感じかも?」
「へえ、きれいな女が好きなのか?」
やや冷ややかな言葉に違和感を覚えたが
「まだ妻帯しようと思いませんし、女より剣の方がいいですね。剣は裏切らないですからね」
「裏切る、ね」
<この人妙につっかかるな>と思いながらも、言葉を続けた。
「剣っていう道具は、美しいだけじゃなくて、剣としての機能も備えているところがが最高ですよ。例えば、この剣で言えば、非常に洗練されたこのライン、目的を一撃で果たせそうな重みや鋭さ。戦いのなかで、身を守るための一番の相棒じゃないですか。これも傷みのせいで鈍くなっているけれど、手入れしたら輝きを取り戻そうだし……」
剣に対する想いを熱く語り始めたのに、アントーニオは苦笑した。
「私より、剣の方が君にとっては魅力的なわけだというのはわかったよ。それで、君は、私の一族の武器庫を見たことがある?」
多分、人に好かれるとか、敬われるとか、注目を浴びることに慣れている人なのだろう、自信家だな、と思った。
「残念ながら…まだ」
「そんなに好きなら、今度見に来るか?案内するが」
「えっ?」
「剣だけに限らず、さまざまな武器のコレクションがある。君なら楽しめるだろう」
武器庫には各地の名工が作った武器も納められていると言われていて、父ですら数えるほどしか入ったことがない。
俺のテンションが上がったのを見て、アントーニオはくくっと声を出して笑った。
「噂には聞いているけれど、それはすごい…。でも…いいんですか?」
「わかりやすいやつだな。実戦で成果をあげているのは私だから、私のすることはなんでも大目に見られているし、武器庫に入るくらいは問題ない」
アントーニオは鍛冶場の入り口の方へ踵を返した。
「なんせ、私の性癖すらも許されているのだから……」
つぶやく声が聞こえなくて聞き返す。
「なにか?」
「いや、なんでもない。そろそろ一族の会議があるから帰るよ。剣のことと報酬をまだ決めていないから、それと武器庫の見学のために、後で会いに来てくれ。使いを送る」
父も手を止めて、俺と一緒にアントーニオを鍛冶場の入り口まで見送った。
それが後に軍の司令官へと昇進する不敗の騎士アントーニオと俺との出会いだった。
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