第7話 「後悔の沼」

 ブランドンに連れられて本邸の応接室にやってきたレイチェルにチェイスが言った。「レイチェル、紹介する。こちらはエンディコット公爵だ。お前の話を聞きたいと言っている」


「エンディコット公爵閣下、お初にお目にかかります。クラリス様の侍女をしております、レイチェル・ハーグッドでございます。私に何をお聞きになりたいのでしょうか」レイチェルは、棘のある言い方にならないよう、気をつけたつもりだが、声に怒りが滲み出てしまったようだと思った。


「娘が虐待されていたと聞いた。それは事実か?」ノースウッドはレイチェルの態度から、その答えがイエスであることを確信し青ざめた。


「エンディコット公爵閣下が使用人に命令して、鞭を打たせたのだとクラリス様から伺いました」


「私は断じてそのような命令をしていない。娘を嫌ってなどいない。あの子は無事なのだろうか」責めるように言われたその言葉に、ノースウッドは身に覚えがなく戸惑った。


 ノースウッドの娘を心配するような態度をレイチェルは訝しんだ。これが演技だとしたら、ノースウッドは役者にでもなったほうがいい。


「クラリス様は身体中に傷跡があります。母を殺して生まれてきたクラリス様には、悪魔が取り憑いているから祓わなければならないと、毎日、足枷をはめられ鞭で打たれ水をかけられたのだと仰っていました。毎日が地獄だったと涙を流されておいででした」ノースウッドに、冷ややかな視線を向けたレイチェルの声は冷静だった。


「——私はあの子を悪魔憑きだと言ったことはない、使用人があの子を虐待する理由などないはずだ!なのに、虐待したというのか」ノースウッドは拳を白くなるまで握りしめ、激しい怒りに震えた。


「父親に愛されたことが無いと仰っていました。父親が娘を疎んでいたことで、使用人を助長してしまったのではないですか?」レイチェルが言った。


「私は愛している……娘を愛している」ノースウッドは何故か、この年若い女性に信じてもらわなければ、クラリスに二度と会えない気がした。


「会話をしたことは一度もなかったそうですが?それで愛していると?毎年、誕生日には嫌がらせのように宝石を贈りつけていたそうですね」言葉使いを気にする段階は終わったとレイチェルは思った。冷静だったレイチェルの声が稲妻のごとく怒りを帯びた。


 愛しているなどと、どの口が言うのだろうかと沸々と怒りが湧いてきてしまったせいだ。


「嫌がらせなどしていない、執事に誕生日プレゼントを用意するよう指示を出していただけだ」


「誕生日にそれだけですか?」レイチェルは呆れ返った。「クラリス様は金属アレルギーです。金属が肌に触れると肌がただれれてしまうのです。それなのに、貴方方は無知を晒すかのごとく、悪魔が取り憑いているせいだと言いクラリス様を責めた。嫁いできた時、クラリス様はアクセサリーを持っていませんでしたから、公爵様が執事に言いつけて買わせた宝石は、いったいどこへ消えたのでしょうね」


「レイチェル、少し態度を和らげてくれないか」子爵令嬢とは思えないほど気の強いレイチェルが、公爵とは思えないほど落ち着かない様子のノースウッドに、殴りかかるのではと心配したチェイスが言った。


「失礼しました。クラリス様が苦しんでいた間、閣下はいったいどこで何をしていたのかと思うと少々腹が立ちました。公爵閣下、奥様を亡くされたことには同情いたします。クラリス様の誕生日を素直に祝えない心境もお察しいたします。しかし、生まれてきた子供に罪はありません。誕生日に何が欲しいのか娘に聞きもせず、執事にプレゼントを用意するよう指示を出すだけ、それを愛とは呼びません。それはただの義務です。普通の親は娘に誕生日おめでとうと言い、娘を抱き上げて頬にキスするのです」


 商才はないが、親としての愛情は時に鬱陶しいと感じるほどたっぷりとある父に育てられたレイチェルは、ノースウッドの愛情の示し方に納得がいかず一息に捲し立てた。


 ノースウッドは尤もな意見に項垂れた。「私は……妻に似てしまった娘を直視できなかった。娘を見るたびにアビゲイルのことが思い出されて悲しかったのだ。だから娘に背を向けてしまった。これではいけないと分かってはいたが、最愛の妻を亡くした悲しみから抜け出せなかったのだ」ノースウッドは縋るような目でレイチェルを見た。「娘の誤解を解きたい。今更何をと思うかもしれないが、私が話をしたがっていると伝えてくれないか」


「お断りします。意地悪で言っているのではありません。クラリス様は公爵閣下の名前を聞くだけで取り乱してしまいます。なので、現状会うことは不可能だと存じます」


 使用人の暴虐に気が付かず、娘を放置していたノースウッドに腹は立つが、この数分で10歳は老けてしまったのでは?と思うほどの後悔に苛まれている彼を、レイチェルはほんの少しだけ気の毒に思った。もし妻が出産で命を落としていなければ、幸せな家庭になったはずだ。


「先ずはお手紙から始められてはいかがですか?それで、クラリス様が公爵閣下に会いたいと言うまで根気よく待つのです」


「分かった。手紙を書く」一縷の望みをかけてノースウッドは言った。

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