デコレーション、コミュニケーション
「あの子…あたしのお友達。エリザって言うんだけど」
女将の知恵を貸りて焼きあげたケーキは、エリザの家で食べたケーキとそっくりだった。初めてあの子の家に遊びに行った時の、思い出の味。思えば、彼女が好物だって言ったこのフルーツとクリームのケーキのことも、あの時に知ったように思う。
マチルダは見た目よりも重たい泡立て器の扱いに悪戦苦闘しつつ、いつも自分に微笑みかけてくれるエリザの顔を思い浮かべた。アメリはするするとオレンジの皮を剥きながら、うん、と優しく頷く。
「エリザは、あたしの初めてのお友達なの。小学校じゃまるで友達なんかできなかったし」
「あら、そうなの?意外だわ、こんなに素敵な女の子なのに」
「そうよ、もちろんあたしは素敵な女の子よ!…この強がりの見栄っ張りさえなかったらね」
たくさんの人に囲まれる学校生活の中で、緊張していたせいもあるかもしれない。小学生の頃のマチルダはいつだってしかめっ面をしていて、クラスメイトから怖がられていた。『氷の女王』なんて不名誉なあだ名をつけられて、勝手に遠避けられたことを、自分のせいだなんて思いたくなくて。何とかして周りに打ち解けようとも思わなかったし、変わる努力もしなかった。
中学に上がったところで、急に性格が変えられるわけでもなく、マチルダは友達作りをとっくに諦めていたつもりだった。偶然隣の席になったエリザが話しかけてくれるまでは。
「でも、エリザはあたしのことを知ろうとしてくれた。はじめっから印象だけで決めつけるんじゃなくて、コミュニケーションを取ろうとしてくれて…」
「優しい子なんだ」
「そうなの!だから…遠い外国にいるお祖母様のことを、いつだって気にかけてるの」
エリザが外国に行くことを他のクラスメイトから聞いた時、寂しくて悲しくて、胸が潰れそうになった。本当は素直に祝福したかったけれど、エリザはマチルダには何も言ってくれない。そして何も言ってくれないまま、中学校は冬休みを迎えてしまった。イブの夜にはマチルダの家でパーティーをする、なんて口約束だけして。
「…今日、ケーキを渡す時に、お祖母様と一緒に暮らせるようになって、本当に良かった、元気でね、って…それから、あたしのこと忘れないでね、って伝えたいの」
「それなら特別思い出に残るケーキにしないといかんな」
「きゃあ!」
感傷的になっていたところに突如頭上から声が降ってきて、マチルダはボウルを取り落としそうになった。振り返るとジャンは何故かさっきとは模様の変わったように見えるコートを着ていて、レオも何故か恥ずかしそうになにかの紙片で顔を隠している。
「ジャンさん!レオくんも、お店番お疲れさま」
「そっちこそ。ケーキはどうだ」
「驚きなさい、生地は再現に成功したんだから!ボスのお力添えのおかげでね!」
「ボス?」「ああ、女将さんのことか」
アメリが笑って、あとはデコレーションね、と作業台に並んだフルーツやクリームを指す。好意で用意してくれたチョコレートのプレートやマジパン、クリスマス限定商品のジンジャーブレッドマンも揃っていた。
「どうせならうんと可愛いケーキにして驚かせてあげましょ、ね」
「それならいい考えがある、この小さな紳士にな」
「ええ、ぼ、僕ですか…えっと、」
彼は画家に持たされたらしい紙切れをおずおずと顔の前で広げる。そこには小さくて可愛らしい、ドレスを着た女の子のイラストが描かれていた。
「あ、もしかして、ケーキ?お人形みたいな飾り付けにしようって言うの?」
「その通りだ。クリームやフルーツで飾りつければこういう形にもできるんじゃないか?」
どういうことかと詳しく聞けば、まずドーム状に成形したケーキに、ドレスの広がったスカートの部分に見立てたデコレーションを施す。さらにその上にドールの上半身として、チョコレートなどを使って服を着た女の子のように飾り付けたジンジャーブレッドマンを乗せたらどうか、というアイデアだった。
「それって、けっこう…いいかも!やるじゃない、あんた」
「あ、ありがとう…?僕じゃなくて、考えたのはほとんどジャンさんだけど」
「面白そうね!ただ、お人形の顔を作るんなら、クッキーを使うよりもっといいやり方がありそうよ」
「そうか、さすがは現職だな。任せたぞ」
「やあね、あなたが一肌脱ぐのよ、ジャンさん!」
「なんだと?」
「私知ってるのよ、あなたがこの頃絵画だけじゃなくって、彫刻にも手を出してること!」
ジャンはぎくりとしてアメリを見た。何やらにこにこして楽しげなアメリは作業台の上にあったものをひょいと手に取ると、マチルダとレオに向かっていたずらっぽく笑いかけた。
「さあ、あとはマチルダ、ケーキの飾り付けはあなたが頑張って!道具の使い方は一通りわかるわね」
「え、ええ…アメリはどうするの?」
「私はお人形の部分!さあジャンさんあなたもこっち!」
「な、何だ、一体」「いいから!」
2人はキッチンの隅っこで何やらこそこそと会議を始めた。仲が良いのはいいけれど、こうなってはこちらもこちらで何とかするしかない。マチルダは所在無げにしているレオをじろりと睨んだ。
「ぼ、僕…僕も手伝うよ、もう時間もないんでしょう」
「何よ、自分の用は済んだわけ」
「う、うん、もう少し」
「…そういえばあんたはここで何をやってんの?ジャンの弟子ってわけでもなさそうだけど」
「じ、実は…絵の依頼に、」
レオは苺のへたを取りながら、午前中の顛末をマチルダに聞かせた。思いもよらなかった話にマチルダは目を丸くする。
「え!?じゃああんた、自分のこととはなんの関係もないのにうちまで来たりベーカリーの仕事手伝ったりしてたわけ?」
「ま、まあ…」
「…なんかごめん… あんたのことまで巻き込んじゃってたんだ…」
「えええ、いや、その、僕が勝手にしたことだから」
おどおどしているだけの頼りない少年だと思っていた。小学校時代の嫌な記憶も影響して、自分こそ彼を遠ざけようとしていたのかもしれない。レオもレオなりに、誰かの笑顔のために走り回っていた、ということか。それもエリザと同じように、祖母を思って。
「僕…君のこと誤解してた」「はあ?」
「噂だけ聞いて、君のこと冷たい人なんだろうって…ごめんなさい」
「なにそれ!別にどうだっていいから、そんな噂なんて…、ちなみにどんな噂なわけ?」
「上級生をひと睨みで泣かせたとか」
「はじめに絡んできたのはあっちの方だし」
「近所の子のぬいぐるみを壊したとか」
「逆だから!破けたって泣いてたから繕ってあげたの!」
「おやつの代わりに猫を食べるとか…」
「…可愛がってるっていうの!あれは!ちょっと毛並みに顔を埋めるくらいしちゃダメ!?」
「い、いや、ダメなんて思ってないけど」「うるさい!」
何だかんだと言い合いながらも、レオは最初に応接間で会った時とは違って、マチルダの大声をもう恐れてはいない様子だった。マチルダは少しくすぐったいような心持ちで、やっと綺麗に泡立ったクリームをケーキに塗り始めた。
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