異邦の焼き菓子こだわり風味
「…どう?」「…違うわ。やっぱりあのケーキとは」
これもかあ、とアメリが流し台に突っ伏して、ついでみたいにケーキの切れ端をちぎって口に入れている。その動作がひっくり返ってだらけた猫みたいで、申し訳ないとは思いつつもつい笑ってしまった。
流石にお店の作業場にお邪魔する訳にはいかなくて、マチルダ達はアメリの家のキッチンを借りてケーキを焼いていた。辺りには既に失敗作がいくつも並び、部屋には甘い匂いが充満している。卵の量を増やしたり小麦粉の種類を変えたり、いろいろ試してはみたものの、生地作りは難航していた。どうにもあのしっとりとした独特の風味が出ないのだ。
「ごめんなさい。せっかく手伝ってもらってるのに、わがままばっかり…」
「そんなの!わがままなんかじゃないわ、こだわりよ!大事なことじゃない!」
ものづくりってきっと何だってそうだわ、とアメリは何か素晴らしいことを思い出すように、柔らかく目を細めた。
「誰かの笑顔のためなら、余計にね」
「…うん、そうよね。ありがとう」
「特別な人なのね。マルシェのフルーツを買い占めちゃうくらいだもの」
「…め、迷惑かけるなんて、気づかなかったの…」
「あはは!ごめんなさい、冗談よ!そのくらい必死だったのよね」
「え、ええ…けど…」
マチルダは今更ながら自分の行動が恥ずかしくなった。とにかく焦って、何が必要かも分からないまま適当に使えそうな素材をかき集めて、結果人に迷惑をかけたなんて!ベーカリーの事情を聞いた時、血の気が引くような思いがした。
そうやって困らせておいて挙句の果てには手伝いまでさせて、自分勝手なことばかりだ。どうしてアメリがこんな風に笑いかけてくれるのか、マチルダにはわからなかった。
「アメリ!調子はどうだい」「あら、ママ!」
バスケットを片手に現れたエプロンの女性は、いらっしゃい、と朗らかな調子で声をかけてくれる。ママ、ということは、きっとベーカリーの女将さんだろう。マチルダは恐縮してぺこりとお辞儀をした。
「お店はどう?ごめんね急に抜けて」
「ジャンさんとレオくんが頑張ってくれてるよ」
「すみません、あたしのせいで。キッチンをお借りしてます」
「こんなとこで良けりゃいくらでも使ってよ!何だか面白そうなことしてるじゃないか」
バスケットの中身は昼食だったらしく、女将がサンドイッチを食べている間にことの次第を語った。マチルダがスケッチブックを見せながら一通り話し終わると、なるほどね、と女将は嬉しそうに笑う。
「アメリ、そこにあるボウルは途中のかい?」
「え、うん、そうよ。これから泡立てるところ」
「ちょっと貸してごらん」
女将は卵を割り入れたボウルを引っ掴んで勢いよく泡立て始める。家のメイドたちよりもずっとてきぱきと作業していたアメリだったが、それよりもさらに素早い手つきだ。熟練の身のこなしに驚いてマチルダがぼんやりしていると、アメリに何事か指示を出して、倉庫から瓶をいくつか持ってこさせた。
「こりゃああれだね。カステラだね」
「かすてら?」「ママ、知ってるの?」
「伊達にパン屋の女将をやってるんじゃないよ。東方の国のお菓子さ。作るには本当なら向こうの調味料が必要なんだが」
「え!そ、そんな」
ということは、やっぱり特別な材料なしには作れないんだろうか。せっかく正体がわかっても、それじゃあ不可能を突きつけられたに等しい。しかし、女将は話しながらも迷いなく瓶の中身を匙でボウルに加えていく。砂糖に油、はちみつ、そして白ワインも少々。おまけに塩をひとつまみ、ふたつまみ…。
「慌てなさんな。料理ってのはね、ある程度なら他で代用が効くものさ」
「なら、いま入れたものが?」
「そう!完全再現とは行かないかもしれないけど、味自体は近づくと思うね」
卵がすっかりふわふわのクリーム状になったところで、これで大体良いはずだよ、と女将が泡立て器を混ぜる手を止めた。今の一瞬でもう味付けが済んだということだろうか?
「ママすごい!レシピ見なくてもわかるの?」
「その昔、何回か作ったことがあるからねえ」
「信じられない!メイドもコックも誰もわかんなかったのに、こんなにあっさり」
「年の功ってやつだね。さ、あとは他のケーキと同じだよ、粉をふるって、きつね色になるまで焼く!」
「あ、ありがとうございます、マダム!」
「いやだよマダムなんて、どうせならボスとお呼び!」
マダム、もといボスは、快活にからから笑いながら、颯爽と店へ戻って行った。アメリとマチルダは顔を見合わせて笑う。
マチルダを助けるため、というよりは、彼女たちはただ純粋に、ケーキやパンがとびきり好きで、いてもたってもいられないのかもしれない。自分の親友に対する想いと同じように。
この人たちのためにも、きっと成功させなくちゃ。マチルダはエプロンの紐を締め直して、作業の続きに取り掛かった。
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