スケッチにヤドリギを添えて

「ま、それが問題のケーキ?あんがいシンプルな見た目なのね」


長いおつかいからベーカリーに戻ると、アメリはちょうど昼休憩を取っていた。ジャンのアトリエへ移動してランチを取りながらことの次第を説明すると、アメリはなんて面白そうなことをしてるの、ところころ笑った。

ちなみに前金としてノーラが充分な量のドライフルーツを持たせてくれたため、ジャンの任務は無事完了した。マルシェのフルーツが売り切れていることを知っていたアメリは、まさかおつかいが成功するとは思っていなかったらしく、かなり驚き、それから盛大に感謝のハグをしてくれた。ノーラには改めて礼をせねばなるまい。


「これはメレンゲかしら?それともクリーム?」

「たしかクリームだって言ってた、牛乳の。中にも挟んであるみたい」

「それに、果物が…いろいろ乗ってるんですね、」

「写真で見た限りはね。生のフルーツが多かったけど、ドライフルーツとか、コンポートも乗ってたかも、たぶん」


マチルダはランチのクロックムッシュにかぶりつきながら答える。ジャンは2人を連れてアトリエへ戻ると、マチルダが親友に写真を見せてもらったというケーキの聞き取り調査を始めた。レオが絵の依頼でしようとしていたように、ケーキの特徴を語らせて、それを具体的なスケッチに起こしていったのだ。自分をレシピ再現のプロだなんてはったりを、もとい機転の効いた口上を言い切れたわけはこの工程にある。

最終的に出来上がった絵図は、白いクリームに覆われてフルーツが乗ったホールケーキ、といった形状のものだった。


「でもこれなら、スポンジを焼いて、クリームを塗って、いろんなフルーツを乗っけたらできあがりなんじゃない?どこをそんなに悩んでるの?」


レシピ再現の調理担当、アメリは不思議そうに首を傾げた。現職のパン屋で料理も得意、ジャンにすれば最も身近なケーキの専門家ということで、彼女に協力を要請したのだ。

確かに料理などほぼしないジャンにしても、これだけなら簡単そうに思う。当のマチルダはぶすくれたまま口いっぱいにパンを頬張っていたので、ジャンが代わりに答えた。


「問題は生地なんだそうだ。外国のものだからな、ここらの作り方とは違うんだろうが」

「そうなの!あたしスポンジ生地だけは頂いたことがあるんだけど、普通のパウンドケーキなんかとは全然違ってた」

「スポンジ生地だけ?」


件の友人宅に遊びに行った際、1度だけ食べたことがあるのだと言う。クリームを塗りたくってあるものを生地だけで客に出すことが果たしてあるものかと思うのだが、本人が見たし食べたし聞いたと言い張るのだから、ジャンとしても何とも言えなかった。


「それでだな、一応その、生地だけの形についても描いてみたんだが」


ジャンはスケッチブックのページを繰り、アメリにそのスケッチを見せる。アメリはきょとんとして、そのケーキのような何らかの絵を興味深そうに見つめた。


「…これは…黄色い、レンガ?」

「違うってば!!ケーキ!!」

「そら見ろ、どうしたってレンガにしか見えんと言っただろ」

「だからふわふわでしっとりで甘いんだって言ってるでしょ!それにほんとにこの形だったんだから!」


それはケーキにしてはあまりにも簡素なスケッチで、ただの真っ黄色の直方体、と言って差し支えないくらいだった。聞けばナッツやフルーツが混ぜこんであるわけでもなく、特徴と言えば天地にあたる面が他の部分よりも少し濃い茶色をしていて、どうやらそれが焼き目の部分らしい、という程度のものである。


「なんか、同じケーキのはずなのに、こんなに変わるんですね…」

「たぶん場合によっていろんな形の型で焼成するのね、となるとこのレンガみたいな形にあんまり意味はないのかしら?」

「さ、さあ、そこまではわかんないけど…」

「こんな素っ気もない手がかりだけで、本当になんとかできると思っていたのかおまえは」

「うるさいな!だって他にあの子の喜びそうなことがわからなかったんだもん…」

「でも、素敵じゃない!その子のこと喜ばせたくて、一所懸命考えたんだものね。きっとその気持ちだけでも喜んでくれるわよ」


ジャンはアメリの言葉にどきりとして、無意識にアトリエの後方へ目をやった。挙動不審に気付いたレオがこちらを不思議そうに見てくるが、なるべく平静を装うようにしてひとつ咳払いをする。


「まあなんだ、アメリ、今日のおまえが非常に忙しいことはよくよくわかっているんだが…」

「私だってわかってるわよ!でもいいわ、私もこのけなげなお嬢様をお手伝いしましょう」

「ほんと!?いいの?」

「ただし、その間は私の代わりにあなたたちがお店に立つのよ、それでいい?」

「ああ、もちろんだとも」「え!?ぼ、僕も?」

「ありがとう!私達も頑張りましょうね」「う、うん!」


アメリは早速ケーキに関するより詳細な情報交換をマチルダと共に始めていた。不安そうなレオが青い顔でそれぞれの顔を見回していて、言いたいことは色々と伝わってくる。


「よし来い、ベーカリーの手伝いなら俺もそれなりのベテランだ。きっちり教えこんでやろう、依頼の話をしながらな」

「あ、うう、どうも…」

「なに、描くのにそう時間はかからんはずだ。明日には間に合わせるさ」


その場の雰囲気に流されるまま、レオは大人しくジャンと連れ立ってアトリエを出た。この少年はそもそも意見を口に出すことが苦手な性分なのだろうな、と勝手に想像する。だとすれば今朝方の彼の訴えは、かなり思い切った行動だったということか。


「悪いな、こちらの事情に付き合わせて。依頼はしっかり果たすから心配するな」

「え?あ、はあ…」

「なんだ?絵のことが心配なんじゃないのか」


レオは階段を降りながら、はっとしたように顔を上げる。いえ、と何事か呟くようにしながら、少し悲しげにきゅっと唇を結んだ。


「ぼ、僕…知らなかったです」

「何をだ?」

「彼女…マチルダが、あんなに…なんていうか、元気な子だって」

「元気か。ものは言いようだな」

「皆の話じゃ、冷たくて、怖くて…あんな風に、友達のためになにかしてあげたいって、そんなタイプじゃないって…思ってた」


そう言って、思案するように口を閉ざす。友人や家族といった、自分と近しい存在だけが、ほとんど世界の全てと同じ意味を持つ我々にとって。時にどこから立ち現れたのかもわからないようなくだらない噂話だって、疑うことさえできないものだ。自分を取り巻く世界がそう言っているようなものなのだから。


「しかしそうじゃなかった、と気づいた?」

「え、は、はい…」

「ならそれでいいんじゃないか。おまえが何か気に病む必要は無いだろう」

「で、でも僕…」

「まあともかく今は、お前にできることをやるしかない」


裏口からベーカリーへ入ると、丁度アメリの父と行き会った。店主である彼は小麦粉の袋を肩に担いだまま、おお、と慣れた具合でジャンに笑いかける。ジャンがひとつお辞儀をすると、レオも倣ってぴょこんと頭を下げた。


「さっきはありがとうね。パネトーネは無事に焼成中だけど、配達の次は売り子もしてくれるのかい?アメリはどうしたんだ?」

「それなら良かった。色々あって、俺が頼み込んで代わってもらったんです。こっちはレオ」

「よ、よろしくお願いします!」

「手伝いが増えるのは大歓迎だ。早速で悪いが手を洗ってエプロンをつけて、そこにある分のパンを店に出してくれるかい」

「わ、わかりました!」


勝手知ったるジャンが戸棚からエプロンを引っ張り出してレオに手渡す。店は相当賑わっているらしく、裏方に居たって賑やかな喋り声と女将の景気のいい挨拶が聞こえてきていた。これは忙しくなりそうだ。

おつかいに絵の依頼にケーキ作りにと、今日は今朝までとはまったく予想外にばたばた忙しい日になって、まったくこんなに厄介なイブは初めてだ。けれどもどうにも不思議で、少しだけ愉快な気分だった。

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